第8話 怖すぎる所長と篠織の新居生活
私は、罵詈雑言と共に拳を浴びせてくる篠織の突進を抑えていた。
「なぜなんだ! なぜだどうしてだ!!」
やり場のない篠織の叫びが、地下室にこだまする。
ひとしきり暴れ終わった篠織は、「すいません」と言いながら椅子に座り、
ポケットからハンドスピナーを取り出して指で回し始めた。
私が地下室に来た時にはすでに、壁面にはスライムと、ハンドガムがへばり付いていた。おそらく、
情緒の制御を失った篠織が投げつけたのだろう。
篠織の眉毛の円形脱毛症は悪化し、今や片眉が消失しており、眉毛の代わりに爪でついた引っ掻き傷が居座っていた。
篠織が理性を取り戻すと、重たい口を開いた。
「今回はね、確かに希望が見えたんです。
僕は『ZT-KLS665か7』がどうせラストに出てくるだろうなということは想像してました。
でもまさか、息子がそうだったとは思いませんでした。
設定的にどうなんだ? とは正直思いましたが、この展開には驚かされました。
665体の殺人サイボーグに囲まれた時も、見ようによっては怖いと思えました。
不覚にも『タコ部屋』が怖いと思ってしまいまいました!
所長は、ついに僕の想像を超えたのです」
「なら何が不満なんだ!」
「超えすぎたんですよ!! 何ですかこのラストは! 『チャンチャン』って! やっぱりふざけてたってことじゃないですか!」
「ふざけてはいない! これは『余韻』の音だ!! 全てが無に帰した時に鳴り響いたハイハットの音だ!!」
我々は先程の取っ組み合いの末、シャツはヨレて、ここ数日の不摂生の末に二人とも、目も肌も土の色になっていた。
産みの苦しさ。私と篠織の熾烈で、無惨な情熱のぶつかり合いとも言える。
「今確信しました」
息を切らし、汗まみれで座っているのがやっとの状態の篠織が口を開いた。
我々の地下室は、冬だというのに熱気が蒸していた。
「所長、あなたの存在がホラーなんだ!」
「どういうことだ?」
「我々のこの状況です! この状況こそ! ホラーの渦中なのです! 今気づきました!!
我々は何もする必要がなかったのです!」
「わからん! さっぱりわからん!」
「私が命懸けでアイデアを提案し、所長が命懸けでそれを書き上げてくる、
なのに完成したものは中学生がふざけて書いた落書きレベルの作品だ! これは何か妖怪じみたものが働いているとしか思えない!」
「言い過ぎじゃないのか!?」
「いいえ! そうなんです! 所長! 僕はもはや、あなたという存在が怖い!
今やっとわかりました! 我々の、ありのままの姿を描けばいいのです! それこそがあたらしいホラーです!!」
「そう……なのか? そんなことでよかったのか?」
「だってそうでしょう!? お互い同じ日本語を喋ってるのに、互いに全く意味が通じ合ってないのです!
これこそ不条理じゃありませんか! まさに今までにないあたらしいホラーです!」
「私と篠織のありのままの姿……?」
「そうです! 次こそいけます所長! 」
「ようしわかった!! ありがとう篠織!!」
私は、唐突にポケットから一掴みの『ブドウ糖』を篠織の口につっこみ。無理やり咀嚼させて嚥下させた。
そして地下から出て、ついに作品を完成させた。
これこそ、
今まで誰も読んだことのない、あたらしいホラーである。
これを読んだ直後、貴方の心身にどのような影響をもたらすか私には予測がつかない。
くれぐれも自己責任でこれを読んでいただきたい。
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『怖すぎる所長と篠織の新居生活』
来ましたね。僕たちのあたらしい季節が。
篠織はそう言って、我々の新居に車を停めた。
私と篠織は、新居に引っ越すことになった。 「あたらしいホラーを生み出すには、環境を変えたほうがいい」という私の提案を、
篠織は「どうせタコ部屋労働のメタファーだろ」と呟きながらも受け入れた。
新居は閑静な郊外にある一軒家だった。 白い壁に広いリビング、窓からは穏やかな光が差し込む。荷解きを終えた篠織は、珍しく満足げに言った。
「所長、この家……いいですね。静かで、落ち着きますよ」
「だろう?これで集中できる環境が整ったわけだ。『あたらしいホラー』を作るには最高だろう!」
しかし、その言葉に篠織は僅かに眉をひそめた。
「所長、それなんですけどね……もうZT-KLS666は出さない約束でしたよね?」
「ん?何を言ってるんだ、そんな約束した覚えはないぞ」
篠織は苦笑しながら肩をすくめ、話題を変えた。
二人はそれぞれの部屋を持つことにした。 所長は2階の一番奥の部屋を執筆部屋に、篠織は階下のリビング横に作業スペースを設けた。 新生活は順調に思えた。だが、徐々に奇妙な出来事が起こり始める。
1日目: 夜中に所長が階段を上がる音が聞こえたが、篠織が見に行くと誰もいなかった。
2日目: 所長が「冷蔵庫から勝手に食材が消えた」と文句を言うが、篠織は「ボクは触ってない」と主張する。
3日目: 所長が執筆部屋で作業中、誰かがノックをする音がしたが、ドアを開けると誰もいなかった。
篠織は気のせいだろうと笑い飛ばしたが、所長は少しだけ顔を曇らせて言った。
「ま、まあ、気にするな。大事なのは新しいホラーを作ることだ!」
ある日、篠織はリビングで何気なく質問を投げかけた。
「所長、この家、古い割に綺麗ですよね。前の住人ってどんな人だったんですか?」 「知らんよ。そんなのどうでもいいだろ」 「いや、ちょっと気になっただけです。ほら、ボクたちホラー作ってるじゃないですか。こういう設定、作品のアイデアに使えるかもしれないし」 「使えるわけないだろ!」
私は苛立ちを隠せない様子で言い返した。
その日の夜、篠織はリビングで奇妙なメモを見つけた。 そこにはこう書かれていた。
「この家で暮らす者へ:2階の部屋を覗いてはいけない」
翌朝、篠織はそのメモについて私に尋ねた。
「所長、昨日こんなもの見つけたんですけど……なんですかね、これ?」 「知らん! そんなのどうでもいいだろ!」 「いや、これ、2階の部屋を覗くなって書いてありますけど、所長の部屋じゃないですか?」 「黙れ!」
私は大声を上げた。
その夜、篠織はどうしても気になり、私が寝静まったのを確認して2階の部屋を訪れた。 ドアノブを握る手が震える。ゆっくりとドアを開けると、そこには――
執筆机の上に何体もの壊れたZT-KLS666の部品が並べられていた。 篠織がその場を離れようとした瞬間、背後から私が話しかけた。
「おい、何してる?」
振り向いた篠織は、目の前に立つ私の目が不自然に光っていることに気づいた。
「篠織、まだわからないのか?」 「……何がです?」 「お前と一緒に新居生活を始めたのは、俺じゃない」
篠織の背後で、ドアがバタンと閉じた。
「スマンナ、シノオリ」
「所長……所長こそ、まだ気づかないんですか?」
「ナニガダ シノオリ」
「ボクは、本当は女だってことに」
「……エ!! ウソン!!」
「いつボクが自分は男だと言いました? 所長だけは、ボクの気持ちに気づいてくれると思ってました」
「シノオリ……」
「カオリ……って、呼んでください。所長」
翌日、隣人がその家を訪れると、家には誰もいなかった。ただ、2階の部屋には大量のひまわりの種と、
起動していないサイボーグが置かれていた。
「ZT-KLS667」
私と、篠織の子だ。
殺人サイボーグは人を殺さず、新たな命を産み出した。つまり、『あたらしいホラー』という命である。
このホラーを、全ての愛に捧ぐ。
ホラーとはすなわち愛で、
愛とはすなわちホラーだ。
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