どうしよう

 琴が乗った駅から、三駅通過した。乗客は徐々に増え、男性が見えなくなる。

 あんなにも綺麗な白が、黒や茶色に埋め尽くされていく。その様子に、残念な気分になっていた。英単語帳に視線を戻すも、既に覚えている内容でやることがない。

 まもなく次の駅に着くとアナウンスが入り、降りる乗客達が扉の前に集まり出す。

 英単語帳を鞄に仕舞うと、立ち上がって扉に近付いた。琴の学校の最寄り駅もここだ。押さないように、押されないように気を付けなければ──そう思ったとき。

 電車が大きく揺れた。身体はその振動でぐらりと傾き、足が絡まる。慌ててつり革を見るも、掴めるところがない。身体を支えられそうなものも近くにない。

 目の前にはサラリーマンの背中。ぶつかる、と目を瞑ったが、誰かに左腕を掴まれた。


「大丈夫?」

「ありがとうござい、ま……」


 頭上から聞こえてきた声に、琴は礼を述べながら慌てて振り向く。だが、その言葉を言い終えることはできなかった。

 そこにいたのは、雪のように白く、美しい男性。


(綺麗な、青)


 瞼の下にあった瞳は何色なのだろうかと思っていたが、青空のように澄んだ青色だった。

 電車はゆっくりと停車し、音と共に扉が開かれた。この駅で降りる乗客に流され、男性の手が離れてしまい、二人の距離が開いていく。


(お礼を言えてない)


 先にホームに降り立った琴は、男性の姿を見かけて声をかけようとするも、乗客に阻まれて近付くことができない。その間に、彼は正反対の出口へと向かって歩いていく。

 追いかけようにも、人が多いホームで走るのは危険行為だ。琴は肩を落としながら、出口へと向かった。

 息を呑んでいる場合ではなかった。助けてもらったのだから、まずは礼が先だろう。

 後悔ばかりが、琴の胸を占める。吐き出すかのように、大きく溜息を吐いた。



 * * *



「おはよう。ってどした、その顔」

「舞ちゃん、おはよ……」


 学校に着いてから机に突っ伏していると、友人の舞が登校してきた。琴の前の席に座り、心配そうにこちらを見る。

 当然だが、舞の目は黒く、髪も黒い。男性とは正反対の色。ただ、琴と同じように見えるが、舞の方がその黒の濃さが少し薄いという違いがある。


「何かあったの? いつもより早いし」


 琴はハッと我に返った。


「早くに目が覚めて、一本早い電車に乗ったの」

「なるほど、それで?」


 言葉に詰まる。思い出すだけで落ち込んでしまうのだ。琴はくぐもった声を出しながら再び机に突っ伏し、小さな声で「どうしよう」と呟いた。


「お礼、ちゃんと言えてなくて」


 いつもより一本早い電車にいた、雪のように白い男性。その男性に電車の揺れで傾いた身体を助けて支えてもらったのだが、初めて見た青色の瞳に見惚れ、礼を言いそびれてしまった。

 ──と一通りの経緯を話し終えると、琴は再び大きな溜息をついた。


「どうしたらいいと思う?」

「また明日も同じ電車に乗れば?」

「そっか、乗ってるかもしれないよね」

「思いつかなかったのが不思議だわ」


 後悔ばかりで、頭が正常に働いていなかったとしか言えない。笑って誤魔化していると、舞が腕を組んだ。


「白くて青色の瞳の男性ねえ。ハーフとか?」

「どうなんだろう」

「いいなあ、朝からそんな出会いがあったとは。勿体無い」


 琴や舞が通っている高校は女子校であり、出会いというものがない。

 校則も厳しく、季節に合わせた制服を身に着けること。制服の改造など以ての外。スカートの丈は必ず膝下。靴下や靴は黒色。ヘアゴムも黒色、と言ったように、細かく定められている。

 制服は紺を基調としたセーラー服。合服と夏服のみ、スカート以外が白になる。えりラインには差し色で赤が入り、スカーフも赤。

 もちろん、髪の毛も染めてはならない。コンタクトは禁止されていないが、カラーコンタクトやアクセサリー系は禁止。スマートフォンは持っていてもいいが、学校では触ってはいけない。

 校則で縛られた、窮屈な世界。だからこそ、舞は「勿体ない」と口にしたのだろう。


「あ、そうだ。英単語帳見せて。今日小テストなのに忘れてきちゃって」

「いいよ、どうぞ」

「ありがと。学年一位は余裕だなあ」

「……はい、英単語帳」


 舞に英単語帳を渡すと、琴は目を背けるように隣にある窓を見た。今日は天気が良く、澄み切った青空にちらほらと白い雲が浮いている。


(同じ色だ)


 あの男性は、美しく眩しいほどの白と澄んだ青を持っていた。その色を思い出し、琴は小さく笑みを浮かべた。

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