7 分からない気持ち

 千里の小説を読んでから、秋津へのもやもやは加速するばかりだったけれど、一緒にいる時の秋津は今までと何も変わりなくて、つい彼の気持ちを聞くタイミングは逃し続けてしまっていた。秋津は何度か部活で読んだ本の話はしていたけれど、あの小説の話も、部誌の話も一向にする様子がない。代わりに始まったのは文化祭準備の話題だった。


「今回は俺、ちょっと書きたい話があるんでな」

 時折立ち寄るスーパーで、いつものようにメロンパンを買った秋津は、店を出るなりそれにかぶりつきながら喋りはじめた。

「ほら俺、今まで自分の書いたもんは茅に見せてなかっただろ?」

「あれ、秋津も書いてたの? 全然言わないから知らなかったよ」

「いやいや、毎回書いてはいたんだぜ? けどよ、霧山さんのやつ読むと、なんかこれ見せるのはどうなんだと思っちまってな」

「あー、上手な人のやつ見ると自信なくなる、みたいな?」

「そうなんだよなぁ」

 それでも秋津の書いたものなら読んでみたいと思うけれど、確かに私にも理解できる。鹿角先輩の絵と自分の絵が同時に展示されるのは、今回の学祭が初めてになるけれど、楽しみなのが半分、比べられそうで怖いのが半分だ。

 秋津の隣に並んで、私も自分用に買ったクリームパンをかじった。五時を過ぎると値下げが始まるこのスーパーのパン屋さんは、小遣いの少ない私たちの強い味方だ。

「そう言えばよ、あれからモデルとやらに話はつけられたのか?」

「ううん、まだ。正直どうしようかってまだ悩んでる」

「おいおい、もう準備期間が始まってんだぜ。早くしねぇと展示会、間に合わないんじゃねぇのか?」

「分かってるんだけどねぇ……。いやほんと」

 言いながら、私は横目で秋津の横顔をちらっと見た。

 あの千里の小説を読んで以来、秋津にモデルを頼むのは余計に気が引けるようになってしまった。千里が秋津に好意を持っていることは分かり切っていたけれど、それが形を持ってあんな風に胸に迫って来ると、私がこうして秋津と過ごす時間が、何だか後ろめたいような、それでいてそう感じることに苛立ちを覚えるような、妙な気分になってしまう。

 一人でいるとその気持ちは少し落ち着くので、今は撮っておいた写真を元に絵を描き始めているけれど、それも時々、このまま描き上げていいのか迷って、筆が止まりがちだった。


 クリームパンをもちもちしながらじっと考え込んでいると、不意に秋津はこちらを向いた。

「そういや、最近この辺で不審者が出るって言ってたよな」

「ああうん、ホームルームで言ってたね」

 今日の夕方の事だった。帰宅中の学生を狙ってのことなのか、帰り道に見知らぬ男に追いかけられたり、肩を掴まれたりする子がいたと、担任の先生から注意があった。

「茅、これから遅くなるんだろ? 俺もこれからは遅くなりそうだし、部室で待ってることもあるかも知れねぇ。けど連絡はするから、絶対一人で帰るなよ」

「うん、さすがに分かってるよ」

 頷いた私の頭には、小さい頃の記憶がよみがえっていた。

 どんなに怖いニュースがテレビで流れていても、それはどこか遠いところの話だったあの頃、私は怖いもの知らずだった。それがただの幻想だったと知ったあの日から、秋津はいつも側にいてくれるようになったのだ。


 けれど、果たしていつまでそれを続けてもいいんだろうか、という疑問が同時に沸き上がって来る。心配してくれる秋津に向かってそれを口にはできないけれど、いつかは秋津が心配するべき人が他に現れるんじゃないのか、その時自分はどうするべきなんだろうか、とこの頃思わずにはいられない。

「ねぇ、秋津」

「なんだ?」

 声を掛けると、秋津はメロンパンの最後のひとかけらを口に押し込んだところだった。夕日の逆光の中で、秋津の四角い顔の輪郭が黒々と浮かび上がっている。小さい頃より牙が目立つようになった口元が、むぐむぐとパンを咀嚼しているのを見ると、やっぱり秋津は大きくなったんだよね、なんて思う。しばらくそうして秋津の顔をじっと見つめていると、彼はかくんと首を傾げた。

「どうした?」

「……いや、やっぱりいいや」

「なんだよ、言いたいことがあるなら言えよ」

「いいの、もうちょっと自分で考えるから」

「そう言うなよ。一人で考え事すんのは健康に良くねぇぞ」

「いいんだってば」

 予想以上に秋津は食いついてきて離れなかったけれど、私はクリームパンを食べていて返事ができないふりをして、食べ終わるとすぐ自転車に乗った。秋津は不満そうに「おい!」と言いながら追いかけて来たけれど、隣に並ぶともう真剣な顔で周囲を見回しながら、いつものように家路についていた。

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