逆行する4月26日

 あと、少し……。

 僕は今、自宅二階の自室でタイムレネゲートが解除され、巡行と逆行が交わる時を迎えていた。


 時刻は26日、午後9時前。サイレンの鳴らない赤ランプだけが点灯するパトカーが僕の家の前に止まっていた。


「今はちょうど、ご両親が通報して家に警察官がやってきた時?」

「うん」


 僕は部屋に一緒にいる、27日の廊下で一緒に逆行してきたメリアに事の顛末を説明する。

 下では父さんと母さんと巡行の僕が警察に柚葉が失踪したことについての概要を話していた。


 今、この時間帯の星川家にいる人間が、僕のいる二階へと上がっていくことはない。

 タイムレネゲートが再び発動するまで、このままここに留まりやり過ごせば安泰だろう。


 もう、半日もない。いよいよ、校門付近で柚葉と別れた時間帯まで巻き戻る。

 三日ぶりの柚葉との再会。短いような長いような……。


 とにかくまた、無事な姿の柚葉に出会える。


「もう一度確認するけど、巡行の自分に気づかれないように体に触れるのよ」


 今、メリアが話すのはタイムレネゲートを解除し、また巡行の時へと戻るためのレクチャーだった。


「あなたが言った、26日午後4時過ぎの時間でタイムレネゲートは解除される。そっからはもう時間の逆行は起きない。触ることで逆行してきたあなたの体が世界から消え、意思だけが巡行のあなたに上書きされるような形で、タイムレネゲートは終わりを迎える」

「うん、わかってる」


 目の前のメリアは僕のことを名前で呼ばない。それもそのはず、物置小屋だったり、一緒にバイクに乗って親睦を深めたメリアとは昨日……。


 ああ、もう紛らわしい! 明日(27日)の理科室で別れてしまったからだ。


 まるで一生懸命育てたRPGのキャラクターが、セーブデータが消えレベル1で始まった時のような……。

 いや、それ以上だ。人間関係の信頼度がリセットされるのが、こんなに堪えるとは思わなかった。


「本当に!? 魂抜かれたみたいな腑抜けた顔してるけど。ちゃんと理解した?」

「理解してるよ、失礼な!」


 まるで心配性な母親のようにしつこいメリアに、つい僕はその場で足踏みをして返してしまった。


「あっ……」


 ドスンというような音が階下に伝わる。


「何か上で音しませんでした?」


 下から小さく聞こえる若い刑事の声。


「こんな展開はなかったのに!」


 最悪だ……! 階段を上がってくる音が鳴り響く。

 間違いなく警察は今から、僕の部屋に調べに入ってくる。


 もし、逆行してきた僕の姿を警察が見てしまったら……。


 あぁ、何でだ! あと少しで柚葉と再会できるというのに……!


「何を狼狽えているのよ、あなた。別にタイムレネゲートは全部が全部、完全に同じ時を再現するとは限らない。ささないな違いも多少はあるわ」

「ささいなわけあるか!」


 クソッ、メリアの奴!

 僕の絶体絶命のピンチだと言うのに、何でこうも落ち着いていられるんだよ……!


「ハア……。まあでも確かにこのままだとあなた、タイムレネゲートが再開するまで持ちそうもないわね」


 メリアが僕の部屋の窓際のほうへとおもむろに足を進める。


「仕方ない。注意引いてあげるわ」


 窓を開き、身を乗り出そうとしたメリア。


「待って!」


 そんなメリアを僕は慌てて呼び止めた。別に、飛び降りしそうになった彼女を案じて呼び止めたわけではない。

 今まで見てきた天使の身体能力なら、家の二回ぐらいから飛んだところで何ともないことはわかってる。


「ここでお別れなんだね」


 逆行するメリアと会うのが、最後だということで呼び止めたのだ。


「そういうことになるわね」


 メリアの顔を見て、一緒に経験したたくさんの出来事がよみがえる。

 思い出に浸る僕とは打って変わって、メリアは冷めた表情。

 温度差に少し寂しさを覚えるが……、嘆いても仕方ない!


 むしろここまで僕のために協力してくれたんだから、忘れられたくらいで堪えるのはガキの思考だ。

 彼女への想いは、僕が取っておこう。僕だけが記憶に留めておけばいいんだ。


「じゃあね」


 僕が惚れた人……。僕が別れの挨拶をすると、メリアが窓から飛び降りた。


 メリアがいなくなったことに入り浸る間もなく、僕はクローゼットを開け隠れると中から扉を閉める。


「いねえじゃねえか」


 それからすぐにクローゼットの外から聞こえる、年季の入るベテラン刑事の声。


「あれ……? おかしいなぁ。確かに聞こえた気がしたんですけど……」

「どうせ、ただの家出だろ。最近の親は何かと過保護だからめんどくせえ。捜索願出してもらってささっと帰るぞ」


 そうだ、いいぞ! 納税者が聞いたらブチ切れそうな、クソみたいに怠慢なデカだが今ほどこの態度にありがたみを覚えたことはない。


「そうですか……。わかりました。でも気になるんで、一応ちょっとこの部屋調べてみてから、先輩に合流します」


 えぇ、お兄さんは何でそんな真面目なの……!? 公務員の鏡か、お前は!

 たまにはサボリたい時だってあるだろうに。

 今だけは不真面目になってくれよぉ……!


「おぉう。早くしろよ? 子煩悩な親諭すほど、この世にめんどくせえ仕事はねえんだから……」


 ジッ! ――若い女の乗るバイクが、環七通りを規定速度をはるかに超え爆走中。至急、応援を求む。――


「了解、すぐに向かう。先輩、今の!」

「ああ、わかってる! さっさと行くぞ!」


 警察無線の音声何だろうか刑事たちが応答すると、バタバタと忙しないような駆け降りる足音。


「ふぅ~」


 危機一髪の窮地を脱し、溜息が漏れる。


 しかし、助かった……。

 今の時代に、暴走族だなんて。社会のゴミカスに感謝だな。


 しかも、レディースなんて珍しい。女がバイクに乗っていること自体、僕の知り合いだとメリアぐらいしか……。


「あれ、まさか?」


 世界から色が消えると、再び時間逆行が始まった。



 ***



「ええ、そうさせてもらうわ。十四年間彼女なし、同じ学校に三年間通って友達ゼロのお兄ちゃ~ん」

「何!?」

「ベェーだ」


 フフッ……。自分が煽られてる姿を客観的に見ると、少し滑稽に見えるな。

 タイムレネゲートが発動する前に、クローゼットから拝借してきた冬用のダウンジャケット。

 フードを深くかぶったその姿で僕は、校門の前でその時を待ち構えていた。


 よし! 柚葉に言い負かされ、悔しそうな顔を浮かべる巡行の僕。

 今なら、気づきそうにない。校門を出て帰路に就こうとした瞬間、僕は巡行の僕に肩を軽くぶつけた。


 すると何故か僕のほうが吹き飛ぶと、衝撃でコンクリートの地面に尻を勢いよくぶつけてしまった。


「痛ってぇ!」


 急に倒れた僕を不思議がってるのか、顔をのぞきこんでくる何人かの生徒。


「ん?」


 気づいた僕は自分の体に視線を落とした。

 その恰好はジャケットなど着ていない、学校指定の春用の制服。


「戻った!」


 周りの目などお構いなしに叫んだ僕は立ち上がると、学校に向かって走り出した。

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