第5話 お姉たまに膝枕されたいよね。
スチュートを前にオレは深呼吸と同時に肺の中に入ってきた空気と自分自身の氣を混ぜ合わせるイメージを全身に馴染ませる。
本当の氣と書いて本氣。
本来人間が持っている脳と体の機能の限界を引き上げる。
魔力とは根本的に異なり、魂に干渉し、或いは魂と同じ本質のもの。
「パワーアップを悠長に待ってやるほど私は暇じゃない」
「悪いな。もう済んでる」
「なっ?!」
本氣になれば最適な体の使い方ができる。
それこそ無駄がない。
人は息を吸って吐くときにも酸素を吸収しきれずに排出してしまう。
だが本氣になればそれすら逃さず使うし、それ故に筋肉の至る所で酸素を使う。
脳にもしっかり行き届く酸素は集中力を促し五感も覚醒状態になる。
だからこそ今ならわかる。
スチュートの無駄のない動きが。
それこそ筋肉の微細な動きやわずかな目線の変化。
対人戦の駆け引きにおいてスチュートは間違いなく強者だ。
それも修羅場を死に物狂いで戦い続けて潜り抜けた者の技術。
技術は無駄が無く美しい。
故にわかりやすい。
それが見えるのなら。
「私より速い?! だと?!」
スチュートの踏み込みは驚異的なものだった。
だからその踏み込みのタイミングより少しだけ速くオレは踏み込み、短剣を持つ手を掴んで関節技を応用してその腕を背中に回しつつスチュートの背中を押し倒した。
すれ違う一瞬に掛かる勢いもある分スチュートを掴んでスチュートの勢いと体勢を崩せた。
「あんまり本氣出すと胸が萎むんでねぇ」
「……な、何が……アアッ?!」
押し倒したまま掴んでいたスチュートの手を捻って短剣を落とさせてから肩の関節を外した。
本氣は師匠でも使えない。
というか師匠はこの本氣の仕組みを理解できていない。
それはそうだ。
意識と記憶を保ったまま転生してほんの少し理解出来ただけの魂の欠片。
その感覚を可能な限り再現した結果なのだから。
本氣を使えば身体能力は格段に向上する。
だがそれはつまり瞬間的に使う体力と集中力が爆増する。
……要するにめっちゃカロリー使うわけだ。
極限なダイエットみたいなもんだな。
「死ねっ」
「っと危ねぇ。こんな小細工もしてたのか」
「ッ!!」
靴の踵に仕込んでいたナイフで背中に乗って組み伏せていたオレを刺そうとしてきたのでその足を掴んでそのまま足首を掴んで仕込みナイフで自分の体に刺してやった。
体が軟らかいから楽に関節が曲がるな。
「悪いけどちょっと眠っててくれ」
「ぐはっ」
無防備なスチュートの首に手刀を入れて気絶させた。
流石に姉ちゃんの前で人を殺すのは躊躇われる。
あと個人的に殺さずに勝つのが1番カッコイイと思ってるのは内緒だ。
「よし、片付けた。レイナ、とりあえず逃げよう」
「う、うん」
まだ本氣は出したまま。
今本氣を解けば反動が来てしまって動くのが困難になる可能性がある。
だからまだ氣が抜けない。
今はとにかく師匠との合流地点まで走らなければならない。
オレは姉ちゃんを再びお姫様抱っこしてトップスピードで走り森の中へと向かう。
「リ、リオン?! 鼻血出てるけど大丈夫?!」
「問題ない。むしろ健全」
「絶対健全じゃないよ?!」
本氣状態で五感も覚醒しているためにさっきはそこまで気が回らなかったが一歩踏み出す度に姉ちゃんの胸が揺れる揺れる。
しかもこんな至近距離で揺れる姉ちゃんの胸を拝めるのだから異世界転生も悪いもんじゃないのかもしれないとか全速力で走りながら考えることじゃないのは承知の上であるが、だがしかしオレはシスコンである。どうしようもないくらい健全だろう。
そもそも不健全な性癖が前提なのだからな。
「よし、合流地点に着いた。この中に入って師匠を待とう」
「こ、ここ?」
「ああ」
辿り着いたのは二階建ての建物くらいの大きさの樹である。
この樹の上に小屋があるわけだが、樹を囲うように幻影結界を設置してある。
まあ、聖女の使う魔力的な結界とは異なるもので、自然の魔力に干渉して光を屈折させるというだけのものである。
そのため結界というよりは迷彩である。
「……なんか、秘密基地、みたい」
「でしょ? こういうの好きなんだよ」
姉ちゃんを抱き抱えたまま樹を登って小屋に入った。
一時的な休憩ポイントでもあるが、仮の拠点ともなるようには作ってある。
「あとは時間まで師匠を……」
「リオン?!」
保っていた本氣が限界なのだろう。
あるいは姉ちゃんの揺れる胸で出た鼻血のせいで貧血か、どちらにせよオレは意識を失った。
☆☆☆
「リオンさんっ! リオンさんっ!!」
小屋に着いた途端に気を失ってしまったリオンさんを慌てて受け止めた。
安心しきったリオンさんの顔は気が抜けてしまうくらいに気持ちよさそうに眠っている。
「……ど、どうしよう……」
さっきの女の人と戦っていたし、かなり無理をしたのだろうことはわかっていた。
だからリオンさんを休ませないといけないけど、この小屋にはほとんど何もなくてベッドもない。
縄とか毛布はあるけど、本当に最低限の物しかない。
お師匠様がいつ帰ってくるかもわからないし、そもそもわたしだけではこの小屋から降りることもできないくらいには高い所に小屋はある。
仕方がないのでとりあえずわたしはリオンさんを膝枕で寝かせて毛布をかけた。
ぐっすり眠るリオンさんの顔を見てどうしてか懐かしさを憶えてしまう。
なんとなく頭を撫でてみるけど、その謎の懐かしさの正体はわからないまま。
「どうして、わたしは……」
わたしは突然この世界にいた。
でもそれまでの記憶もない。
そして知らないうちにわたしは魔法学園で虐めにあって引きこもってしまった。
わたしが誰かに触れれば魔力を勝手に吸い取り、酷い時は生命活動に支障が出るほどであり、この力をコントロールすることもできない。
何も分からない。どうしてこうなっているのか。
でも、リオンさんはわたしの知らないわたしを知っている。
だけど普通に考えたら知らない人が部屋に忍び込んでいて、そうして連れ去られてそのまま逃げるなんておかしい話だとは思う。
それでもわたしはリオンさんの手を取った。
わたしの手を握ってくれるのが嬉しかったのもある。
「これから、どうなるんだろう」
今後どうなってしまうのかわからなくて漠然とした不安はあるのに、リオンさんがわたしの膝で無邪気に眠っている姿を見るだけでなんとかなる気がしてしまっている。
だからたぶん、大丈夫だと思う。そう思いたい。
コミュ障な姉が悪役令嬢転生して冷遇されているらしいのでちょっとTS転生してくる。 小鳥遊なごむ @rx6
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