第2話 ハッピバースデーうーぬー

「頭痛い」


 派手に一人誕生日パーティーを開催した翌朝、頼子を襲ったのは地味にダメージを与えてくる二日酔いであった。


「しんどい」


 布団の中で呻いてもう一度目を閉じる。

 31歳初日から失敗した。浮かぶのは後悔ばかりである。

 浮かれて3本目のビールに手を出してしまうとは、夜中のハイテンションはやばい。

 やばいしか言えないぐらいやばい。


 (ああ、でも、ビールのコーラ割り結構美味しかったよねえ)


 ディーゼルというビアカクテルは名前だけ知っていた。目の前に材料が揃っていれば試したくなるのは人のサガだろう。


(冷蔵庫にトマトジュースを見つけちゃったのもまずかった。いやいや、美味しかったけども)


 ビールとトマトジュースも大変美味しくいただけた。

 甘い物からのトマトジュースのサッパリ感が夜中の気怠さに染みた。レッドアイ、缶ビールとペットボトルのトマトジュースでも全く問題なかった。

 そりゃ、ウイスキーにも混ぜてみたくなるってもんだ。勿論飲んだ。

 飲みながらショートケーキも食べた。

 ケーキは1個残した。

 その辺りのの理性は残せたのは偉かったと褒めたい。


(トマトジュースのコミュ力、恐るべし……!!)


 アルコールとの相性のよさよ。

 飲み物だけじゃなくて料理にも使えると聞く。万能選手すぎる。


(トマトジュース、トマト煮込み、ミネストローネ、ガスパッチョ、味噌汁にも合うんだった)


 青臭いし、酸っぱくて種の部分がどろどろしてて皮がなんとなく苦手という人もいるがジュースにすればかなりハードルが下がる。

 頼子は丸かじりもいける派だから深く考えたことはなかった。


「うう」


 ズキズキ痛む頭を押さえながら何とか起き上がる。


「味噌汁が……、トマトジュースを入れた味噌汁が……食べたいっ!!!」


 我ながら何を言っているんだとちらっと思ったが、食べたいものは仕方ないふらふらと部屋を出ると階下のキッチンへ向かう。


「あんたこんな時間まで寝てたの!?」


 驚愕の声をあげる母はさておいてガス台にある鍋を覗けば朝作ったと思われる豆腐入りの味噌汁があった。


「味噌汁貰うね」

「残り物だけどいい?」

「うん」


 コンロの火をつけてちらっと時計を見ればもう12時半を回っていた。

 寝たのが3時頃だったから仕方ないと言えよう。

 母は呆れたようにため息を漏らしていたが聞こえない振りをした。

 自前のノイズキャンセラー機能には秀でているいう自負はあった。


「お父さんは?」

「散歩と図書館」


 自分で握ったおにぎりを持って朝から出かけたらしい。健康的な父である。

 とても真似できないなと、頼子は冷蔵庫からトマトジュースのペットボトルを取り出して目分量で味噌汁の鍋に注いだ。


「えっ? 味噌汁にそれ入れるの?」


 頼子に背後霊のようにまとわりついている母は、再度驚きの声をあげた。


「美味しいらしいよ?」


 母の声は二日酔いにダメージを与えてきたが負けじと頼子はお玉で鍋をさっとかきまぜた。

 温まれば出来上がり。簡単調理である。

 中身が残っているトマトジュースのペットボトルは忘れずに冷蔵庫に戻しておく。


「あ、ケーキ食べてね」

「お父さんがもう食べた」

「朝から?」

「朝から!」


 怒気をはらんだ母の声音に父への恨みを感じ取る。

 しかし父め、健康的なんて撤回だ。なかなかにやんちゃしてくれる。


「味見する?」


 トマトジュース入りの味噌汁を母に勧めると躊躇いなく母は「貰う」と頷いた。


 テーブルに母と向かい合って座る。

 誕生日だ。

 なんかファミリードラマなんかでは「生んでくれてありがとう」「生まれてきてくれてありがとう」的なお涙頂戴な展開もあるだろうが、この親と娘にはそんなものはない。

 「いつまで家にいるの?」と言われないだけマシだと思いつつ、お椀を手に取った。

 トマトジュース入りの味噌汁を啜り「意外と合う」と呟く母と、(染みる!)と感動に打ち震える頼子は通常運転だ。

 しょっぱい酸っぱいかと思ったが、出汁の味にトマトが交じり合っている。旨味と旨味の掛け合い。


「赤だしでも美味しいんじゃない」

「うん、具にカボチャ入れてもよさそう」

「思い切ってさつまいもとか」

「いいね、いっそ粉チーズいれて洋風するのはどうかな」

「牛乳いれたりとか」

「あ、それ美味しそう」


 母とそんな会話を交わしながら味噌汁を食べ終えた。


 味噌汁効果かトマト効果か、だいぶ頭痛もおさまってきた。

 頼子が食事の後片付けをしている間に母は買い物に行くと出かけて行った。近所のお友達とシェア買いをするらしい。お茶もしてくると言っていたのでしばらく帰ってはこないようだ。


 もう夕方近い時間だったが、頼子も出かけることにした。



(さて、と)


 家から出て、最寄りのバス停からバスに乗り、はるばる繁華街までやってきた。

 バスで30分もかからず街までアクセスできるんだから便利だよね、地方都市も捨てたもんじゃないねと頼子は胸中で自負する。


(よし、ケーキ食べよう)


 誕生日だ。誕生日らしいことをしよう、と思った。

 夜中に既に食べている? あれはまだ序章にすぎなかったのだー! と勝手にモノローグをつけておく。

 せっかくの誕生日だからめちゃくちゃ誕生日を祝おうと思ったらやはり限界までケーキを食べないと、と頼子は考えて、もういいや、こうなれば全力で誕生日を楽しむだけだと、体重のことや糖分脂肪分等々は考えるのはやめることにした。


 自分への誕生日プレゼントは帰りにデパートで買っていけばいい。

 ちょっとお高い酒を買うと決めていた。ちょっとだけ大人っぽさを演出して日本酒にしてやろう、と。


 荷物になるから先に目的のケーキを食べようと辺りを見回して、目に入ったのはリーズナブルなコーヒーチェーンだった。

 見つけたその瞬間に衝動的に足を踏み込む。


 注文して、商品を受け取ってから席へ向かうというセルフサービスのカウンターで一瞬も迷うことなく、


「ミルクレープとホットコーヒーのSサイズをください」


 と、淀みのない声で高らかに注文。


 コーヒーマシンから注がれたコーヒーとショーケースから皿に乗せられたミルクレープが同居したトレーを受け取り、二階席へ向かう。

 カウンター席だけの一階席よりも二階席でゆっくり過ごしたかった。


 運が良いことに広いテーブルの一角が空いていたため、神様からの誕生日プレゼントだ! などと意味不明なことを思って見えない神様に感謝しながらも頼子は席に腰を下ろす。

 そしてトレーに乗っているミルクレープを鑑賞した。


 まさしく、「一目見たときから決めていました!」なスイーツ。キラキラと輝いているように見えた。

 クレープとクレープの層の間にクリームが挟まったシンプルなミルクレープは眺めているだけでほんのり幸せになる。初めて食べたきあまりの美味しさに感動した記憶がよみがえるのかもしれない。


 フォークを手に取って、一番上の層をフォークに巻き付けて口に運ぶ。

 しっとりとしたクレープが甘めのクリームを抱き込んで小さなクレープを食べているようだ。


 (はあ、おいしい)


 普通のケーキと同じように端から切って食べてもいいし、こうやって一枚ずつクレープを剥いで食べてもまたおいしい。完璧なスイーツである。


 うっとりしながらも頼子はコーヒーを一口飲む。

 もちろん甘みを引き立たせるためにブラックコーヒーだ。

 コーヒーはインスタントでもドリップでも飲めればよい派の頼子だが、こうやって甘いものと飲むコーヒーは格別だと思う。

 苦味が口中に広がっている甘みをリセットしてすっきりさせてくれる。

 そこにミルクレープの一片を口にすれば、甘さと新鮮な気持ちで向き合うことができる。

 完璧なスイーツのお供がここにあった。


(はあ、本当においしい)

 ミルクレープを選んで正解だった。

 にやにやしながらもコーヒーをすすっていると、近くの席で大きな声を上げるグループがあった。

 見ればまだ高校生か大学生ぐらいの女子3人組だ。


「やっぱかっこいいー!」

「だよねー!」


 スマホで動画でも見てるのか、三人で一つの画面を覗き込んできゃっきゃしている。

 微笑ましい気持ちで頼子は三人の様子をこっそり見守った。


「もう、グッズ買いすぎで今月ピンチだよ。年末のコンサートいけないかも」

「ええ! 今日から節約だよ」

「そうそうチケットもとれるかどうかすらわかんないんだからさー」

「取れたら絶対いきたいじゃん」

「親の手伝いしてお小遣いもらうとかさして、がんばろ!」


(アイドルかな)


 本当に若い子がはしゃいでいる姿はかわいらしくていいなと思い、頼子は己の手の中にあるコーヒーカップを見下ろしてその顔の笑みを消した。

 同じこと自分がやったらドン引きしかされないに違いない。


(いいね、ハマれるものがあるって)


 テーブルの上に出していたスマホが着信を告げたので、学生時代の友人からのメールの着信通知だ。


『頼ちゃん、ハピバー! おめでとう! なんと今テレビ見たら推しがナレーションやってる番組の再放送やっててテンションアゲアゲ↑頼ちゃんへのバースデープレゼントだよ! やったね』


「落ち着けよ、30代……」


 正直な感想を思わず声に出してしまう。

 ため息をついて、「ありがとう」の一言を返信する。


 声優沼にハマって抜け出せない声オタ友人だ。

 夢中にあるものがあっていいなと思わなくはないけれど。


 冷める前にとコーヒーを飲んで、ミルクレープを最後の最後まで堪能してから頼子は席を立った。



 10代の頃からか、周りはバンドだったりアニメだったり漫画だったりアイドルだったり、様々なものにはまっている友人が多かった。

 今もよく会う友人たちもそれぞれの好きなものがあって、好きなものに情熱をささげていて楽しそうだ。

 頼子も、それなりにハマることはできた。

 ゲームも漫画もアイドルもバンドも勧められたら試してみて、いいなと思うものもあった。

 ただそこまで情熱を注ぐものが見つからないまま、本日31歳を迎えてしまった。

 その中には恋愛もある。


 恋愛もしてないし、人生を注ぐほどの趣味もない、推しもない。

 何かにはまっている人から見れば空虚に見えるのかもしれない。


(でも、今日もお酒がおいしいから、それだけで幸せ!)

 今日も飲むぞ!と思いを込めて、心の底から自分を肯定する。


 「ああ、何買おうかな。おすすめ聞いちゃおうか。インスピレーションで買っちゃうか。楽しみ楽しみ~」

 スキップしそうなテンションで、頼子はデパ地下に向かう。

 どんなお酒と出会えるんだろう。


 と、ふと思いついて、足を止め、先ほどの浮かれたメールを送ってきた友人に追撃のメールを送ることにした。


『今度飲みに行こう! 誕生日パーティーやろう。主催も主賓も私。ついでに幹事も私。店も決めたら連絡するね~』


(よしこれで来週末にも飲み会できるぞー!)

 飲み会も好きだ。

 気の置けない友人たちならなおさら。

 ついでに今から買う予定のお酒の自慢をしつつ、皆にもお勧めのお酒を聞こう。


『聞いて聞いて! この間自分へのプレゼントに買ったお酒がすっっごく良かったのー』


  そんな風にプレゼンをする自分が思い浮かび、楽しみで仕方なくなってきた。

 今年も楽しい一年になりそうな予感を抱えて、頼子は足取り軽く再び歩きだした。

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三十路女は楽しく飲みたい 古杜あこ @ago_t

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