4.滅亡の完遂

「一番わかりやすい手がかりは、山奥では破局の可能性が低いという点だ。これらの場所は、そこに来たことのある人間の数が限られる。逆に、かつて多数の人間が使用していた市街地や道路は破局が起こりやすい」

「人が多い場所では破局が起こりやすいってことでしょう? でもそれは前からわかっていたことじゃない?」

「そうだ。皆そこで思考が止まってしまったんだろう。だが俺は、破局の真相はその先にあると考えた」

 赤月はじっと呉を見つめた。

「破局の本質は回顧かいこだ。破局の際に生じているのは、実体化した記憶だ」


 呉はぽかんとした顔で赤月を見つめていた。

「記憶? 回顧? 全然わからない。どういうこと?」

「誰かがあるものについて過去の記憶を思い返すと、それが実体化して、もともとその場所にあったものを破壊しつつ顕現けんげんする。それが破局だ。だからこそ多くの人が記憶として持っている場所、つまり多くの人が住んでいた市街地ではそれだけ記憶の思い返しが頻繁に起こり、それに連動して記憶が実体化し、破局が起こるんだ」

「じゃあ、建物や地形が急に変わるのは」

「今の地形や建物に重ね合わされる形で過去の記憶の実体化が起こり、結果として建物や地形の破壊が起こる。それが破局の正体だ」

「季節や災害が突発的に発生したり収まったりするのは」

「誰かが過去の災害の記憶を思い返すたびにそれらが実体化するからだ。破局が始まった日に俺たちが遭遇した、関東一帯の震災があっただろう? あれはおそらく、大正時代の関東大震災の記憶の復元だ。その後東京湾に出現した台風も同じく大正時代に記録のある東京湾台風だろう。イタリアで起きた噴火は、ポンペイ遺跡で有名なヴェスビオ山の噴火の記憶が実体化したんじゃないかと俺は考えてる」

「でもそれじゃあイタリアの噴火は説明できないんじゃない? ヴェスビオ山の噴火はたしか、二〇〇〇年くらい前の出来事よ。当時の出来事を記憶している人なんていないわ」

「言い方が悪かったな。破局の対象となる記憶は個人に限らず、人類全体の記憶なんだ。人類が誕生してから現在に至るまで、人類の誰か一人でも経験したことについて、誰かが強くイメージしてしまうと、それが復元され、実体化するんだ」

「でも、どうしてそんなことが起こるの?」

「わからない。これは夕那の言った通り、あの隕石が原因だったと考えるしかない。あの隕石が落下したことで、人間の意識と時空間が相互作用するようになり、それまでにない挙動をするようになってしまったんだろう。それを証明する方法は今の俺には無いが」

「もしそれが本当だったとしたら、影響が地球だけに留まらないと思うわ。少なくとも太陽系全体が復元されなければ、地球の季節が急変するなんてあり得ない。それに、熱力学の第二法則にも反しているわ」

「熱力学の第二法則に反しているかどうかは断定できないな。もしかしたら破局が起こるたびに太陽系から遠く離れた宇宙空間でエントロピーが増大しているかもしれないし」

「それはそれで大問題じゃないの? 今までに観測されたことのない物理現象だわ」

「俺は物理学者じゃないからわからんが、多分そうだろうな。あの隕石の落下以降、そのあたりの物理法則が捻じ曲げられてしまったと考えるしかない」

 赤月と呉は黙り込んだ。暗い洞窟の中で、薪が奏でるぱちぱちという音が響いていた。

「よく潮くんはそんな仮説思いついたわね」

「破局が起こり始めたあの日からうっすらと考えていたことだ。俺と同じ経験をすれば、その発想にたどりつくことは難しくないだろう」

「潮くんと同じ経験? どういうこと?」

 そう言った瞬間、赤月と呉は動きを止めた。


突然二人の世界がゆがみ、激しく揺さぶられた。数えきれないほどの風景、音、匂い、味覚が入り乱れた刺激の奔流に呑まれ、立つこともままならず、二人は頭を抱えて地面にうずくまった。

 赤月と呉だけではなかった。この瞬間、地球上の全人類に同じ現象が起こった。数時間後、二人は同時に立ち上がった。

「潮くん、何? これ」

 呉の声は瞬時に全人類の耳に届き、彼女の五感は即座に無数の他者の感覚の混沌に呑まれ支配された。赤月は呉の声を聞き取り、口を開く。

「わからない、わからないが、俺たちはどうやら意識を共有しているようだ。全人類の意識と記憶を」

 赤月の声も瞬時に全人類の耳に届き、すぐに無数の感覚の混沌へと吞み込まれていく。

「そんな、そんなことってあるの?」

 そこで呉は黙り込んだ。茫然とした様子で立ち尽くしている。

「どうした? 夕那」

「お父さんとお母さんが、お父さんとお母さんがいる! 感じるの。生きているわ! 信じられない!」

「夕那の両親だけじゃない。どんどん人が増えてる。ついに人間も復元し始めたんだ」

「そんな……死人が蘇っているの?」

「そうだ。これからは死人も蘇る時代だ。前に言っただろ? 人類滅亡はあり得ないって」

「じゃあ潮くんはこれを予想していたって言うの?」

「そうだ。なぜなら夕那、お前は一度死んでいるからだ」


「なに、それ。嘘、だよね?」

「嘘でも冗談でもない」

 赤月は呉の目をじっと見つめた。

「覚えているか? 俺たちは探検部の部員だった。破局が始まる半年前、俺たちは洞窟探検に行ったんだ。その時、お前は行方不明になった。大騒ぎになったよ。すぐに警察に連絡して、捜索が始まった。そして」

 そこで赤月は目を閉じ、暫くしてから開いた。

「そして後日、洞窟の中の地底湖の底でお前の遺体が見つかったんだ」

 呉の脳裏に、破局が始まった日の記憶が甦った。隕石落下に混じり報道されていた洞窟での死亡事故のニュース、電気が切れており、埃が積もっていた部室。あれは、事故により部活が休止になり、部室が長期間閉鎖されていたためではないのか。また、赤月は呉の両親の居住地を知っていた。それは、事件後の報道で両親の情報が世間に流れたからではないのか。そう呉は考える。

「事件の後、俺は毎日夕那のことを考えていた。あの日から俺の見る世界はモノクロになってしまった。何を見ても感情が動かなかったんだ。俺の手で夕那を殺したも同然だと、そればかり考えていた。

 あの日、俺は死ぬことを決意した。それで半年近く閉鎖されて施錠されていた部室に久しぶりに忍び込んだ。最後に夕那との記憶が詰まった部室を見ておこうと思ったのさ。

 だから夕那が部室に現れた時、俺は本当にびっくりした。その後すぐに地震が起こって、それどころじゃなくなってしまったが。

 そしてふと、俺が夕那のことを強く、何度も考えていたから夕那は戻ってきたんじゃないかって思ったんだ。それが破局についての仮説に繫がった」

 赤月は呉の両肩にそっと手を置いた。

「俺は嬉しかったよ。夕那が戻ってきてくれて。夕那と一緒に生きていけるって思うとそれだけで、モノクロの世界が鮮やかに色づいて見えたんだ」

 そう言うと赤月は呉にキスをした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る