第5話 賞与は夢への架け橋に違いない!

 水曜日、有給消化でお休みを取った頼子は繁華街にやってきていた。

 昼間にこうやって外に出ているのはとても贅沢な時間のような気がする。

 普段だったら会社で体裁すら整えていない出張申請書に一人心の中で文句をつけているところなのに。

 ちゃんと誤字は訂正しろと言いたい。


 本当は昼間から飲み屋で飲むつもりでやってきたが、繁華街のアーケードがクリスマス一色に染まっているのを見て急遽予定を変えることにした。

 さすがに、いい歳した大人の女が……と考えてしまったせいだ。

 雰囲気に飲まれるとはこういうことか。


 そうだ、クリスマス。

 ということは、年末。

 年末と言えばボーナス。正確に言えば年末賞与か。

 

 支給されたばかりのそれで、お酒を買うことは確定していたものの、31歳にもなったんだ、もう一つ大きな買い物したっていいだろうと思い立った。

 先日の結婚式のご祝儀は別勘定だからボーナスの使い道からは除外している。


「お洒落をしたい」


 結婚式に着ていったパーティードレスは以前購入したものを使いまわしたから、そこにお金はかけていなかった。

 お洒落をして出かけるのはとても気分が上がった。

 ああいうのが日常に少しあったら素敵かもしれない。

 まあ、ハイヒールは足が痛くて泣けたし、靴擦れもできてしまったけど、たまになら、ねえ?


 方向転換し、向かうのはデパートである。

 バーゲン開催中のため、いつもは手が出ないデパートのお洋服入手のビッグチャンス。――だが!


(気に入った服を敢えて定価プロパーで買う!)


 バーゲンで販売している服はバーゲン用の質の劣ったものだという噂を聞いたことがあった。

 あくまで噂ではあるが、せっかく購入するなら『ちゃんとしたもの』が欲しいと思うのは当然だと思う。


 お洒落の洒と酒は似たようで違う字だ。

 お酒は定価で買う。お洒落も定価で買う。

 それで良い。


 思考が一寸酔っている人のそれに近いが、頼子は素面だった。


 

 ハイブランドのフロアは一瞥して回れ右できたから、普通に素面である。


 (さすがにニット一着10万円オーバーは無理!!)


 さすがのボーナス様も無敵ではない。

 フロアを移動して仕切り直しだ。


 (このぐらいの価格ならいける)


 ふらふらと見回りしながらちらちら価格を確認してそれを確信してから、物色をはじめる。

 ほどなくして「これ」と思うものが見つかった。

 定価3万8千円(税込)のスカートだ。


 生地の手触りがよく、縫合も丁寧で頑丈。形も流行りに寄っておらず定番で上品。色も暗すぎず派手過ぎず。

 デパート価格としては安いのだろうか?

 とにかく理想のお値段と品質が比例するものとの運命の出会いだった。


 しかし、ここで懸念材料が一つ。


(これ、どこに着ていけばいいの?)


 会社はすぐに事務服に着替えるので、いつもカジュアルスタイル通勤だ。

 オフィスカジュアルではない。ガチでカジュアルだ。

 多分こんな素敵スカートをはいていこうものなら「もしかしてデート?」と邪推されること間違いなし。めんどい。

 そうすると、友人たちとの飲み会か。飲み会で汚したら本気で泣く。

 

 もっと特別で、お洒落をして行ける場所は……と考えて、突然頼子は閃いた。


「お見合いパーティーだ! 通称おみパ! 行ってみよう!」


 きっと社会勉強になるに違いない。

 意気揚々とクレジットカード決済でスカートを購入。

 また駅ビルのプチプラの店でふわゆる風ニットも一着購入。これでおみパ準備もばっちりだ。




 日曜日。

 再び先週のメンバーで集まっての飲み会。前回とは違う居酒屋チェーン店に召集だ。

 もう年末近いがこれは忘年会ではない。

 反省会だ。もしくは懇親会。

 忘年会はまた別の日に開催することが決定している。

 大丈夫、ちゃんと楽しみに思えるあたり先週の結婚ショックからはだいぶ立ち直ったらしい、と頼子は少し安心していた。


「で、行ったの、おみパ」

「行った」

「頼ちゃんて妙に行動力があるよね」


 服を買ったその日のうちに、週末のおみパに申し込んでみた。週末土曜日は昨日のことだ。


「どうだったの?」

「いやーすごかったよー」

「すごいって何が?」

「すっごく美人さんが参加してて、その人のとこにみんな集中してた。で、あぶれ者同士でフリートークして、お互いに『残りかす同士だな』ってわかり合っちゃってて」


 だんだん友人二人の顔色が悪くなってくるのがわかった。


「頼子、もういいよ、これ以上は聞くのもつらい!」

「頼ちゃんはよく頑張った! 頑張ったよ!」

「うーん、おみパもダメかーと思ったな。あれは突出して何か秀でたものがないとかすりもしない」


 悲しい結果ではあったが、しかと得たものもあったのだ。

 恋愛市場に参入するには頑張らなきゃ駄目なんだと。

 何を頑張ればいいかはまだわからないものの、素顔で勝負は自殺行為。


「男性側に趣味欄にお酒って書いている人がいて」

「おお! いったか?」

「その美人さんにドヤ顔で日本酒のおすすめ銘柄を延々語っててこうはなりたくないなぁと自戒の気持ちが芽生えた」


 ちょうど毎日お酒銘柄の口コミ検索をしている。

 ランキングもチェック済みだ。

 今の頼子は産地から銘柄まで日本酒についての知識が豊富である。

 趣味酒男の語りを傍から見て恥ずかしいなと思いつつも、『お前そんな浅さで酒を語ってんの? 』と自分でもわけのわからない酒知識マウンティングをかましそうになって、そんな性格の悪い己の身を恥じたのだった。


「そうかそうか」

「頑張った頑張った」


 友人二人はものすごく優しい顔つきで頼子を見ていた。


「でもさ、頼子よ、一杯目からカルーアミルクってどうなの」

「癒されたいの」


 コーヒー牛乳味の酒は傷ついた心を優しく癒してくれるようなそんな感じがしたから。


「もう癒し系の嫁がほしい」

「同意」

「同意」


 シーザーサラダとカルーアミルクは合いそうにない。

 そんな違和感もまた楽しいのだ。さらにグラスを傾ける。


「ねえねえ、この間頼ちゃんに紹介するっていってた真面目で恋人いない歴年齢の後輩ってどうなったの」

「あれね、――彼女ができたんだって」


 友人同士の会話に、やっぱりね、と頼子はひそかにため息をついた。

 やっぱり神の采配かもしれない。ずっと独り身で酒を飲んでいろと。


(まあ楽しいからいいかもね)


「ねえ、頼ちゃん、私を頼ちゃんに紹介しようと思うので、彼氏を授けてください!」

「いやー、そういう使い方は無理でしょ」

「私の力でハッピーになれるなら、それが幸せなのかもしれない」

「ちょっと頼子、遠い目しないで!」



 二杯目はソルティドッグにした。グラスのふちに付けられた塩に舌で触れる。

 しょっぱい口の中にグレープフルーツ味の飲み物を口に含めば、酸味と塩味が混ざり合う、さっぱりした。

 長芋鉄板焼きをつつきながらちびちびと飲む。最高だった。こういうお酒が好きだ。


 友人たちもそれぞれ好きな飲み方をしていて、食べ方も飲み方も縛られることがなく自由。

 頼子の好きな飲み方だった。

 こういうのを許してくれる友人が近くにいることが幸運だと思う。


「結婚しようと思ってさ、今から誰かと付き合うじゃん」


 下戸の友人が突然ぽつりとつぶやいた。


「まず明日誰かを好きになったとして、まあ付き合うまですったもんだあって、半年から1年かかるでしょ」

「そんなにかかる?」

「もしもの話だから。で、付き合っても、結婚しようってなるまでどれぐらい? プロポーズまで1年から2年かかるとして、そこから結婚資金をためるわけよ。結婚式やるなら2百万以上は欲しいから、そうだな2、3年?」

「ほう、で?」

「ストレートに結婚までたどり着くころにはもう35越えるよね。もう高齢出産だ」


 あまりにアバウトな計算だが、少し現実的な話に、少しだけ酔いからさめたような心地になった。


「よく考えたらさ、私たち結構ギリギリのところにいない?」

「でき婚、するか」

「できる気しないけど」


 言って、三人で少しだけ笑う。

 力ない笑いになってしまったが仕方ないだろう。


「こればっかりはご縁だからね」


 と、頼子は言った。

 ご縁があればとんとん拍子に進むだろうし、無理やり縁付こうとしてもうまくいかない。そういうものなんだと思う。


「そうだよね」

「まあ、そこまでして結婚からの地獄に突っ走りたくないって気持ち、あるんだよね」

「あれだけ苦行を乗り越えないと子どものいる幸福を得られないって……地獄だ」


 まあ、友人のとこが特殊なのかもしれないけれど。

 まだ、希望は持っておきたい。


「10年後も20年後も、頼子は飲んでそうだよね、そうやって楽しそうに」

「もう楽しく飲むために生きているような気がしてきた」

「いいんじゃないの、頼ちゃんっぽくってさ」


 どんな地獄に落ちようとも、こうやってほろ酔いで笑えればたいてい大丈夫な気がする。

 だから頼子は楽しく酒を飲むのだ。

 そして、常に楽しく飲める未来を選択肢続けるのだろう。

 結婚してもしなくても。


「忘年会、どこ行く?」

「飲みながらその話かよ!」

「イタリアン行きたい」

「ワインいいね、飲みたい!」


 そうやって今日も夜は更けていく。

 

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