4話 逮捕

「そろそろ、やったと認めて早く楽になれ。お前が、昔から佐藤総理を恨んでいたというのは知っているんだぞ。」


取調室にいた私は連日の取り調べに疲れ切っていた。

ドラマとかで出てくるような古めの取調室で、天井にある蛍光灯は消えかかっている。

スタンドの電球だけが狭いエリアを強く照らしている。

ドラマみたいに、この電球を私の顔に押し付けてくるのかしら。


「やってないですよ。信じてください。そもそも、つばで爆弾なんて固定できないでしょう。」

「爆破されたのは水素ガスで動く車で、水素タンクがトランクにあったんだよ。だから、小さな爆弾でも爆破できるって思ったんだろう。どういう仕掛けかは不明だが、不審なものはそれだけなんだよ。」

「あのときは、お土産を坂上さんが渡してましたが、そこに爆弾が仕掛けられたんじゃないですか?」

「他人に、罪をなすりつけるのか。たしかにお土産はあった。でも、爆発はトランクからだと判明している。前列に置かれた、お土産のはずがない。それに加えて、お前には殺す動機もある。」

「そんなこと知らないですよ。そんなことより、こんな健全な市民を捕まえていないで、もっと凶悪犯人に集中した方がいいですよ。」

「何を開き直っているんだ。総理を爆破して殺すのは凶悪犯人だろう。」

「本当にやってないんですって。信じてくださいよ。」


私は、警官がどなる取り調べを受けながら、つばを吐いた時を思い出していた。

そう、あの会食の夜のこと。


「今井本部長、今日は、お疲れさまでした。」

「ええ、これで、またビックプロジェクトを手掛けることができますね。」


河田常務の見送りで、佐藤総理は車に乗りこんだ。


ところで、河田常務は、新入社員も社長も変わらず同じように接しているのは立派ね。

でも、それは事業をしていないからできるんだと思う。

プロジェクトを推進する上では、不満をいう社員にもやらせなければいけない。

上司にゴマをする必要もある。

河田常務は、私たちの活動に寄生して楽をしているから、いい人でいられるのよ。


いつも、何やっているかわからないし、案件なんて持ってきてくれたことなんてない。

河田常務の給料って、私たちが稼いだお金から支払われているんでしょう。

本当に寄生虫なんだから。


でも、私の事業を邪魔するわけでもないから、放っとおくしかない。

昇格とか、ボーナスについて、決定権はないけど影響力がないわけでもない。

だから、会う時は、本当は軽蔑していても、一応、敬意を払っている振りはする。

私も一応、大人だから。


「佐藤総理には、今井本部長も、いろいろな思いがあるのだろうね。佐藤総理が、昔、運輸省の局長だったときに、今井本部長は、その直属の部下だったもんな。その頃の佐藤総理は、成功すれば自分の手柄、失敗すれば部下のせいという典型的な人だったから、あなたも苦労しただろう。」

「聞こえますよ。」

「もう、窓を閉めたから大丈夫さ。また、だいぶ酔っ払っていたから、今のことなんて明日には覚えていないさ。それよりも、今井本部長の苦労は、私には、隠さなくていいんだよ。」

「いえ、そこまででは。当時の佐藤強調には、いろいろと指導いただきましたから。」


河田常務は笑顔で微笑みかけていたけど、その目を見たときのことは忘れられない。

目の中には暗黒が永遠に続いていて、どす黒い闇があったから。そんな人だったっけ。


周りは、大通りで街灯が照らしているはず。

でも、私の周りだけ、暗闇に包まれ、凍りついたようだった。

そして、私は、鳥肌が立ち、夏なのに吹雪の中で凍りついたように動けなくなった。


そして、河田常務が言っていた『苦労』という言葉が頭の中に響きわたった。

そういえば、いろいろな苦労があったと過去のことを思い返してしまっていた。


運輸省として新幹線を全国展開する企画をリードしたのは私。

でも、それは当時の佐藤局長がすべて1人で主導したものにされてしまった。

そして、初期の新幹線の事故は、私のせいということで終わった。

私は、その事故には全く関与していないのに。

背後には、いつも佐藤局長がいた。


「あなたを運輸省から引き抜いたのは私なんだから、全て知っているんだよ。運輸省の中でもとびっきりの優秀キャリア官僚だと評判だったからね。そんな人が、運輸省から追い出されるなんてもったいない。」

「官僚なんて、足の引っ張り合いですから。」

「でも、当社の中では、本当によく頑張ってくれている。だから、当社では、女性初の役員として私が推薦し、就任できた。」

「その折には、ありがとうございます。感謝しています。」


それは綺麗ごと。この会社でも、苦労は多かった。

チームメンバーからのクレーム対応で1日が終わってしまう。

私だけが決めているんじゃないし、お客様にサービスして給料もらっているんでしょう。

不満ばかり言っていないで、少しは、私のいう通りにしなさいよ。

私だって大変なんだから。


世の中は、男性中心の社会。

その中では、うちの会社には女性への偏見は少ない方だとは思う。

でも、男性どうしのネットワークは実在し、その輪には入れないことで不利もある。


それは女性だから? それとも、私が嫌われているの? よく分からない。

だけど、そんなこと言っていても進めないから、実績を上げるのが一番。

だから、体がボロボロになるまで、頑張ってきた。


でも、私も人間だから限界もある。

河田常務の言葉を受けて、不思議と、心の中では日頃の不満が爆発していた。

お酒で酔っていたのかもしれない。


「ナイフで刺して殺すなんてことはできないけど、今、佐藤総理が乗っている車につばを吐くなんていう、些細な嫌がらせはできるよ。普通の人は、そんなことで、気晴らしをしてるものなんだよ。やってみれば。気が楽になるかもしれない。」


私は、後から思うと、変なことをしたものだと思った。

でも、その時は、不思議と、河田常務のいうことを勝手に体が動いて、やっていた。

そして、横にいる営業部長の坂上さんは、私のことを不思議そうに見ていた。


「どう、気が楽になったでしょう。私は、野心がある今井本部長を買っているから、これからも、がんばってね。じゃあ、お疲れさまでした。」


後ろ姿の河田常務は、いつもと違い、寂しそうな、暗闇を背負っているような感じがした。

そして、近くのバーにでも1人で行くのかしら。

街灯の中を歩いて消えていった。暗闇に吸い込まれるように。


そして、翌日、私は、殺人容疑者として、警察に連行された。

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