凌霄花(りょうしょうか)の下で

朏猫(ミカヅキネコ)

凌霄花(りょうしょうか)の下で

 コンビニに行く道沿いに一軒の古い家がある。この辺りは昔からの住宅街で古い戸建ては珍しくない。そんな中でもそこは夏になるとどうしても視線を向けてしまう家だった。

 歩道のすぐそばにある門はとても古く、使われている石は黒ずんでいて表札の文字はほとんど見えない。その門の傍らから蔦のようなものが伸びていた。といっても絡み合う蔦は幹のように太く、一見すると木に見える。葉も生い茂っている。それが玄関の半分ほどを覆い、蔦の先は屋根にまで届いていた。

 夏になるとそこに橙色の花がたくさん咲いた。ラッパのような形をしたその花が“ノウゼンカズラ”という名前だと知ったのは最近で、教えてくれたのはその家に住む美しい男だった。


「綺麗でしょう?」


 そう言って見上げる男のほうが何倍も綺麗だと思った。染めたことなどないであろう黒髪は柔らかそうで、屋根を見上げる目は黒色なのに太陽の光のせいか金色に近い茶色にも見える。真っ白な肌は真夏の昼間だというのに汗一つかいておらず、触れたら冷たいのではないだろうかと思うほどだ。

 同じ男だというのに整った顔立ちだからか妙にドキドキしてしまう。男の横顔をチラチラと窺うように見ていると、不意に視線が合って鼓動が跳ねた。


「この花はよく蜜を滴らせるんですよ。だからこうして虫たちが大勢寄ってくるんです」


 花を見ればたしかに蜜が花びらを濡らし、そこに蟻がたくさん集まっている。


「鳥も蜜を求めて来るんですが、これだけ暑いと昼間は見かけませんね」


 今年はあまりの暑さに日中は蝉さえ鳴かないほどだ。そんなだから鳥も木陰で休んでいるのだろう。せっかくなら鳥が蜜を吸う姿を見てみたかったと、ほんの少し残念に思った。そのまましばらくノウゼンカズラを眺めた僕は、男に軽く会釈をしてその場を後にした。

 それから二日後、さらにその四日後、その家の前を通るたびに美しい男がノウゼンカズラを眺めていた。向こうも僕に気づいたようで毎回軽く会釈をする。そのまま通り過ぎるのもどうかと思い、見かけるたびに一言、二言と言葉を交わすようになった。

 男の名前はわからないままだが、見た目や話し方から僕よりも五、六歳は年上だろうと思った。まだ大学生か、それとも卒業したばかりか、そういったふうにも見える。家の前を通るのはいつも昼間で、そんな時間帯に家にいるのもそのくらいの年齢だろうと思った要因だ。


「今日も暑いですね」


 男の言葉に小さく頷く。前日の夕方に激しく降った夕立が涼しさをもたらしてくれたのは夜の間だけで、今日も日の出とともにグングンと気温が上がり始めた。今夏最高気温を記録するだろうと午前中の天気予報でキャスターが話していたのを思い出す。

 隣に立つ美しい男を窺うようにちろっと見た。整った顔は暑さなど感じていないような様子で、半袖からのぞく腕にも襟元から見える首すじにも汗一つ見当たらない。男を見かけるのはいつも日差しが強い時間帯だというのに、日焼けしにくいのか肌も真っ白なままだ。


(この白い肌は汗をかくことがあるんだろうか)


 ふと、艶やかな肌に汗が流れる様を見てみたいと思った。おかしなことを思った自分にハッとし、慌てて視線を外す。


「あぁ、蜜がこんなに垂れて……」


 聞こえてきた声にそっと視線を向ける。男の指がノウゼンカズラの花びらの縁を撫でている。すうっと撫でた指は見る間に蜜で濡れ、続けて少し上に咲く花を同じように撫でたからか、蜜が手の甲を流れ手首を濡らした。


「……っ」


 なぜか見てはいけないものを見てしまった気がした。一度そう思ったからか居たたまれない気持ちになり、再び視線を逸らす。そのまま会釈をして逃げるように帰路に就いた。

 その日から僕はノウゼンカズラが咲く家の男のことばかり思い浮かべるようになった。


(いったいどうしてしまったんだろう)


 自分でもおかしいと思っている。どうしてあの男が気になるのかわからない。それなのに朝目が覚めたとき、日中歩いているとき、夕方の空を見上げたとき、寝る間際、何気ない日常の隙間で不意に男の美しく整った横顔が頭に浮かんだ。そのたびに鼓動が速くなり体温が上がる気がした。


(僕はあの人に恋でもしているんだろうか)


 世の中には同性を好きになる人がいるということは知っている。それがおかしいとも間違っているとも思わない。しかし、いざ自分がそうかもしれないと思うと戸惑いのほうが大きかった。


(確かめよう)


 ウダウダと考えていてもどうしようもない。そう考えた僕は、一週間ぶりにあの家の前を通ることにした。

 今日も日の出とともにグングン気温が上がり、外に出た昼過ぎには立っているだけで目眩がするような暑さになっていた。右手で目元に影を作りながらそばの木を見上げるものの、相変わらず蝉一つ鳴いていない。「この暑さじゃな」と思いながら目的の家の近くに来たところで家の前に人影があることに気がついた。


「久しぶりですね」


 声をかけられ小さく会釈をした。いつもどおり男は涼しげな表情をしている。少しだけ距離を取りつつ隣に立つと、ふわりとお香のような香りがすることに気がついた。これまで香りに気づかなかったが、美しい姿にぴったりの香りだと思いすぅっと深く吸い込む。


(……なんだか懐かしいな)


 昔、旅行先の京都で嗅いだ香りを思い出した。人混みが苦手な僕は碁盤の目を離れ古い街並みばかりを歩いた。地元の人しかいないような通りを散策していたとき、どこからともなく漂ってきた香りに似ている。


(たしかあれは……どこだったかな)


 思い出深い旅だったからか、今まで何度も思い返してきた。それなのに思い出そうとするとどこだったか記憶がはっきりしない。頭に浮かぶ景色はなぜかモザイクがかかったような状態で家並みも人もぼやけていた。


「薄暗くなってきましたね」


 男の声にハッとした。いつの間にか辺りはすっかり夕暮れになり、ノウゼンカズラが咲き誇る空も茜色と群青色が混じり始めている。たしか家の前に来たのは午後になってすぐだったはずなのに何時間も経っているような状況に困惑した。


「こういった時間を昔は“逢う魔が時”と言っていましたが、今はどうなんでしょうか」


 近くから聞こえた声に驚いて振り返ると、鼻先が触れそうなほどの距離に美しい顔がある。慌てて後ずさると男がくすりと笑った。

 夕方だというのにむせ返るほど暑い。それなのに体を取り巻く空気はやけにひんやりとしていた。立っているのは通り慣れた道だというのに、どこか知らない場所のような気がしてくる。


「あぁほら、滴る蜜に鳥が集まってきましたよ」


 男の声にノウゼンカズラを見上げた。何羽かの雀のような小振りな鳥がチチチと鳴きながら花の蜜を吸っている。鳥の羽は青色のような黒色のような不思議な色合いで、わずかに残った夕暮れの光に艶々と輝いていた。


「この蒿雀あおじたちは甘い蜜が好物なんです。とくに今年は何度もやって来ますね」


 鳥の名前に聞き覚えはなかったが、熱心に蜜を吸う姿は可愛らしい。


「蒿雀は山道を行く旅人を追いかけると言われていますが、この子たちは旅人を迎えに来ているんですよ」


 男を見ると、漆黒の目と視線が合った。


「鬼に喰われた人間はうまくあの世へと旅立てませんから、こうして先導してくれるものが必要なんです」

「え……?」


 男は今「鬼」と言っただろうか。突然の話題についていけず、それでも視線を外せずに美しい顔を見つめる。


「天に返してあげたいと思わなくもありませんが、まだ未練がありましてね。こうして手に入れるたびに蒿雀たちがやって来るんですが手放せないままでいます」


 男の唇が三日月の形に変わる。それは思わず見入ってしまうほど美しく、それでいて恐ろしいと感じる妖しさも漂っていた。


「いつかは手放さなくてはと思ってはいるのですよ。京の都が荒れ果てたときも、あずまの地が世の中心になったときも、異国の者がこの国を蹂躙したときも、平穏なあの世のほうが棲み心地がいいに違いないと思ってはいるんです」


 涼やかな声が薄暗い道に響く。僕は言葉を紡ぐ男の唇をじっと見ていた。男が話すたびに唇の端にチラチラと尖った小さな白いものが見える。象牙のようなその白いものには見覚えがあった。


(あれは……そうだ、あの白いものは牙だ)


 牙で間違いない。人の歯より少し鋭く尖ったそれは獣の牙よりずっと小さいが、確実に人の皮膚を食い破ることができる。そうできることを僕は知っていた。白い牙に赤い血が滴る姿は恐ろしいもののはずなのに、ひどく淫らに見えることも知っている。


「それでもわたしは手放せませんでした。何度そのときが来ても手を伸ばさずにはいられない」


 ゆっくりと伸びてくる男の手は指先まで美しく、いずれの爪も艶やかに整えられていた。


(……僕は、この爪が一瞬にして刃になることを知っている)


 今は短いこの爪が一瞬にして何倍にも伸びることを知っていた。どんな刃物よりも切れ味は鋭く頑丈で、人の首さえも一瞬のうちに斬り落とす様を見たことがある。その爪で目を抉り、首を斬り裂き、手足を斬り刻み、鮮血を滴らせる肉を喰らう姿も見てきた。

 脳裏に浮かぶ映像にぶるりと背中が震えた。それなのに男の顔から視線を外すことができない。


「そのせいであなたは美しい肉体を失ってしまいました。何度この世に生まれ出でても、あなたが得る肉体はすぐにこうして朽ち果ててしまう」


 男の指先が頬に触れた。そのままツツツと唇を撫でる。


「今でもあなたのしっとりした肌のなめらかさや艶やかな唇の感触は忘れられません。こうして触れれば……そう、朽ち果てようとも魂さえあればいつでもこうしてあなたに触れることができる」


 唇を撫でていた指先が顎に触れ、首筋をスーッと撫で下ろした。そこには皮膚も肉もなく、下顎骨から頸椎にかけてカタカタと小さく揺れ動く。


「骨しかなくともかまいません。魂さえあれば……ほら、絹地のようになめらかな肌はいつでも蘇ります」


 首筋から耳たぶの下までを撫で上げられ、思わず「はぁ」と吐息が漏れた。ないはずの頬が熱くなり、あるはずの目が少しずつ潤み始める。

 視線を上げると、自分を見下ろす男の目が赤く光っていることに気がついた。真っ白な額には、先ほどまでなかった角らしきものがにょきりと姿を現している。髪より黒いそれを目にした瞬間、脳裏に煌びやかな屋敷の様子が浮かんだ。部屋に並ぶ女房装束の女たちや公達の歌を詠む声、笛や琵琶の音まで蘇る。寂しくないようにとあてがわれた童たちが鳥を追いかける笑い声が耳の奥で響く。


「僕は……」


 絵巻物のような世界に小さなノイズが走った。美しい重ね着が掠れ、代わりに骨張った指が見える。その指がなぞるのは小さな紙で、紙には「死」と「別」、それに少しの片仮名が書かれていた。何と書いてあるのか顔を近づけようとしたとき、再びノイズが走った。

 今度は座敷の真ん中に敷かれた布団が目に入った。そこで体を起こしてタブレット機器を見ているのは若い男だ。若い男は画面を見ては窓の外に咲く橙色の花を眺め、画面に視線を戻してはため息をついている。


「どうしました?」


 声が聞こえた途端に若い男の姿にノイズが走った。タブレット画面に映し出されたメール画面の文字は読めないものの、「病」や「先祖」、「運命」や「家」といった文字がパッと浮かんでは煙のように消えていく。


「大丈夫ですか?」

「だい、じょうぶです。ただ、何かを忘れているような気がして……いえ、何でもありません」

「不安がることはありません。器は新しくても魂は昔のままですから、ときおり記憶に不具合が起きるのでしょう。ですが、こうしてわたしがそばにいるのですから心配いりませんよ」

「魂……不具合……?」

「何度も使っていると擦れて薄くなり、ときには穴が空いてしまいます。それは道具も魂も同じ」

「穴、」

「いくら肉体を新しくしても魂まで新品同様とはいきません。しかし人は見て呉れだけでも新しくしたがるもの。あなたたちが勝手に始めたことですが、こうして手元に戻るのであればどうということもありません。それに元はといえばあなたの願いを叶えるためのことですから」


 何を言っているのか理解できない。戸惑う僕に男が「それに約束したでしょう?」と口にした。


「約束……?」

「えぇ」


 美しいこの男と何か約束したことがあっただろうか。


(いや、そんなはずはない)


 男と出会ったのは今夏が初めてで、言葉を交わしたのも最近になってからだ。話といっても挨拶程度かノウゼンカズラのことくらいで男に何か頼み事をしたことはない。


「あの、何を……?」

「覚えていませんか?」


 問われて額に手を当てる。思い出そうとしたものの霞がかかったような感じではっきりしない。


「……すみません。どうしても思い出せなくて」

「かまいませんよ。人は忘れる生き物です。それでもこうしてあなたは存在し続けています」

「え?」


 聞き取れなくて顔を上げた。すると額に当てていた手を引っ張られ、気がつけば男の腕の中にいる。慌てて身じろいだものの、懐かしい香りを感じ動きを止めてしまった。


(やっぱり、この香りを僕は知っている)


 旅先で嗅いだ程度の感覚ではなく、もっと身近にあったような気がしてきた。


(これは薫衣香くのえこうの……いや、病臭を隠すための……違う、線香の……)


 香りを嗅ぐたびにどこかの景色が脳裏に浮かんだ。ところが一瞬で消え、今度は別の景色が浮かぶ。それもたちまち消えると別の景色が浮かんできた。目まぐるしく入れ替わる映像にこめかみがズキズキと痛み始める。


「どこか痛みますか?」

「……大丈夫、です」

「そうでした。あなたにはもう骨しか残っていませんから、痛みを感じることなどありませんね」

「骨、」


 そうだ、僕にはもう骨しか残っていない。


(骨しか……いいや、そんなはずはない)


 僕はこうして生きている。骨だけのはずがない。確かめるように恐る恐る両手を持ち上げ男の背中に回した。自分の腕が動くことも男の背中の感触もわかる。抱きしめる男の体がひんやりしていることもわかった。それは間違いなく自分の感覚なのに、段々と足元が覚束ない気持ちになっていく。

 ふと、視界にノウゼンカズラが映った。花にまとわりついていた蒿雀たちはいつの間にかいなくなり、チチチと鳴いていた声も聞こえない。


(僕は何かを思い出さなくてはいけない気がする)


 見上げていたノウゼンカズラの花から何かがぽたりと落ちてきた。よく見ると花びらを伝って蜜が滴っている。それがぽたりぽたりと落ち僕の頬を濡らしていた。

 歩道のこんなところまで花に覆われていただろうか。そう思い周囲を見ると、なぜか真っ暗で何も見えない。


(いつの間に夜に……?)


 いや、違う。もし夜なら民家の灯りがどこかしら見えるはずなのに、すべてが真っ暗だ。人の声や車の音、近くを走る電車の音すら聞こえない。


(まるでノウゼンカズラの中にいるみたいだ)


 浮かんだ考えにゾッとした。「まさか」と思いながら視線を左右に動かすが、男に抱きしめられたままでは満足に周囲を見回すことができない。


「今回もこうして約束を果たしました。さて、褒美をいただかなくては」

「褒美……?」

「えぇ。約束したでしょう? 一人きりにしない代わりに褒美をくれると」


 やはり僕は男と何か約束したのだ。目を閉じ、褒美とは何だっただろうかと考えた。しかし思い出すことは何もなく、美しいこの男が誰なのかも思い出せない。

 不意に男の手が頬に触れた。目を開くと美しい顔が近づいてくるところで、驚いている間に唇が塞がれる。途端に口からお香の香りが入り込み、考えていたことが有耶無耶になった。


「約束したとおり、あなたは死んだ後も一人きりになることはありません」


 鼻先が触れ合う距離で美しい男が歌うように囁いた。


「あなたは一人きりは嫌だと言いました。わたしが誰であってもいいからそばにいてほしいと。死した後も共にいてほしいと言いました。代わりに血肉も魂も差し出そうと約束してくれた」

「ち、にく」

「えぇ。捨てられたとはいえ高貴な御子は極上の味がすると言います。わたしは喜んで約束を交わしました。ところが血肉を喰らったところで魂を奪われてしまった。どこぞの陰陽師だかまじない師だかのせいでしょう。魂はゆっくりと頂戴しようと思っていたのに、ひどい話です」


 男がくすりと笑う。


「だから代わりの者を要求したのです。我らとの約束は反故にはできない。百年、千年と要求し続ける。すると、ある日あなたが現れた。約束したときのままのあなたがね。ところが血肉の味が違う。血筋ではあるんでしょうが、芳醇で甘やかな味がしない。でも、魂は違った」


 男の唇が耳に触れた。「魂はあなたのままだった」と囁く声にうなじが粟立つ。


「人の世には反魂はんごん招魂しょうこん泰山府君たいざんふくん、地蔵菩薩、安倍晴明に西行法師、様々な生き返りの言い伝えがあります。いずれかの方法で血筋の誰ぞに魂を吹き込んだのでしょう。もしくは赤児が胎にいるときに吹き込んだのか。いずれにしても喰らい損ねたあなたの魂はわたしの元に戻ってきました」


 男がうっとりと微笑んだ。


「しかし肉体はすぐに朽ちてしまう。わたしが迎えに来るまで生きていたことは一度もありません。ですからこうして魂だけいただいているというわけです」

「……僕、は」


 きっと死んだのだ。そう思った。途端に脳裏に鮮やかな景色が広がった。

 生まれたときから体が弱かった僕は、いつも座敷に敷かれた布団で寝ていた。家は広く、いや、人がいなかったから広く感じていたのだろう。古いその家は自分のような子が暮らすためにあるのだと教えてくれたのは誰だっただろうか。

 父母に会った記憶はなく、傍らにあったのはタブレット機器だけだった。それで見聞きしたものが世界のすべてであり、それでは得られない自分以外の誰かをいつも欲していた。


「知っていますか?」


 男の顔がスッと天を見上げた。暗い中で艶やかに光る赤い瞳に映るのは、暗闇でもなお咲き誇るノウゼンカズラの花だ。


「ノウゼンカズラは愛の象徴と言われているそうですよ?」

「愛の、象徴」

「えぇ。他者に絡みつく様子からそう歌に詠まれたそうですが、絡みつく愛とはまた情熱的だと思いませんか?」


 再び僕を見下ろした男が妖しく微笑んだ。


「ノウゼンカズラは蔦をどこまでも伸ばしてほかのものに絡みつくんです。抱きしめるように絡みついて、そのうち閉じ込めてしまう。大切なものを手に入れたことがうれしいと空に向かって花を咲かせ、悦びの結晶のように蜜を滴らせる。そう、まるでわたしのように」

「あなたの、ように」

「あなたはわたしだけのものです。極上の血肉はもう手に入りませんが、極上の魂はこうして存在し続け、未来永劫わたしのもの。度々呼び戻されるのは鬱陶しく思いますが、ひとときの別れというのも趣があるというもの」

「呼び戻される」

「えぇ。人は肉体がなければ不完全だと思っているのか、わざわざあなたを呼び戻しては新たな器を用意するのです。そんなことをしても血肉は戻らないというのに」


 男が僕の前髪をさらりと指で撫で上げ、愛おしむように目尻を撫でた。


「さぁ、また呼び戻されるまでの間、共にいましょう。あなたの極上の魂を少しずつ、少しずつ味わわせてください」


 再び口づけられ、お香の香りが一気に体に入り込んできた。鼓動が一気に速まり……いや、僕の胸は鼓動を刻まない。鼓動が跳ねたように感じるのは喜びではなく……。

 ふと、今朝たまたま見たニュースで今日は盆の入りだとアナウンサーが話していたのを思い出した。だから迎え火の用意をしなくてはと誰かが話していたが、はたして誰の声だっただろうか。美しい光模様を描いている盆提灯の向こう側に見えた仏花は、誰のために飾られたものだったのだろう。飾られていた写真は、タブレット画面に映り込んでいた若い男……だったような気もする。

 今朝も窓の外は盛夏らしく晴れ渡っていた。薄暗い家の中から見ると、あまりの眩しさに窓から見えるすべてが輝いているように感じた。空の青、もくもくと膨れ上がった入道雲、そして門のあたりを覆い尽くす緑と橙色の花たち、すべてが眩しい。


(そうだ、僕は橙色の花を毎年見ていた)


 生きていたときも、その後もずっと。送られることなくずっと。どうして忘れていたんだろうか。


「さぁ、わたしと二人きりで過ごしましょう」


 美しい男の囁きに、僕の頬に涙が伝った。それが喜びのためか悲しさのせいか、僕にはわからなかった。

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凌霄花(りょうしょうか)の下で 朏猫(ミカヅキネコ) @mikazuki_NECO

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