第4話ㅤ晴れちゃったよ天野さん!

「きりーつ、れーい」


 週番が力の抜けた号令をする。クラスメイト達は頭の角度を少し下げるレベルの礼をしながら「さいならー」なんて怠惰な挨拶をした。緩いなあと思いつつ、他の人よりは少し深めに頭を下げる。 そんな俺の横で、机に頭をぶつけるんじゃないかと言うほどの深い礼をしている人がいる。言わずもがな天野さんである。


 この短い間で分かったことはいくつかあるが、そのうちの一つがどこまでも丁寧で礼儀正しい人だということだ。育ちがいいのは火を見るよりも明らかである。


 その時、背中に何かがぶつかったような衝撃が走った。痛くはないものの、バランスを崩し机が揺れる。ああ、またか。

 

「虹ちゃーん! 今日部活見学に来ない?」


「待ってずるーい! こっちもマネージャー足りてないだけど」


 生徒達が隙さえあれば天野さんの机に集まるので、その度周辺の──俺や昴の身体に衝突していく。正直ウンザリしているけれど、1番困っているのは天野さんのはずだ。俺たちは廊下に出るなどして回避できるけども、彼女はそうもいかない。


「ごめんなさい……。今日は疲れちゃったので早く帰りたくて……」


「じゃあ茶道部でお茶しない? 今新入生勧誘のために体験活動してるんだよね」


「見てるだけでもいいから! ね?」


 天野さんは断っているのに、なかなか引かない。大方、天野さんがいると宣伝になるとかそういうところだろう。悪質だな……。


「晴彦〜。俺、今日はサッカー部の勧誘手伝ってくるから部活いけな〜い。よろしく」


 昴はそれだけ言って、廊下に出ていった。3つ4つ部活を掛け持ちしてるあいつは最近忙しそうにしている。当の本人は疲れを一切見せないのがすごい。


「お願い! 今日だけでいいからさ!」


 隣からぎゃいぎゃい聞こえてくる。まだまだ女子たちは解散していなかった。囲まれている天野さんはオロオロと視線をあっちらこっちらにやっている。


「でも、あの……」


 天野さんは人付き合いが不慣れだと言っていた。断るに断れないんだろう。助け舟を出してあげたいけれど……。


 パチリ、彼女の虹色の瞳がこちらを向いて、俺たちの視線は交差した。『助けて』とめちゃくちゃ訴えてきているのがジンジンと伝わってくる。ここで見放す程俺は終わっちゃいない。意を決して鞄を掴んで、駆け出した。


「天野さん! ほら! 急いで行くよ!」


 一か八か、彼女の名を呼んで急いで廊下へ飛び出る。父がウォーターサーバーのセールスに捕まっていた時、姉がよくやっていた手法だ。呼ぶだけ呼んで逃げてしまえばなんとかなるっていう。


「えっ!? あっ、はい! 皆さんごめんなさい!」


 どうやら成功したらしい。天野さんの返事と、戸惑う女子たちの声が聞こえる。天野さんが着いてきていることを確認しつつ、全力で廊下を走った。


「おい、天野さんが走ってるぞ」

 

「本当に2次元の人みたいだね」


 ヒソヒソ通りすがる生徒たちは噂する。こんなに耳目を集めてたら、過ごしにくいだろうな。まったく、どうにかならないものか……。


「そ、空本さ……ん! ちょっと、お待ちを……」


 弱っているような、か細い声が耳に入ってきたので急いで足を止めた。天野さんがぜーはー言いながらよろよろ歩いてきている。そうだこの子体力皆無だった。


「ごめん、大丈夫?」


「平気です。助けてくれてありがとうございます……」


 力無く笑う。それがどうにも痛々しくて、胸が締め付けられた。


 瞬間、頭に鋭い痛みが走る。窓の外を眺めると、滝のような大雨が降っていた。天野さんはうっすら笑いながら言う。


「だめですね。あなたには、隠せない……」


 そりゃあ疲れるよな……。どうにかして慰められないものか。ズキズキ痛む頭で解決策を考える。しかし一向に打開できる案は思いつかなかった。とりあえず、この状態の天野さんは放っておけない。


「良かったら、一緒に帰らない?」


 気づいたら口にしていた。天野さんは、己の住所を隠したいかもしれないなんて思いつく前に。


 天野さんはぱちくり瞬きをしながら、目を丸くしている。何を言っているんだ、とも言いたげな表情のまま、こくんと頷いてくれた。


 一緒に、昇降口まで歩みを進める。手を引いてやれたらいいのだけれど、悔しいことにそこまでの勇気は持ち合わせていなかった。ざぁざぁと降りしきる雨の音が聴こえる。天野さんの表情は見えないけれど、心情はよく分かった。


 変な秘密を共有してしまったものだ。もしかしたらかなり面倒なことに足を突っ込んだのかもしれない。後悔は微塵もしていないけれど。


 下駄箱まで到着した時、あることに気がついた。俺は今日、傘を持ってきていない。


「空本さん? どうかしましたか?」


「えーっと、傘を忘れてきちゃって……」


 天野さんの右手には、白い花が散りばめられた模様をしている傘が握られていた。1組の男女に、1本の傘。そして心優しい少女。次の言葉は容易に想像できた。


「私の傘に、入りますか?」


 予想はできたけど、いざ言われると硬直してしまう。でも、お断りしたらどう帰れと言うんだ。大丈夫。突然の大雨で部活勧誘の奴らはいない。目撃される心配はないだろう。


「じゃあ……、お言葉に甘えて」 


 心臓がいつになくバクバク動いている。大丈夫だろうか、天野さんに聞こえていないだろうか。


 天野さんは何も言わないまま、傘を開いた。しかし、その必要は無くなってしまった。日差しが眩しい。


「晴れた……?」


「晴れちゃいましたね……」


 さっきの土砂降りはなんだったのかと言うくらいの、見事な快晴だった。これは……、どういうことだ?ㅤえっ、初相合傘は……?


「と、とりあえず! 人が増える前に帰りましょうか! さぁ早く!」


 天野さんは駆け出した。表情は見えない。でも、心情はわかる。これは……自惚れてもいいのだろうか?


 天野さんの背中は遠のいていく。俺は置いていかれないよう、虹が架かる空の下、煌めく白髪を追いかけた。

 

 

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晴れさせ続けて天野さん! 野々宮 可憐 @ugokitakunaitennP

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