3 本好き秋津
「秋津くんって本好きだよね」
登校してくるなり由香里にそう言われて、机の中身を整理していた私は、ふと秋津の方を振り返った。教室の真ん中ちょっと後ろ寄り、そこが秋津の席だ。下校するときはいつも一緒の彼だけど、登校するときはバラバラで、私の方がちょっと遅い。なので教室に入ると、いつも先に来ている秋津が本を読んでいる姿に出くわす。今日も彼は、背中を軽く丸めて静かに本を読みふけっていた。
「本好きって言うか、何て言うか……まぁ、実際好きでもあるんだろうね」
「なに、なんか含みのある言い方じゃない?」
思わず言葉を濁すと、由香里はずいっと身を乗り出してきた。興味津々といった顔で目がきらきらしている。まずい、と思ったが口から出たものは取り消せない。由香里が私と秋津の関係をどう思っているのか分からないけれど、彼女も他の女子たちの例に漏れずコイバナの類が好きだ。こんな意味深な言い方をされたら、気になってしまうのも仕方ないだろう。
「いや、私にもよく分かんないんだけどさ」
と小声で前置きすると、由香里はうんうんと頷いた。ちょっと面白がっている顔だ。
「子供の頃にさ、一緒にいてもずっと本ばっかり読んでるから、何でなのって聞いたことがあるの」
小学校の二年生くらいだったと思う。私はようやく絵本以外の本を手に取れるようになった頃で、すでに分厚い本を抱えて一生懸命読んでいる秋津の姿は、クラスの中でもちょっと浮いていた。他の男子たちはみんなボールを抱えて遊びに出て行っても、出ていく子たちから誘われても、秋津は一向にお構いなしだった。
「本って、そんなに面白い?」と私は訊ねたのだと思う。幼かったのでよく覚えていないけれど、それに対する秋津の反応が、ちょっと首をかしげて黙るというものだったのはよく覚えている。
それから「うーん」と唸った後、秋津は「僕ってほら、お父さんが人間じゃないから」と答えたのだ。
当時の私にはさっぱり意味が分からず「ふーん?」とやっぱり首を傾げた。すると秋津は、お父さんが「マレビト」と呼ばれていること、「マレビト」は本やゲームの世界からやって来るとお母さんから聞いたこと、自分も半分は「マレビト」なんじゃないかと思っていること、それなら本を読めば自分の事が分かるんじゃないかと思っていること、などをたどたどしく説明してくれた。
「自分のこと、あきつくんは分からないの?」
と私は更に質問した。すると秋津は、ものすごく困った顔をした後、
「カヤちゃんといる時は分からなくならないよ」
と、急ににっこり笑った。
私にはやっぱりその意味が分からなかったけれど、秋津が嬉しそうな顔をするので、それでいいんだ、と思ってそれ以上何も聞かなかった。
「えーと、要するに稀人は物語の中から出てくる存在だから、本を読めば自分の置かれてる立場とか、みんなにどう思われるのかが分かるってこと?」
「たぶん、そういう事だと思う」
「そうなんだ。なんかそれって、めっちゃ寂しいね」
「うん……やっぱそう思うよね」
由香里は話を聞き終わると体を起こして、腕組みして考え込む顔になった。当時の私はそこまで理解できていなくて、だいぶ時間が経ってからその事に気づいたのだが、本を読みたがる秋津はどこか孤独なのだ。
今の秋津は文芸部に入っていて、みんなで月に二冊の本を読んで感想を言い合い、月に一度は部誌を発行している。その関係でお題になった本なら親書の類も読んでいるようだけれど、それ以外となると、読むのは主に小説ばかりだ。本好きと言っても、その目的は昔とほぼ変わっていないのかもしれない。
「でもそれなら、茅の存在って、秋津くんにはすごく大事なんじゃない?」
「どうなんだろう、それこそ子供の頃の話だし」
「でも今だってさ、秋津くんって茅にだけ態度違うじゃん。そういう事じゃないの?」
「単にもう馴染んじゃってるからだって気もするけどね……」
あの時以来、同じ質問を秋津にしたことは無い。だから私は、今の秋津が何を思っているのかはよく分からない。分からないなりに、秋津が今も孤独な思いで本を読んでいるのでなければいい、とは思っている。
視線に気づいたのか、秋津は不意に顔を上げてこちらに手を振った。軽く手を振り返すと、秋津はにこっと子供の頃のように笑って、また読書に戻っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます