原因と結果と、その理由②

 明らかに不機嫌そうな雰囲気の彼に、思わず足を止めてしまう。

 彼はコートに片手を突っ込んだまま、反対側の手で忌々しそうに前髪を搔き上げた。



 良かった。



 どうやらまだ溜め息は出る前だったらしい――――



「お前さぁ、さっきから何なんだよ。聞いててすげぇムカつくんだけど。何それ。俺に対する当て付け?嫌味?マジでムカつく」



 ―――けど。



 結構な勢いでご立腹らしい。

 私はどこかで、彼の地雷を踏んでしまったらしい。



「ま、待ってごめん!そんなつもりなんてない!当て付けも嫌味も言ったつもりなんてない!」


「どう考えても当て付けだし嫌味だろ」


「言ってないよ!そんな事言ってない!ただ寒いから早くどこかに入りたくて――」


「ほらそれ。それがもう嫌味だろ」


「え、何で!?どこが!?」


「こんな風に金の掛からないデートしか出来ない俺への嫌味だろ。なんつっても俺は無職だからな。金持ってねぇのは仕方ねぇし」


「う、うんわかってる。わかってるよ」


「わかってねぇだろ」


「わかってるよ!でも私は別にお金の掛かるデートなんて望んでないし――」


「望んでなくてもそうやって寒い寒い言われると、こんなガキみたいなデートしか出来ない事を責められてるような気分になるし、金持ってない事をバカにされてるような気分にもなる」


「ごめん!そんなつもりなかったし寒いのはホントだけど、実は足の方がもう限界で!このヒールのせいで足が痛くて――」


「ほらな。それだって同じだろ」


「な、何が?何が同じ?」


「立ちっぱなしで草野球なんて見せられた所為だって言いたいんだろ。結局は俺の所為なんだろ」


「言ってないよ!言ってないし思ってもない!」


「言ってるのと同じなんだよ、お前の言い方は。思ってるのと一緒なんだよ、お前の態度は」


「ごめん!そうだったらごめん!」


「そうだったらって何」


「そんな風に思わせちゃったならごめん!」


「…………」


「そんなつもりなかったんだけどごめん!」


「何か……こうして金ないのにお前に会いたくて会いに来た気持ちを踏みにじられた気分だ」


「ごめんってば!ホントにごめん!」


「…………」


「だ、だから機嫌なおして?」


「…………」


「ね?ごめん」


「…………」


「だから焼肉行こ?」


「…………」


「美味しいもの食べて機嫌なおして?」


「…………」


「せっかくこうして久々に会えたんだもん!こんな風になっちゃうのは寂しいし――」


「こんな風にしたのはお前だろ」


「で……も」


「こんな空気にしたのはお前だろ」


「でも、こうして謝ってるんだからお願い。もうこの話は――」



 ――ああ、寒い。



 そして、痛い。



 こんな風になっちゃった彼は、いつもいつも聞く耳持たずで最後には――



「もう良い」


「……え?」



 ――これだ。



 いつもいつも、こうだ。



「何かもう、デートって気分じゃなくなった」


「だ、だって焼肉……は?」


「だから、焼肉食う気分じゃなくなった」


「…………」


「帰るわ俺」


「え、か……帰っちゃうの?」


「帰る」


「…………」



 呆然と立ち尽くす私を尻目に、彼はクルリと向きを変えると来た道を戻り始める。



 ゆっくりと。

 蟻ほどの歩調で。



「あーぁせっかくこんな寒い中会いに来たのによー金もねーのによー」なんて、聞こえよがしなセリフを呟きながら。



「ご、ごめん!電車代出そうか?」

 仕方なくそう言うしかない私と。



「タクシーで来たんだわ。金もねーのに」

 いつもと同じ彼。



「な、ならタクシー代出すよ!いくらだった?」


「5000円」


「ホントにごめんね?」


「全くだよ。焼肉だって行く気なくなるし」


「…………」



 すべての出来事には原因と結果がある。



 だったら、原因は何だったんだろう。



 彼と出会ってしまった事なんだろうか。



「んじゃ焼肉代も出すよ。それで何か美味しいものでも食べて帰って?」



 慌ててバッグの中から財布を取り出す私を、再度足を止めた彼が肩越しに振り返る。



 そして、ゆっくりと切り出して来る――



「お前さ」


「ん?何?」


「服買ったり靴買ったりさ。ボーナス出たんだっけ」


「え、う……ん」


「ならさ」


「…………」


「ちょっと金貸してくんね?」


「……いくら?」


「3万。いや2万でも良い」


「…………」



 ――これもいつものパターンだ。



 無職でお金もないのに、お前に会いたいからタクシーに乗ってまで来てやった。

 なのにお前はそんな自分の気持ちも知らずに文句ばっかり。

 だから俺はショックを受けた。

 もうデートを続ける気もなくなった。



 でもお前が悪いんだから仕方ないだろ?



 だから俺が金貸してって言っても断れないだろ?



 どうやら彼はそう言いたいらしい。

 いつもいつもこのパターンだ。



 彼に言わせれば、自分が無職なのもお金がないのも全部私の所為。

 私がこうしてイライラさせなければ、きっと仕事も続くしお金を借りる事もないんだろう。



「う……ん」



 見下ろした手元の財布の中身は5万円。



 さすが私。

 長い付き合いで、ちゃんとこうなる事を見越してた。



 この中身をそのまま渡してしまえば、この場は収まる。

 彼の機嫌も直る。



 私たちは今まで通りの付き合いを続け、また数か月後に来るだろう彼からのデートの誘いにワクワクする事が出来る――……



「あの……ね。ごめん……お金、持って来るの忘れた……っぽい」



 ああ、寒い。

 そして、痛い。



 何よりも、怖い。



 財布を握りしめた手が震えてるのは、きっと寒さだけの所為じゃない。



「……はぁ?」



 不機嫌さ丸出しの彼の顔は、夕日の逆光で良く見えなかったけど。



 逃げるように視線を逸らした先にあったのは、赤いペンキの落書きのある電信柱。



 I can fly



 私は、飛べる……



「……うん。お金持って来るの忘れたの。だからお金は貸せない」


「いやいや。お前、何言ってんの?」


「だからタクシー代も焼肉代も出せない」


「いやだから。何言ってんの?」


「知ってるよ。これからデートなんだよね?だからお金が必要なんでしょ?」


「は?」


「さっきのあの野球の子だよね?1人だけ女の子いたじゃん。あの子」


「……はぁ?」


「これから待ち合わせなんでしょ?知らないと思った?気付いてないと思った?こういう事これで5度目だよ。6度目かもね」



 冬が寒いのは、私の所為じゃない。



 でもこの人と出会ってしまったのが原因なら、一体何が悪かったんだろう。



 ただ、そこには理由があった。



「お前……自分が何言ってるかわかってんの?」


「…………」


「お前、俺と別れても良いの?」



 そう。

 これが理由。



 周囲はどんどん結婚して行く。

 幸せな家庭を築いて行く。



 ダメな男だとわかってても、7年という月日が邪魔をしてた。

 7年という年月が、無駄になってしまうのが怖かった。



 それを彼にもちゃんと見抜かれてた。

 そこに付け込まれてるのもわかってた。



 でももう、終わりにしなきゃ。



 その為にお洒落して来たんだから。



 これは自分の為の、勝負服なんだから――



「――うん。っていうか私、結婚するんだよね」


「は!?」


「だから別れるしかないんだよね」


「は!?は!?」


「でもお互い様だよね。そっちだって好き放題やって来たんだから」


「おま……浮気してたのかよ!?」


「それ言っちゃうんだ。自分の事棚に上げて」


「…………」


「だからお互い様でしょ?恨みっこなしだよ」



 ウソだけどね。



 ホントは結婚する予定なんてないどころか、新しい彼氏候補すらいないけどね。



 でも、ずっと我慢して来たんだから最後くらい良いじゃん。

 これくらいのウソ、許されるよね。



「あぁ、そういえばあの人妻」


「……は?」


「あんたが去年の夏まで会ってた……多分5人目?赤の外車乗ってるあの人妻」


「え、何で知って……」


「どうやら旦那にあんたと会ってる事がバレて大変みたいだよ?旦那に慰謝料請求されるかもね。気を付けて」



 これはホント。



 だってその旦那、私の上司なんだもん。

 世間って狭いよね。



「んじゃ私も帰る。マジで洒落になんない寒さだわー。まさか草野球の観戦するなんて思ってなかったからねーそれならそうって言ってくれれば、こんな事にはならなかったのにねー」



 これも……多分ホント。



 もしも今日、温かい場所での優しいデートだったなら、結果は違ったかもしれない。



 甘いよね、私。

 でも好きだったんだもん。



「ちょっと待てっておい!待てよ!!」



 歩き始めた私を、慌てた彼の声が追いかけて来る。

 こんな事態、初めてかもしれない。



 再び目に入る、赤い落書き。



 I can fly



 私、飛べたよね。



「待てってばおい!ちょっと待……うぉ!?何か踏んだ!!何だこれうわっ!!犬のうんこ……!」



 何でこんな所に犬のうんこが!!と怒鳴る彼の声をBGMに、私たちの7年は幕を閉じた。



 さぁ、前を向こう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

原因と結果と、その理由 ひなの。 @hinanomaru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

参加中のコンテスト・自主企画