第4話 邂逅

客間の静寂を破るように、この場で最年長である、橘東家の当主、橘東桂一きつとう けいいちが低く、しかしはっきりとした声で口を開いた。


「宗近様、助力を求めたとはいえ、陰陽師協会に主導権を全て渡すのは反対です。橘家の名を汚すことになりかねません。何か負い目があると思われてしまいますぞ。」


その声には長年、橘本家たちばなほんけを支えてきた自負と、橘家の名誉を守らねばならないという責任感が滲み出ていた。


宗近はその言葉に反応することなく、静かに湯飲みに口をつける。


「……それに、彩花様は何か封印の破壊に関与しておられるのではありませんか?」


桂一は意図的に低い声で言い、周囲を見回しながら彩花の姿がないことを確認する。


親戚たちがざわつく中、宗近は一瞬だけ目を閉じ、静かに湯飲みを置いた。


「……彩花は…関係ない。この話しは以上だ。」


その言葉は一見穏やかだったが、抑えた圧力が滲み出ており、親戚たちのざわめきも一瞬で収まる。


しかし、桂一は引き下がらず、追い打ちをかけるように続けた。


「では、自らのせいだと申し出た紗月にはどうするのですか?何もなしとはいかないでしょう。」


宗近が何かを言おうと口を開いた瞬間、橘南家の当主、橘南明良きつなん あきらが軽く手を挙げて間に入った。


「まあまあ、桂一さん。そのあたりでよろしいのでは?何も力を持たない紗月が、調査に同行し、危険な場に身を置くこと自体、十分な罰になるでしょう。きっと苦労も多いでしょうし、それで橘家としても体裁は整いますよ。」


明良の柔らかな口調が、客間に張り詰めた空気をほんの少しだけ和らげたかに見えた、その時だった。


「私は反対です!」


突然響いた声に、客間の全員が振り返る。声の主は橘南莉乃きつなん りの。彼女の瞳には怒りと悔しさが宿り、その視線は宗近ではなく、父親の明良に向けられていた。


「お父様、いつもいつも、あの娘ばかり庇って……陰陽師でもなんでもないのに、どうしてですか!?」


その声には、嫉妬の感情が隠しきれないほど溢れていた。莉乃の拳は震え、目には涙が滲んでいる。明良は険しい表情を浮かべ、低い声で一喝した。


「莉乃、黙れ!お前がここでそのような口を利く権利はない。自分の立場を弁えろ!」


その厳しい言葉に莉乃は一瞬怯んだように見えたが、すぐに悔しそうに唇を噛みしめ、涙をこぼしながら叫んだ。


「お父様なんて、大嫌い……!」


彼女の声は震えていたが、その中には父親への愛情が裏返った複雑な感情が込められていた。


莉乃は目を真っ赤にしながら襖を開け、勢いよく客間を飛び出していく。


襖が開く音だけが響き、後には静寂だけが残る。客間の親戚一同は息を飲み、言葉を失ったように俯いている。


そんな中、すれ違いに彩花が客間へ戻ってきた。泣きながら走り去る莉乃の姿を見て、彩花は目を丸くしながら静かに開いたままの襖を閉じた。


「……あの、ただいま戻りました。莉乃が泣いて走って行きましたが、何かあったんですか?」


彩花の問いに、明良は肩をすくめ、苦笑しながら答えた。


「いや、なんでもない。少し感情的になっただけだ。お恥ずかしいところを見せてしまったね。」


そう言いつつも、明良の視線は襖の向こうに一瞬だけ向けられた。その顔には、娘の気持ちに気づいていながらも、今は何もしてやれないという複雑な思いが浮かんでいた。


宗近は湯飲みに口をつけ、静かに彩花を一瞥した後、冷静に話を再開する。


「紗月の件は、調査に同行させることで決着とする。それで問題ないだろう。それよりも、和助。」


襖が静かに開き、田嶋和助たじま わすけが頭を下げて部屋に入ってきた。宗近は湯飲みを置き、和助に視線を向ける。


「宗近様、お呼びでしょうか。」


「陰陽師協会のあの二人の詳細は分かったか?」


和助は姿勢を正し、一礼してから答えた。


「はい、赤髪の女性は村瀬紅子。大阪市出身、27歳。村瀬家は大阪で代々卜占(占い)を家業とし、特に商売繁盛や人の縁に関する占いで評判だったようです。その影響で、彼女自身も占いや“感”を重要視しているとか。陰陽師協会の階級は二級ですが、実際は一級と同等の実力を持つとのこと。ただし、上司との関係構築が苦手らしく、出世には難があるようです。火を扱う術に秀でており、特に大規模な破壊を伴う攻撃が得意です。」


宗近は短く頷き、和助に続けるよう促す。


「眼鏡をかけた男性は大野悠希。埼玉県川越市出身、18歳。地方公務員の父親を持つ一般家庭の出身です。今年の春までは実習生で、現在は陰陽師協会の三級。東京帝陰アカデミー時代は結界術に優れ、教師たちから高い評価を受けていました。真面目で努力家という評判ですが、まだ実戦経験が浅いようです。」


宗近は目を閉じ、和助の報告を静かに聞き入る。やがて、少し間を置いて言葉を発した。


「なるほど……攻守にバランスが取れた二人組というわけか。」


宗近は目を開け、隣に控える彩花に視線を移す。その眼差しには、ただならぬ鋭さが宿っていた。


「彩花、聞いたな?二人の性格と得意分野をよく把握しておけ。協会が主導権を持つのを完全に許すわけにはいかん。調査に同行する間、彼らが橘家にとって不利益になるような行動を取らないか注意しろ。もし何か気になることがあれば、すぐにこちらへ知らせるのだ。」


彩花は少し緊張した面持ちで頷いた。「……はい、お父様。お言葉通りにいたします。」


宗近は満足げに頷き、再び湯飲みに手を伸ばす。


「和助、引き続き協会の動向にも目を配っておけ。何かあればすぐに報告するように。」


「承知しました。」和助は深く頭を下げ、退室の準備をする。


彩花は小さく息をつきながら、宗近の指示の重さを実感していた。しかし、その一方で、心の中には微かな不安もよぎる。


(村瀬さんと大野さん……どんな人たちなんだろう。本当に、うまくやれるのかな……?)


宗近の視線が再び彼女に向けられ、彩花は緊張を隠すように小さく頷いた。





紗月は錦市場の乾物屋「松吉屋」に自転車を停め、店先に並ぶ商品を眺めながら足を踏み入れた。店内は木の香りが漂い、天井近くまで積まれた乾物の袋が一面に並んでいる。


「おぉ、紗月ちゃん。今日も元気そうやなぁ!」


店主の松吉まつよしは、紗月の姿を見るなり大きな声で声をかけた。年配の彼は、丸い眼鏡越しににこやかな笑みを浮かべている。


「松吉さん、こんにちは!いつも元気やで。今日は干し椎茸と昆布、頼まれてんねん。」


「また橘家の台所か?えらい忙しそうやなぁ。」


「まあねぇ。うちみたいな下っ端は走り回ってナンボやから。ほんで松吉さん、この干し椎茸、ちょっと薄ない?これで出汁取ったら味薄なるんちゃう?」


紗月が冗談交じりに袋を指差すと、松吉は「なんやと?」という顔で一瞬驚き、すぐに笑いながら肩をすくめた。


「ほな試してみぃや。味薄かったら次から大サービスするわ!」


「そんなん言うたら、わざと薄い言うてまた来るで?」


「そん時は松吉屋出入り禁止にしたるわ!」


二人の軽いやり取りに、店の奥で袋詰めをしていた奥さんが「もうまた始まったわ」と笑いながら首を振る。


「ほら、紗月ちゃん。こっちの昆布はちょっとええやつやけど、今なら特価やで。どうや?」


松吉が手に取った昆布の袋を差し出すと、紗月は少し悩むふりをして、ニヤリと笑った。


「特価言うなら、もっと負けてくれるんちゃう?」


「おいおい、商売上手やなぁ!ほな、紗月ちゃんの笑顔代として、さらに100円引きや!」


「さっすが松吉さん!じゃあ、それにするわ!」


やり取りを終えて支払いを済ませると、松吉が袋を丁寧に渡してくれた。


「また来てや、紗月ちゃん。そんで次は無理言わんといてな。」


「そんなん無理な話やわ~。」


袋を受け取り、紗月は「ほなまたね」と軽く手を振って乾物屋を出た。気分よく市場の雑踏に戻ったものの、ふと違和感に気付く。


(あれ?清雅どこ行ったん……?)


辺りを見渡してみると、向かいのソフトクリーム屋の前で、抹茶ソフトを手にしたギャル風の女の子に鼻息がかかるほど近づき、匂いを嗅ぎ回る清雅の姿が目に入った。


「うわっ、何してんの!やめてや、セクハラやで!」


紗月は慌てて駆け寄り、蒼白になりながら声を上げた。


清雅は振り返り、平然とした顔で答える。


「セクハラ…もしかして新しいあやかしかなんかかな?」


「もうそのくだりはさっきやったからええ!ほんま何してんの?」


「いやさ、なんか知ってる匂いがしたもんでね。懐かしくてつい……。」


清雅が鼻をすするような仕草を見せ、満足げに微笑む。その様子に紗月は呆れた声を漏らした。


「気のせいやろ!そんなん、そんな可愛い子が清雅の知り合いのわけあらへん!」


ギャル風の女の子は、一人で喋り続ける紗月に不思議そうな視線を送っている。しかし、清雅の姿には全く気付いていない。


「ま、いいや。あっ、買い物終わったね。さ、帰って術の練習でもしようか。」


「せえへん!!」


紗月の叫びが市場の喧騒にかき消される。その横で、ギャル風の女の子が一瞬驚いた顔をしたものの、「変な人だなぁ」とでも言いたげな表情で、さっさと立ち去っていった。


紗月は頭を抱えながらため息をつき、背後で飄々とついてくる清雅を一瞥して言い放つ。


「ほんま、清雅こそ妖やないん?」


清雅はいたずらっぽく微笑むだけで何も答えない。その軽い態度に、紗月の疲れはますます増していった。



紗月は買い物から戻ると、宗近に呼び出された。紗月は破損した石碑を横目に見ながら、宗近の部屋に向かい庭が見える廊下を歩いていた。


(夜になったら、また妖が集まってくるかもしれへんて聞いたけど……)


昨晩、雅彦や分家の跡取りたちが夜明けまで屋敷の外で、妖を退治していたことや、夜になればまた妖が集まってくるかもしれないことを、今朝、霊符を作っている時に和助から聞いていた。


(……嫌な感じやなぁ……)


そんな考えに気を取られていると、ふと背後に気配を感じる。振り返ると、橘東家の娘、中学生の橘東奈々きつとう ななが熊のぬいぐるみを抱きしめながら、じっと紗月を見上げていた。


「うわぁ!びっくりするやん!奈々ちゃんやないの。今来たん?」


「……」


奈々は紗月をじっと見つめたまま、静かに首を振る。


「えっ、ほんま?朝からおったん?」


「……」


奈々はまた首を振る。


「えーと、じゃあ、いつ来たん?」


「……昨日。月影の調律もやった……」


「えっ、昨日から……?そ、そやったんや……」


「……」


奈々はじっと紗月の反応を確かめるように見つめた後、静かに頷いた。


(……ほんまに、不思議な子やなぁ……)


「ごめんな、うち、宗近様に呼ばれてるから行くな。」


そう言って、紗月が足早に去ると、奈々はその背中を見送りながら、ぽつりと呟いた。


「紗月お姉様……きれい……」


頬を少し赤らめたまま、奈々の視線は廊下の先を追い続けていた。

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平安時代の陰陽師に取り憑れた少女、落ちこぼれから最強になる?! 南極コアラ @hide4173

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