俺と君はバッテリー……今日までは。

左原伊純

俺と君はバッテリー……今日までは。

 夏の朝の神宮球場。

 リトルシニア日本選手権の初日だ。


 雲一つない青の空は、俺達の心を追いつめるように澄んでいる。陽の光が容赦なく全ての人を照らす。


 午前九時、全ての準備は整った。


 一塁側に青のユニフォームの俺達『東京バレッツ』。


 三塁側に白のユニフォームの『京都ウィングス』。


 三塁スタンドで、100名近くのウィングスが応援する。白のメガホンから響く声援の大音量が、ウィングスの層の厚さを示す。とんでもない迫力だ。


 対する俺達バレッツの部員数は20名だ。全員がベンチにいる。


 人数では圧倒的な差があるから、ウィングスには1つの恐れもないんじゃないかな。


 俺達バレッツは結成3年目で、ウィングスは30年目。

 バレッツの保護者の皆さんは番狂わせを必死に願っていて、いつもより緊張しているみたいだ。


 マウンドに登ったウィングスの投手の投球練習に、観客が感心して「おおー」とか言ってるのがあちらこちらから聞こえる。


 俺達が先攻だ。

 数の不利をひっくり返そうと、声だけは出していこうと皆で決めていたけど、ウィングスの声にかき消されてしまう。


 俺達はあっという間に三者凡退した。ウィングスの選手たちが当たり前だという顔をしているのが、ちょっとだけムカつく。


 ウィングスのあいつらは気が強そうに、ぶんぶん素振りをしている。


「必ず先制点だ!」


 ウィングスの監督がでかい声で叫ぶ。


「言われてるな」


 俺らの監督は今年就任したばかりで、野球は素人だ。相手監督の圧の強さにびびっている。


「監督、大丈夫ですよ!」


「うーむ」


「だって俺らには姉貴がいますから!」


「……そうだな!」


「まーた姉貴呼ばわり?」


 姉貴こと茜が冗談っぽく顔をしかめた。

 背中に届く長い髪を帽子の下で1つにまとめている姿は女子らしい。

 中1の時は男子と大して変わらなかった体つきも、今は丸みを帯びた輪郭になっている。


「さあ皆、茜の出番だ! 声出してけ!」


「「「うす!」」」


 笹野茜は俺達のエースだ。

 170センチあるから、女子だけどそれなりに迫力があるだろう。


「正樹ー!」


 茜がマウンドからよく通る声でホームの俺に向かって叫ぶ。


「おう、どうしたー!」


「今日は調子がいいよ! 絶好調だよ!」


 俺がキャッチャーミットをパン! と叩いてど真ん中に構えると、茜が投球を開始する。


 上げた左足は鋭角気味だ。姿勢を固定するのは一瞬で、マウンドに叩きつけるように踏み込む。


 ねじる力を全身に、そして右腕に渡す。ボールが放たれた後、伸びた右脚が跳ねる程の勢いだ。


 バックスクリーンに表示された125の数字が球場を沸かせるが、俺達にとってはこんなの当たり前だ。


 球場の空気がまるで変わった。

 全ては茜の力だ。


 三者凡退に抑えてやると、100名のウィングスが息をのんでいる。


 茜がベンチに戻ると、バレッツの皆がはしゃぐ。


「さすがです! 姉貴」


「姉貴ー」


「姉貴呼びするな」


 相手は俺達を恐れていないだろうけど、本当は俺達にだって恐れはなかったんだ。


 結成して初めて日本選手権に来たバレッツに失う物はないのだから、前進するのみだ。


 序盤、茜の球について行けず、ウィングスは空振りばかり。茜のストレートは空振りを取れるくらい球質がいい。


 だから俺は茜にとことん直球を投げさせる。フォークとカーブはたまにでいい。


 狙いを定めた打者を笑うように、大幅なアウトコース低めに球がバウンドする。俺が跳ぶように体を伸ばして捕ったことに、球場が驚いている。

 悪い気はしないな。


 その直後にインコース高めに最高の球をぶち込むのが茜だ。

 俺だって茜を相手にしたくないよ。

 狙いが定まらないし、定めても空振りを取られるし。


 ベンチに戻ると、茜は綺麗な長い髪を結び直している。

 なんとなく直視できなくて、どうしようかなと思っていると、ふと口から言葉がこぼれた。


「フォアボール姉貴は今日は6つだな」


「大会なのにその呼び方しないでよ」


 もっと他に言いたい事があるような、無いような。自分でもよく分からない。

 まあ、茜の四球が多いのは本当だから、いいか。


 5回が終わり、3対3で同点だ。ウィングスは3人目の投手が準備をしている。


 バレッツは一度外野の小松と交代したが、再び茜がマウンドに立つ。


 ウィングスが茜から打ったヒットは3本のみ。


 ウィングスの得点は、小松から2点と、茜の四球を利用しての1点だ。茜は凄い。……最も、ヒット無しでも得点に結びつける強豪の技は怖いのだが。


 7回表、バレッツの攻撃で9番打者の茜の番が来た。


「姉貴がんばれ!」


 またしても茜を姉貴と呼ぶ俺達に苦笑いし、茜は打席に立つ。


 バントを決め、余裕綽々でベンチに戻る。俺とハイタッチして座った茜は虚空を睨むような険しい顔をする。次の投球の事を考えているのだ。


 こういう時、俺は邪魔をしないと決めている。

 はっきり言って、茜と俺は野球の才能が違う。茜はそんな事ないよといつも言うけど、絶対そうだ。


 バレッツが点を追加し、1点リードで7回裏を迎える。


 あと3人押さえれば勝つ。

 ウィングスが必死に叫んでいる。

 彼らを意に介さず、茜は楽しそうにしている。


 茜の120キロのフォークがホームを強烈に叩き、土が跳ねる。

 激しくバウンドするフォークでも、俺は後ろに逸らさない。

 直球と30キロの差があるカーブで、笑えてしまうほどの大きな空振りを取った。


 あと2人押さえれば勝つ。茜は強打者など恐れない。

 最高のタイミングで真っ芯に当てても外野フライに終わった打者は、信じられないという顔になる。

 地区予選から今まで、何人もをこの顔にした。


 茜のストレートの真価は速さではなく、重さだ。

 打たれても飛びにくく、詰まったフライになる。

 先程の打者も他の投手ならホームランにできた。それほどいいスイングだった。


 あと1人押さえれば勝つ。


 だけど、何故だろう。嫌な予感がする。

 打者を翻弄する陰で、ボール球が増えていた。


 相手は四球を起点にして得点できるような奴らだ。


「おい姉貴」


 マウンドへ走った俺に、茜は笑みを見せた。


「私がまたやらかすと思ってる?」


 笑顔の茜にプレッシャーを感じている様子はない。楽しそうにボールを握る。可愛らしい丸い目は試合を楽しんでいる。


「さっさと終わらせよう」


 俺はこれ以上の事を言わない。言わないと決めているのだ。茜は自らメンタルを調整できるが、その分、外から干渉できない。俺は茜の心に口を出すことをあまりしたくない。


 最後の打者にしたいのに、ファールにされ続け、ますます嫌な予感を強まる。


 適当に打ってくれた方がまだましだ。


 茜はピンチさえ楽しそうで、不気味だ。


 俺だけはそれが茜のふるまいだと分かってしまうんだ。


 ファールで2ストライクに追い込んだ。あと1球、緩いのでいいからストライクにして欲しくて、ストライクゾーンに直球を指示する。


 ボールになった。嫌な予感の当たってしまうのか。


「姉貴!」


 茜平常心に見えるだけだと分かるのは俺だけだ。


「適当に打たせてもいいから、四球だけは」


「分かった。大丈夫」


 茜が頷いても、俺は安心できない。


 茜の精神が弱い方が、まだ扱いやすかった。

 俺に茜の手綱は握り切れない。


 投手を助けられる捕手だったら良かったと、思ってしまった。


 速度と球質を両立した球は、制御できない暴れ球だった。

 俺達が2年生の時は、暴投と捕逸の数は異彩をはなっていた。

 敵だけでなく、味方さえ振り回すのが茜の投球だった。


 四球になる。


 俺達は大会中に何度も危ない線を乗り越えてきた。


 だけど進み続けただけで飛躍はしていなかったと、気づいた時にはもう遅い。


 試合は延長し、4対5でウィングスの勝利だ。


「ごめんなさい……」


 茜は泣きそうだが、涙をこらえている。ギリギリのところで踏みとどまっていて、涙を流さない。

 俺達以外は泣き、ここまで来たと笑い、抱き合った。

 監督が泣いても、茜は泣かない。俺もだ。


 帰りのバスは寝ている人もいる。皆、疲れている。体も、心もだ。


 他のチームと違い、全国を目標にもしていない弱いチームだった。

 神宮で全員が試合に出た。

 極端な程上昇した喜びの後に負けの悲しみに叩かれた。

 深く眠って無理はない。


 茜は車窓を見ている。


 投手を助けられる捕手だったら良かったと、試合中に思ってしまった俺は馬鹿だ。

 そんな事を試合が終わる前に思ってしまったら駄目じゃないか。


 俺達はもう一緒に野球ができない。

 俺にもっと才能があったらな。

 茜を優勝投手にしてやれたのかな。


 茜はずっと窓ばかり見ている。

 日が沈み始めて、車窓が暗くなり、茜の顔がぼんやりと映った。


 泣きそうなのに、我慢している。

 これが茜なりの責任の取り方なのか。

 茜に責任なんてないよ。

 

「俺は茜と一緒で楽しかった」


 唐突だったかな。


「最後だからって、いいこと言わないで」


 茜の声が震えている。


 1年生の秋の大会後、「強いのに四球ばっかりだからフォアボール姉貴だ」と茜に言った。最初は怒った茜だったが、チームメイトまで真似して姉貴と呼ぶので、諦めた。

 

「茜がいたから、楽しかったんだよ」


 中学校の軟式野球部の監督に断られたから硬式のチームに入った茜。

 男子に混じっても誰よりも元気だった茜。


「正樹が私をフォアボール姉貴って呼んで、皆で私をからかっていい雰囲気を作ったから、チームでたった1人の女子が浮かなかったんだよ」


 なんだ、気づいていたんだな。

 俺の中学3年間の野球が報われた。


 ついに茜が泣き出した。

 俺が泣かせたって、泣かせる事ができたって、うぬぼれていいのかな。


 バスから降りた。いつもの生活の場所に帰った時、もう俺と茜は泣いていなかった。


「キャッチボールしよう」


 皆が帰ったグラウンドで、キャッチボールをする。


 俺は地元の公立高校に行くけど、茜は女子野球部を求めて他県に行く。


 茜が女子の群れの中で楽しく野球をできるようになれば、俺の事を忘れるだろうか。

 バレッツは茜にとって前日譚みたいな物になるのだろうか。


 俺にとって茜とバッテリーを組めたのは一生ものの思い出なのにな。


 パシ、と茜の球を受け取ると、また投げ返した。


「まだやるの?」


 茜が笑う。もう終えてもいい頃合いだ。

 だけどそう言いつつも茜もやめない。


 頼むから、このままいつまでもキャッチボールをさせてほしい。


 今だけは別々の道に進む未来を見ずに、茜と向かい合っていたい。

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