エピローグ――それぞれの想い

 オカルト研究部の部室のドアを勢いよく開くと、中では6人ほどの生徒が机を囲み、何やら話をしていた。


「本日は北海道、釧路湖に現れたネッシー、通称クッシーについての議論を……おや?」

「柚葉いるのか? 柚葉!」


 湖の写真やら、古い新聞記事が大量に貼られたホワイトボード。

 ボード横でまるで教鞭を取る教師のように立っていたのは、黒い髪をロングにおろした容姿端麗な少女――白石だった。


 そのすぐ前の席に座る一人の女の子に、僕は目を向ける。

 突然、乱入するように部室に入ってきた僕を、その子はキョトンとした様子で見つめてくる。


「お兄……?」


 何てことはない。それは、いつもの明るい陽気な柚葉だった。


「よかった……。本当によかった……」


 おかしいな。僕は滅多なことがあっても泣かないのに……。

 不思議と瞳からポロポロと涙がこぼれ落ちていた。



「お疲れ」


 日が茜色に染まる夕暮れの空。校舎屋上に立つ一人の女性。

 透き通るような淡い水色の髪を持つ彼女の名はミーシャ。


 手すりから身を乗り出しグラウンドを眺めるミーシャは振り返り、姿を現した赤髪の少女――メリアに優しく声をかけた。


「城ヶ崎はもう、この世界から消えたわ」


 メリアはきっぱり言い切ると、ゆったりとした足取りでミーシャの隣へと向かっていく。


「大変だったでしょ? 何回もループして悪魔と戦うのは。どう、どこも怪我してない?痛いところあったら先輩であるわたしに何でも言ってちょうだいね!」


 肩、首、頬、あご。

 隣に立つメリアの体の様々な部位を心配そうな様子で触れ回るミーシャ。


「適当な理由つけてベタベタ触りたいだけでしょ、あんた……」


 そんなミーシャの言葉を呆れたと言わんばかりの顔でメリアは返した。


「それに毎回、いい所で現れるのはあなたたちのほう。タイムレネゲートは二人の天使それぞれが時間を逆行し、挟み込むような形で悪魔を追い詰める。わたしはあなたの手の平に完全に踊らされてたっていうわけね」

「そんなことないわよ」


 ミーシャがキッパリと言った。


「わたしだけじゃない。これはみんなの力で、協力したことによる勝利。そしてそのきっかけは……彼ね」


 L字の校舎中央、一階の小さな窓がある部屋をメリアとミーシャが見つめていた。


「最初、わたしは柚葉ちゃんの前の被害者。佐藤さんを救うため、悪魔に脅され無理やり利害関係を結ばれた白石に接触を試みた。その状態では城ヶ崎を倒す手立てはなかった。でも、星川直也君。彼が城ヶ崎の家からタイムレネゲートを発動したことにより、全ての物語が始まった」

「ええ、そうね」


 ミーシャの言葉にメリアがはにかみ笑う。


「ループする中で衰弱する柚葉さんを見るたび、直也は必ずわたしとタイムレネゲートを使った。たくさん傷つき、苦しみ、狼狽えながらでも。わたしから提案したことは一度もない。それがすごく嬉しかった……。たった一人の妹を救うため、自らの意思で毎度、逆行することを決意してくれたことに……」

「ふ~ん。直也、ね……」


 メリアの顔を見て、ニヤニヤと笑うミーシャ。


「ふ~ん……!」

「な、何よ!?」

「いや? 人と距離を置きがちなあなたが、親しいように相手の名前を呼び捨てるなんて珍しいなぁって。どれぐらい仲がよろしいのかしらねえ?」

「べ、別に名前くらいどうとでもいいでしょ!」


 ミーシャの言葉に、メリアは顔を真っ赤にして叫んだ。


「嘘っ! 仲がいいどころか、ほの字じゃないの! とうとうメリアにも春がやってきたのね!」

「いいかげんにして! それ以上からかうなら、ぶん殴る!」


 メリアは今にも人を殺めそうな目で、ミーシャを睨みつけた。


「でも、ちゃんと伝えたの? 人間がタイムレネゲートを使った時の最後のリスクについて」

「それは……」


 先ほどの強気な態度はどこへ行ったのか。

 ミーシャの問いかけに答えるメリアの顔は悲しげな様子だった。



「ど、どうしたのお兄……?」


 いけねえ! 柚葉は困惑した様子で僕を見つめていた。

 とっさに僕は制服の袖で涙を拭う。


「お兄……? ひょっとして彼は柚葉ちゃんのお兄さん?」

「そうなんですよ、佐藤先輩!」


 柚葉は一つ年が上であろう、オカルト研究部の女子部員と話をしていた。


「それで……、わたしたちになにか用でしょうか?」


 白石がおそるおそる僕に尋ねてくる。

 オカルト研究部の白石。彼女はこの部活の顧問で人類の天敵悪魔の城ヶ崎に脅されるような形で柚葉をさらった。


 しかし、ミーシャの説得により改心した白石は、理科室で城ヶ崎の殺害に協力したのだった。

 僕がメリアとタイムレネゲートで戻ってきたように、彼女も同じくこの日へと戻ってきた……。


 いや、待てよ……?

 今、目の前にいる彼女は本当にタイムレネゲートしてきたほうなのだろうか……?

 もしかすると逆行したほうではなく巡行の、まだ悪魔である城ヶ崎に協力していた側……。


 確かめなくては。柚葉の安全のためにも。


「あぁ、大有りさ。特に君に」

「お兄!?」

「わたしですか……?」


 柚葉と白石はびっくりした様子だった。


「ずばり君が、悪魔の手先かどうかだ!」

「わたしが悪魔の手先……」


 変に誤魔化す必要もないだろう。単刀直入に僕は聞いた。


「君が悪魔に協力しているのは知っている。問題はそれが過去か今かの話だ。二度と柚葉に傷を負わせたくないんだ。話してくれ、君は悪魔か否か……」


 その時だった。僕の頭のてっぺんにゴツンときた強い衝撃。


「いてっ!」

「お兄、最低!」


 衝撃の正体は柚葉からのゲンコツだった。


「確かにわたしは、人とは違う変わった性格の持ち主です。心無いことを言われることだってありました。でも、人のことを悪魔だなんて酷い……!」

「白石先輩を泣かせるなんて!」


 白石はうつむき、目の周りが少し潤っていた。


 それに合わせ、彼女を慰めるように集まる部員たち。

 やばい、これピンチか?


「いや、待て違うんだ! 君を傷つけようとしたわけじゃないんだ。ただ、柚葉が心配で……」

「わたしが心配? お兄、何言ってるのよ」

「柚葉、今日は僕と一緒に帰るぞ! 本来ならお前はこの日、悪魔に攫われて……」

「悪魔に攫われる……?」


 ハッ、待て! 少し喋りすぎてしまったんじゃないか?


「今日、わたしが……? お兄が、何でそんなことわかるのよ」


 過去にいる人間にタイムレネゲートのことを知られてはならない。


 今の僕の言い方はかなりまずいんじゃないか。

 まるで未来を見てきたかのような言い方だ。この話を広げるのはダメそう……。


 違う言い方で僕が未来からやってきたとバレないように、柚葉へ自身に迫りくる脅威を伝えるんだ……!


「顧問の教師――城ヶ崎だっけ? 彼女、今日生理だ! 目に入った生徒をかたっぱしから怒鳴りつけるくらいに」

「城ヶ崎……?」

「そうだ! あいつ、めっちゃイラついてるから出会う前にさっさと僕と帰るぞ」


 悪魔というフレームをさけ、あえて城ヶ崎呼びをする。

 これならただ機嫌の悪い教師に近づかないよう忠告する、世話焼きな兄貴のように見える。


 フフッ、完璧だ……。我ながらとても弁がたつ。

 まあ、選んだワードはあまりよろしくないのだけど。


「誰それ?」

「えっ……?」


 柚葉が聞き返したと同時にドアが開く音が聞こえてきた。


「もうすぐ五時になるから、お前らもう帰れよ」


 ドアを開けたのは、ガタイのいい筋骨隆々な体育教師田中だった。


「何言ってるんだ? 誰って、お前の部活の顧問だろ。名前覚えてないのか?」

「お兄ちゃんこそ、何言ってるの?」


 話をする最中、ボードから紙を剥がして帰り支度をし始める部員たち。


「うちの顧問は今のバレー部と掛け持ちしている田中よ。というか、うちの中学に城ヶ崎って名前の教師いたっけ?」


 待て、待て待て待て……! おかしい。何かがおかしいぞ!


 僕の知る世界と何か様子が変だ。僕以外に城ヶ崎の名前を知らないどころか、まるでこの世界に存在すらもしてないかのような言い分だ。


 城ヶ崎……。あれ、この名前誰だっけ?



「過去に戻りタイムレネゲートが無事成功した人間は、それまでに起こった出来事全ての記憶が消える。メリア、あなたは本当にそれでいいの?」


 憂いな顔のミーシャが後ろからメリアに声をかける。


「ええ。わたしの役目はもう終わったから」


 屋上からオカルト研究部の部室をじっと見つめるメリア。

 彼女の視線の先には、苦楽をともにした想い人である一人の少年。


 天使はまた新たな違う土地、違う悪魔との戦いへと赴く。

 城ヶ崎が滅びた今、メリアがこの地に留まる理由はない。


 今生の別れ。直也はもう二度と自分のことを思い出さない……。

 メリアは唇を噛み締め、てすりを力強く握りしめた。


「そう。あなたがそうするならば、わたしはあなたの判断を尊重するわ……」


 ゆったりとした足取りでミーシャは近づくと、メリアの隣に立った。


「でも、これだけは言わせて。想いというのは伝えたい時、伝えないと一生後悔がつきまとう……」

「ミーシャ?」


 横に立つミーシャの顔をのぞくメリア。


「わたしは一応、あなたの人生の先輩だからね! 人並み……、いや天使並みにそれなりの経験からのアドバイス」

「ミーシャにも似たようなことがあったの?」

「さあ、どうかしらね?」


 メリアの言葉にミーシャは小さく笑って返した。


「あら?」


 部室を見下ろしているミーシャが不意に声を上げた。


「フフ……。どうやら、このまま終わりそうにないみたいね」


 ミーシャにつられ、部室へと目を向けるメリア。

 目が合った。屋上にメリアがいることを目視した星川直也は、部屋を飛び出した。



 僕の頭の中から記憶が消えていく。おそらくこの記憶が消えていくという記憶も、やがて僕はきれいさっぱりに忘れてしまうのだろう。


 何故、そんなことが起きているのか。

 浦島太郎みたいに玉手箱を開け、ボケ老人になったわけではない。


 タイムレネゲート。おそらくこれが原因だ。

 考えてみれば悪魔と天使が様々な時空を渡り、戦っているのにそのことが一切、人間の社会、歴史に伝わってないのがおかしかった。


 その理由は、タイムレネゲートで逆行してきた人間はそれまでに経験した出来事の記憶を失う。悪魔や天使といった物事の全てを。

 理科室ででっかい女だか、男だかの人間の姿をした悪魔を倒したことはうっすらと覚えてる。


 あっ。そういえば、ヒールを履いてたっけ?

 じゃあ、あいつは女だ。どこのどいつで名前はさっぱり忘れたけど。


 ただ、僕の脳裏に強く印象に残る少女。

 赤い髪のその子は常に僕の隣に立っていて、僕に勇気と希望を与えてくれていた。


 その子の名前はメリア。僕の想い人。

 あの時、した約束。彼女への想い――。

 ずっと、忘れてはいけない。この先も、忘れたくない!


 でも、そういうわけにはいかないのだろう……。なら、僕は……!


 階段を急いで駆け上がる。ノートのページを破り四つ折りにして作った一枚のラブレターを持って。

 こんな粗末な恋文を貰ってキュンとくる女子なんていないのは、生まれてから彼女いない歴の僕でも十二分に理解している。


 それでも僕は、例えどんなに拙くて無様な格好でも誠心誠意の想いを込めて記した言葉はその人の心、記憶に一生残り続けると信じてる!


 僕はにぎりに手をかけ、屋上へと続く扉を開いた。



 夕焼けの濃い茜色の空。制服姿の少年と少女が二人、屋上に立っていた。


「メリア!」


 少年が少女の叫ぶと校庭を眺めていた少女は、燃えるような真紅色の髪をたなびかせ、少年のほうへと振り返る。


「何?」


 きつねのような力強い目でじっと少年を見る少女。

 あまりの少女の迫力に、つい少年は恋文を後ろに隠してしまった。


「言うんだ……、言うんだ僕……」

「あの、声出てますけど……」

「あっ……!?」


 少女のツッコミで心の声が漏れ出てることに気づく少年。


「これ、受け取ってください」


 意を決した少年は少女の前まで走り出すと、手に持つ紙片を渡した。


「ありがとう……」


 消え入るような声で返事をし、手紙を受け取る少女。


「君への想いとあのときの約束。後悔しないようしっかりと書いたから。時間があるときにでも読んで、メリ……」


 少年が少女の名を言い切ろうとした瞬間、彼の口が急に止まる。


「あれ、ここ屋上……? 何で僕、こんなところにいるんだ?」


 すると少年は不思議そうな様子で、キョロキョロとあたりを見渡した。


「そうだ! 柚葉を探してるんだった。あいつ、今日。一緒に帰る約束したのに、どこほっつき歩いてるんだ?」


 少年は怒った表情を浮かべると、踵を返し少女に背を向ける。


「バイバイ。直也……」


 少年が扉を開け屋上から姿を消すと、メリアは小さな声で直也に分かれの挨拶を告げた。

 四つ折りに折られた紙片をその場で、メリアは広げる。


「どれどれ」


 二人の邪魔をしないようにと、先ほどまで屋上の貯水タンクの裏に隠れていたミーシャ。

 彼女がひょっこりとメリアのそばまで近づくと、ためらいもなく横から直也の綴った恋文を横から覗き込んだ。


「へえー。彼、見かけによらずけっこう情熱的な文章書くのね。あら、これは何かしら?」


 ミーシャが指さしたのは、ラブレターの最後。

 手書きで描かれた簡易的な地図。


「そういえば、そんな約束してたかしらね」


 中央の駅部分から西へと伸びた道の一番端。

 バツ印で示した場所に矢印で一言「カフェ」と書かれていた。


 それは柚葉が無事救われたら、メリアに紹介すると伝えた直也お気に入りの喫茶店の場所を案内する地図。


「フフ、バカね……」


 その絵を見て、メリアは小さく笑った。

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タイムレネゲート 森川学 @morikawa2

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