2話 総理暗殺

「河田にハメられた! 息が、グォ、ゲボ・・・。」


ゴミだらけの水槽に投げ込まれ、俺は、そう叫んでいた。

顔には布がかけられ、手足は縛られ、どこにいるか分からない。

必死でもがきながら、3ヶ月前の河田常務との会食シーンが頭をよぎった。


その晩は、銀座のクラブ「フルムーン」の個室で佐藤総理を接待していた。

このクラブは、戦後はアメリカ軍人御用達のお店だったと聞いている。

でも、オイルショック後の今では、大部分のお客は日本人となっている。


俺は三木建設の営業部長で、当社の河田常務、今井本部長が、佐藤総理を囲んでいた。

河田常務と佐藤総理とは腐れ縁と聞いている。


「凛、このワインを開けてくれ。」

「わかりました。美味しそうなワインですね。」

「そりゃぁ、なかなか手に入らない希少なものだからな。佐藤総理、どうぞ、テイスティングをしてみてください。」


河田は、佐藤総理をいやらしいくらいもちあげている。


「今井様もワインをどうぞ。」

「お願いします。」

「このお店のお客様は男性の方ばかりで、今井様のようにおきれいな女性の方は珍しいです。居心地はいかがですか?」

「凛さんとお呼びすればいいですか?」

「そう呼んでもらえると嬉しいです。」

「佐藤総理は、昔の上司で、河田常務が、私が一緒の方が盛り上がるからって呼ばれたの。こういうお店は初めてだけど、仕事だと思えば、特に嫌なことはないわ。」

「素晴らしいお考えですね。今夜はゆっくりしていってください。」

「おい、女性陣だけで話していないで、凛、佐藤総理の横に座って、盛り上げて。」

「わかりました。佐藤総理、お疲れさまです。TVでしか見たことがない佐藤総理が横にいるなんて信じられない。今日は、眠れないかもです。まあまあ、総理、飲みましょうよ。」


佐藤総理は、元部下の今井本部長のいる前で、ホステスのももに手を載せている。

女性好きなことを知っていて、河田は佐藤総理をここに連れてきたのは明らかだ。

凛というホステスも、うまく手なづけている。


河田常務の名前はもちろん知っていたが、直接話したのは今回初めてだ。

俺が働きかけているプロジェクトを進めるうえで総理の力が必要になった。

そこで、河田常務と一緒に総理と懇親会をやれと社長指示があり、この席が設けられた。


「このワインは絶品でしょう。どうぞもう1杯。」

「ありがとう。ただ、美味しいからと言って飲みすぎると酔払ちゃうしな。」

「お酒は、酔うために飲むんですから、今夜はどんどんいきましょう。凛、もうなくなったから、もう1本追加でお願いするよ。」

「承知しました。」

「ところで、今回の都市開発計画について、あらかじめ情報をいただき、ありがとうございます。」

「いや、その方が双方の利益のためだと思ってね。」

「そうですね。業界トップの当社がリードすれば、品質、工期は安心できますし、デザインも一流のものにできますよ。また、それを仕切った佐藤総理は、また来年も続投ですね。素晴らしい。」


河田常務は、あまりに大げさな拍手を佐藤総理に向けた。

総理の顔の周りを上から下に、下から上にと佐藤総理も拍手の嵐でうるさいに違いない。


「お世辞とわかっていても、そこまで度が過ぎると嬉しいもんだな。」

「いえいえ、佐藤総理あっての私ですから。では、いつものペーパーカンパニーの口座に振り込んでおきます。」

「よろしく。」

「それにしても、このチーズは、このワインに合う。凛、良いチョイスだぞ。」

「佐藤総理の喜ぶ顔がみたくて、がんばっちゃいました。おいしいですか?」

「気に入った。あれ、やってくれる?」

「あれって、なんですか?」

「口に、あ〜んって入れるやつだよ。」

「そうなんですね。あ〜ん。」

「河田くん、こんな素敵なクラブがあるなんて知らなかった。今日は紹介してくれて、ありがとうな。」

「そうなんですか。なんでも経験し尽くしている佐藤総理なのに、このお店を知らないとはびっくりです。逆に、今夜、ご紹介したかいがありましたね。それにしても、凛は美しいし、スタイルもいいでしょう。まだ未成年だといえば、そう見えますものね。ぜひ、今後も、かわいがってやってくださいよ。お持ち帰りしちゃってもいいですから。ベットで、新たな一面を発見するかもしれませんよ。」

「河田くん、いまどき、女性の前でそんなことを言うと、セクハラといわれちゃうぞ。」

「今井本部長は、体は女性でも心は男性ですから、そんなこと言わないですよ。そうだよな、今井本部長。」

「ええ。そんなことよりも、もう1杯どうぞ。佐藤総理。」

「昔から、今井さんは立派だ。建設会社に転職してからも大活躍だと聞いているぞ。女なのに、すごいな。」

「ありがとうございます。佐藤総理のご指導のおかげです。」


佐藤総理は、女性蔑視というか、時代遅れのおじさんだ。

だが、それ以上に、河田常務の話しには品というものがない。


俺と同じ東大出らしいが、酒ばかり飲んで脳みそが腐っているんじゃないだろうか。

今井本部長がこんな会話を軽く受け流しているのは立派だ。

さすが元、キャリア官僚。しかも、まだ40代半ばで美人ときている。


それにしても、佐藤総理の背広は高級感が漂う。

いかにも良い生地を使っているのが見るだけでわかる。

2世議員なので、お金に余裕があるのだろう。

山口に大きな庭園があるご実家でお生まれのようだ。

明治維新からの家系なのが羨ましい。


俺は3日間、同じワイシャツを着てクリーニング代を節約している。

佐藤総理はそんなせこいことをするなんて考えたこともないのだろう。

ワイシャツもパリッとしている。


2時間が過ぎて会食は終わり、佐藤総理をお見送りしていた。


「坂上部長、お土産を渡して。」


俺は、あらかじめクラブに預けていたお土産を総理のお車の前席に置いた。


「はい。佐藤総理、かさばりますがお持ち帰りください。どうぞ。」

「総理、このお土産、うな重なんですけど、お土産の域を超えていて、本当に美味しいですよ。ご家族の方とご一緒にご賞味いただければと思います。今夜は遅いので、明日にでもお召し上がりください。明日夜までは持ちますので。」

「ありがとう。妻も息子も喜ぶよ。今日は、本当に美味しかった。ありがとう。」

「ありがとうございました。」


佐藤総理は車に乗り込み、銀座の街を消えていった。

赤いテールランプが線のように流れていく。

もう、頭をあげていいだろう。そして、河田常務、今井本部長のタクシーも見送った。


今日も終わったな。俺は営業部長をしているが、人と一緒にいると本当に疲れる。

周りからは誰とも親しくできるのはすごいことだと言われる。

でも、本当は人付き合いは疲れる。1人でいるときが一番楽だ。

俺のタクシーも来た。家に帰ろう。


タクシーからは、夜の12時を過ぎても、煌々と光るビルがみえる。

大勢が働きつづける風景が目の前を通り過ぎていく。

みんなストレスを抱えて、単調な仕事を終わりも見えずに続けているのだろう。


今日も疲れた。毎日がトラブルの連続で、部下は思ったように動かない。

お客も、便乗してか、考えられないような要求を出してくる。

それをさばいているだけで、1日が終わり、それからが俺自身の仕事をする時間だ。

俺も、ゆとりという時間が欲しい。


そういえば、河田はどうして、長い間、常務なんてやれているんだろう。

社長の紹介で当社に来たと聞いているが、日頃、何をしているのか全くわからない。

しかも、日頃の会話では仕事の話題は全くなく、くだらない雑談ばかりともっぱらな噂だ。


いつも、笑顔で、平和ボケしているとしか思えない。

ただ、社内で猛獣として恐れられている人事部長を、上手く手なづけているらしい。

過去の常務は、ずっと無視されてきたのにだ。


そもそも、河田には所掌範囲というものがない。

営業で案件を持ってくる気配はないし、内部統制とか管理系の業務をしてるわけでもない。

もちろん、個別プロジェクトをリードしてはいない。


明確な部下や秘書はいないから、秘書等を通じて河田のことを聞くこともできなかった。

常務だから秘書がいてもいいが、面倒だと言って秘書を置いていないと聞いたことがある。

秘書から情報が漏れることを嫌っているのかもしれない。

今回のように、賄賂等で裏工作をするのが仕事なのかもしれない。


馬鹿なふりをしているだけなのだろうか。

表情をみる限り、本当に馬鹿だとしか思えない。

黙っていれば、威厳があるように見えるのが得しているのかもしれないが。


まあ、別に邪魔してくるわけではなく、社内の動きとかの情報源としては使える。

だから、今後、付かず離れずの関係を維持していけばいい。

ただ、あれだけ実績がないのに、長年、常務を続けられている理由には個人的興味はある。

タクシーの窓に映る自分の顔を見ながら考えていた。


府中で高速を降り、辺りは暗くなり、住宅が増え始めた。

家の中では、1週間を平穏に過ごせたことを家族で祝福し、晩酌をしてるんだろう。

そろそろ眠ろうなんて話しているのかもしれない。


俺も、無事に自宅に到着し、ドライバーに料金を支払い、今日もお疲れさまと伝えた。

このドライバーは60歳前後にみえるが、こんな深夜まで働いて1人身なのだろうか。

離婚して、30歳ぐらいの子供に会えないのかもしれない。

孤独な時間、車の窓に子供の姿を思い浮かべているのかもしれない。


自宅の玄関のドアを開けて入ると、今週も、よく頑張ったと自分を褒めてあげる。

やや飲み過ぎたのか、眠くなり、お風呂に入るのも面倒だ。

背広とワイシャツを脱ぎ、下着のままベットに入った。


何時間、寝たのだろうか。

鳥の囀りが聞こえ、窓から朝の陽が入り込んできた。

もう朝か。でも、今日は日曜日なんだから、もっと寝ていよう。


そう思っていた時、玄関のベルが鳴った。

どいつだ、俺の少ない休息を邪魔するやつは?


出てみると、驚いたことに、そこにいたのは警察と名乗る人だった。

昨晩、佐藤総理が乗っていた車が爆破され、死亡したのだというという。

そう、俺の悲劇は、あの会食から始まっていた。

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