第6話 月初から嵐の予感(巻き起こせ!)

「ごめんね、忙しい時に」

「いえいえ、これも私の仕事なんでー」


 ニコニコ笑顔でコピー機のトナー交換をしながら、頼子は内心イライラしていた。

 月初め、第三営業日が会社の締め日である。


 色々と作成しなければならない書類に追われながらも、鳴り響く内線電話を取ってみれば、


『コピー機、トナー交換になってるんだけどー』


「知らん、自分で交換ぐらいしろ!!」


 と、怒鳴り返せないのが頼子を頼子たらしめるものである。


「すぐ行きます~」


 と返事をながらも、席を立ち呼ばれたコピー機へ直行。複合機が動かないと困るのは一人だけではない。

 誰かがやらねばならないのだ。


「最近のコピー機ってすごくってー、交換トナーの段ボール箱にも、本体表示パネルにもわかりやすく交換方法が記入されてるんですよねー。私もこれ見ながらじゃないとできないんですけどね、えへへ」


 背後で監督でもしているのか、棒立ちでただ見ているだけの男にそう話かけながらも、乱暴にバンと音を立てながら複合機のパネルを閉じた。


「お待たせしましたー」

「ありがとう、助かったよー佐藤さん」

「いえいえ~、今度やってみてくださいね! トナー交換! 簡単すぎてびっくりしますよー」


 交換後のトナーをアルミの袋に雑に放り込み、段ボール戻しながら頼子はその棒立ち男に告げる。

 営業部の頼子よりも少しだけ年上の男だ。一応先輩。これがお年を召した上司だったら「まあ仕方ねえな、アップデートできてないんだよな」と納得できる。というか、そういうお年を召した上司の方が説明書を見ながら自分で何とかする率が高い。

 素直に「やってもらって申し訳ない!」と詫びを入れたくなるほどだ。

 で、頼子よりも下の世代、若い連中も自分でやる率が高い。教えればすぐ覚えてやってくれる。


 なぜか、頼子よりもちょっと上の世代だけ、やってもらって当然という態度でなぜか交換をする頼子の監督までしてくれるので癪に障るのだ。この会社だけかもしれないけれど。

 頼子が一番尊敬していた先輩が、


「営業や現場の人は私たち事務のこと"ずっと室内にいて座って仕事できるんだから楽だよな"って思ってんだから、なるべくニコニコして、お願いされたら快諾して、そういう人たちをいい気にさせておいてあげれば仕事が円滑にいくから。それだけで信頼関係もできるし、ちょっと困った時もお願いが通るからね」


 と、ビール瓶片手に自ら手酌しながら処世術を教えてくれたのだ。


「いちいちつっかかってると敵が増えるし、いいとこなしよ。笑顔なんて無料だし、戦って消耗するより嫌な思いも少ないし。たまにお菓子ももらえるし、お酒もおごってもらえる!」

「お酒も!?」


 頼子はそこに食いついた。


「うまくやれば社長も会長も手のひらでころころできるわ。そう、佐藤さんなら絶対できると思うの! 一緒に頑張ろう!」

「はい!!」


 入社して2年目、尊敬する先輩と語り合って頼子は自分の方向性を定めたのであった。

 あれから7年。先輩は3年前に転職して去って行った。

 なんでもできる頼れる笑顔の事務員、佐藤頼子(31歳)は締め日であっても笑顔でトナー交換に応じるのであった。


「そういえば佐藤さん、お酒強いんだって?」

「あはは、やだな、どこで聞いてくるんですか、そんな情報」

「俺さ、珍しいお酒取り揃えてるいい店を知ってるんだけど、今度一緒に行かない?」


 誘われて、頼子はじっとそいつの左手の薬指を見る。確か既婚者だったはず、と思っての確認だ。薬指には指輪がしっかりはめられている。

 独身でもこういう誘いをかけてくる奴は酒蘊蓄を思いきり語るタイプが多いので頼子としてはなるべく回避したい。


「私、質より量なんですよね」

「へえ、一度その飲みっぷり見てみたいな」

「そろそろ親睦会ですよね。今年はなんと、カニ! ですって!」


 立場上知っていた情報を頼子は惜しむことなく提供する。

 どんな手を使っても話は逸らす。


「あ、やばい! 私まだ伝票処理終わってないんでした! 今月件数多くて! じゃ、トナー交換、次回は是非チャレンジしてみてくださいね!」


 早口でそれだけ言って急ぎ足でデスクに戻る。

 既婚者の誘いはめんどい。あからさまに非難すれば「そんなつもりなかった」とか言われるのは目に見えている。


(はあ、そういう後腐れない遊び相手としては最適ってことか、死ね)


 なんだか情けなくなった。

 誰かの本命になることなく、こういう扱いを受けるとなると流石に落ち込む。


(大事にされたいだけ、なんていうつもりはない。もうそんなに若くないことはわかってる。お酒を! お酒を楽しく飲ませてくれる人だったら高望みはしない)


 怒りにまかせて頼子がエンターキーを強くたたけば横にいた後輩がびくっと肩をすくませた。

 




 結局残業か、と頼子は着替えながら小さくため息を漏らす。

 残業は毎月のことだ。残業を前提とした仕事配分がおかしいと常日頃思っているが何も改善しない。入社時からずっとだ。


(まあ、いい。明日は金曜日だし)


 この際仕事のことは頭から追い出そう。

 いつもの通勤スタイル、つまり超カジュアルスタイル、もっと言えばニットとジーンズに着替え終えて、室内履きもスニーカーに履き替え、スマートフォンを取り出した。

 何もないだろうな、と思ったが1件メッセージが入っている。

 送り主の名前を見て、


(なんだろう激しく嫌な予感がする)


 いつもつるんでいる高校時代の同級生グループメンバーの1人ではある。高校時代は同じグループで行動していたが、卒業後は1年に1回、会うか会わないか。

 元々華奢でかわいい子だったが、大学デビューを経て彼氏を最優先するタイプに変身。彼氏は何度か変わったけれど、途切れることなくすぐ次の彼氏ができる、頼子たちのグループにはそぐわないほどのモテ子。


(そろそろ、結婚報告かな)


 仲間内の『堅実美人』と『お母さん的な存在女子』の2人に結婚を先越されてから、ほどほどに疎遠になっていたが突然コンタクトをとってくるのはそれしか考えられない。


「今は、しんどい」


 対する頼子はとにかくモテない。彼氏がいなかったわけじゃない。一回酒を飲み交わしたら彼氏から飲み仲間にクラスチェンジしただけだ。

『彼女にしとくのがもったいない』と言われたのは今でも黒歴史だ。ふつうは逆だろ。『友達にしとくの勿体ない』そういわれたら落ちる。絶対落ちる。


 そのモトカレは今でも飲み友達だ。こちらも年に1度会うか会わないかだが。

 向こうもフリーだが、『彼女は飲み活の足かせ』という言葉に既に恋心は爆破した。あまり頻繁に会わないのは泣き上戸だから。酔って泣くやつ面倒くさい。


 そいつ以外に色っぽい話などなくこの歳になってしまった。なった挙句に既婚者の遊び相手に選ばれてしまった。超しんどい。


 しんどいけれど、と、頼子は考えを改めた。


「人の幸せ報告は、周りを幸せにするもの! だから幸せのおすそ分けをもらいに行こう!」


 酔っていないが、素面でも若干思考が酔いどれだ。

 ちょうど明日はいつものメンツとの飲みの予定はない。珍しく二人とも都合が悪いらしい。

 何より、頼子が思っている以上にショックが大きかったようだ。一人で飲みに行こうと思っていたが、一人で飲むには寂しかった。


『頼ちゃん 明日の夜暇だったら遊んで?』

というメールに対し、

『暇です。どこ行く?』

と返信を入れた。

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