第1話 生誕
人間がセレスヴォ戦争でモンスターを打ち破ってから、久しい現代。偉大なる流離人によって魔王が封印されて、おおよそ250年ほどが経過した。
かつて魔王の手で分断された大陸、そのうちの一つ…
魔法とは、先の誉れ高き戦争において、人間側が主な戦法として使用した発明だと様々な文献で伝えられている。だが、モンスターが姿を消した今、魔法は単純な戦闘でのみ力を発揮するものではなくなった。
第一次魔法革命。
神力を魔法に変換する技術を応用して、魔法をエネルギーに変換する新技術が誕生した。例を挙げるならば、電気魔法や水魔法、炎魔法なんかが想像しやすい。
電気魔法のエネルギー変換によって、発電いらずで電力を賄えるようになり、水魔法はそのまま水資源の安定化につながり、炎魔法は燃料の依存からの脱却を実現した。
魔法とは、言ってしまえば神力の塊である。一度使えば魔法は形が解け、やがてもとの神力へ戻り、粒子として霧散する。この魔法から神力への遡行ロジックを逆手に取り、遡行そのものを打ち消した新たなるプロセスの開発───
───第一次魔法革命とは、要は「魔法の形成維持の発明」だ。
その詳しい理論は、王都アザレアからの技術の奔流を防ぐべく完全に隠蔽されており、王都の国民にさえ公開されていない。この徹底っぷりは、やはり第一次魔法革命がもたらした巨大な富に目が眩んでしまったことに起因しているのであろう。
さて、あえて第一次魔法革命などと呼称していることからお察しだろうが、この革命は後にさらなる発展を遂げる。
第二次魔法革命の始まりだ。
第一次魔法革命で多くの「資源」を手にした王都アザレアは、次に「労働力」の恒久化を目指し始めた。手に入れた資源を投じて目まぐるしい成長を遂げたはいいものの、それが頭打ちになってしまったことがきっかけだとされている。
衰退化の原因は人員の不足。急ピッチで進められた複数の施設の増設などが、これまで限界スレスレで稼働し続けていたマンパワーのキャパオーバーを招いた。
したがって考案されたのが、魔法で精錬し、魔法で遠隔操作をする「ゴーレム」。こちらも詳しい魔法論理は闇の中。ゆえに、一般人がゴーレムを使役することは不可能である。
しかしその功績には目を見張るものがある。
ゴーレムの発明以前に訴えられていた人員不足は綺麗さっぱり解消され、今ではゴーレムは建築の担い手として成果を上げている。
こうして王都アザレアは、生成したエネルギーを駆使して資源を生み出し、その資源を用いてゴーレムに設備を増強させるという、アザレア独自のサイクルを生み出すことに成功したのだ。
───頭の良い、賢明な者であれば、このサイクルに隠されたとある欠陥に気が付くのも容易であろう。
二度言うが、そも魔法とは「神力の塊」である。神力とは、「幻獣が振りまく力の結晶」である。
───王都アザレアは、通常であれば限りあるはずの神力を、どこから、どのような手段で、入手し続けているのだろうか。
包み隠さず言おう───お上の人間たちは、利己的で猟奇的な資本主義の犬共だ。
彼らは…否。奴らは、大陸各地の
このおぞましい事実は、前述した二つの革命で得た技術同様、深い闇の中に秘匿されてしまっている。情報を持っているのは、俺のような王都の親衛騎士、あるいはそれ以上の階級をもつ人間のみ。その全てが、この非人道的行為を盲信し、認めているのだ。
幻獣とは、原初の生命体…我々が敬意を払い、頭を下げるべき幻想の
だから、俺は戦わねばならない。
神に誓え、エディ・ランぺルツ。
正義を信じ、蔓延る巨悪を討て。
〇
王都アザレア、その郊外の長閑な村、「オルクル村」にて、小さな赤子が生を授かった。両親に与えられた名はディズ。新しい生命の誕生を祝うべく、多くの村民がディズを一目見ようと村の助産所に殺到した。
そこで村民が目にした赤子の様相は、ひどく異質なものであった。
両親いずれとも似て非なる、漆黒の頭髪。白目を失い、全体が紫色で覆われた左目。極めつけは、右腕に刻まれた大量の裂傷…を模した黒紫の刻印。
村民は、みな思わぬ光景に狼狽え、息をのみ、身を震わせた。一言で言えば、不気味であったのだ。悪い例えをすれば、
しかし、最も心身に多大なダメージを負ったのは、彼をこの世界に招いた両親であろう。我が子が痛々しい姿で生まれてきたとなれば、彼らにのしかかる重圧も半端なものではない。
結局、村民たちは両親への祝いもほどほどに、それどころかディズを忌避するような雰囲気さえ醸し出し、助産所を去っていった。
それからというもの、両親含めディズに襲い掛かる運命とは、それはもう言葉にしがたいほどに壮絶なものであった。
両親は「モンスターを産んだ親子だ」と罵倒され、ディズは日を追うごとに周囲から恐れられ、忌み嫌われるようになり、さらにディズには
やがて、両親は精神を病んでしまった。
…耐え難いほどの痛みに心が壊れた人間とは、得てしてその性格を捻じ曲げ、非情な生物へと成り果ててしまうことがある。
彼らもまた、同様だった。
ディズは両親に「疫病神」だと蔑称され、ほどなくして、彼はオルクル村から遠く離れた、雑木林の奥の奥に棄てられた。
それ以降の両親の動向は不明だ。しかし、物心がつく前の、それはそれは小さな赤子にできることなどたかが知れており、ひとたび野生動物に目を付けられでもしたら、一巻の終わりである。言うまでもなく、村民たちは「ディズの死」を漠然と予想したことだろう。
───事実とは、小説より奇なり。
ディズが棄てられた地は、
冠された名は、「フェンリル」。月白の澄んだ毛並みをたなびかせた、蒼眼の大狼。しかしその風貌とは裏腹に、深い慈悲と愛情に満ちていると記されている。
───運命の悪戯か、あるいは天の気まぐれか。神が振ったであろう賽は、各所を転がり落ちて、巡り巡った末に。
ディズのもとへと降り立った。
〇
───
だが、このまま目を瞑って立ち去るのもまた、良心が傷む。妾はフェンリルぞ。この赤子にも慈悲を与えてやらねば面子が立たないだろう。
などと己を奮い立たせたところで、活動範囲がひどく限られる妾にできることは依然少ない。王都アザレアの横暴による余波が大きすぎるのだ。先日はジャスティアの北西海岸沿いに位置する活火山帯の
俄然、この赤子を庇いつつ王都の魔の手から逃れられるとは思えぬ。
「うーむ…どうしたものかのぅ…」
頭を悩ませながら、妾はひとまず、赤子が食いつなげる分の食料を得るべく、この「ガイア」にて狩猟に勤しむことにした。
〇
───ここ最近、王都からの差し金がこの地、ガイアで暴れまわっている。
あの赤子と奇妙な邂逅を果たして数月。どのようにして妾の神力をたどったのかは知らぬが、アザレアの親衛騎士団がガイアに足を踏み入れ、妾にその手を伸ばさんとしている。
それが意味することはすなわち、妾の活動範囲の縮小。この巨大な体躯では、下手に動けばすぐに彼らに見つかり…それ以上は考えたくない。
最初のうちは楽に狩りができたし、あの赤子に餌付けだってできた。が、このところはそれさえもろくにできておらず、唯一音を立てずとも得られる山菜も、雀の涙ほどしかない。
それに加えて一つ。近頃、妾の体に少々異変が起こっておる。
神力が目に見えて衰えている…以前のような、活力がみなぎるあの感覚に、至れなくなってしまっている。
あれもこれも、妾を取り巻く環境の変化によるものなのだろうか。もはやそれさえも分からぬ。
「…難儀なものじゃ」
呟きながら、木々の幹に生えた山菜を爪で刈り取る。この小さな野草で、あの子の腹がどれだけ膨れるのだろうか。
「…ぬぅ、背に腹は代えられぬか───」
───ザザッ
「見つけた!見つけたぞフェンリル!おいお前たち!こっちだ!!」
「なっ!?どうやって妾に近づいて…」
あの馬と鎧と紋章…間違いない、アザレアの親衛騎士。まずい。逃げなければ。
どのようにして妾の五感を搔い潜ったのか。魔法の一種か。音を聞くまで反応ができなかった。
「そこから動くなよ…私たちの繁栄のために、その命、頂戴する!!」
なんともまぁ血気盛んなことだ。この際、音を立ててしまうことは止むを得ん。あの赤子を背負って追手を撒く。
…できるのか。そんな芸当が妾に。いや、やるのだ、さもなくばあの赤子に顔向けできぬ───
───バァンッ!
「つぅッ…!?」
鉛玉が妾の胴を撃ち抜いた。考える暇を与えぬつもりか。銃火器を幻獣に向けるとは、人間も堕ちたものだ。
思考を置いて、駆ける。妾は図体が無駄にでかい。とにかく動き回らねば、格好の的であろう。
逃げるのだ。
「っ!逃げ出したぞ!私が先頭を征く!後に続けぇぇ!!」
女の怒号が背後から轟く。今は考えるな。あの赤子を守り抜くことだけに心血を注げ。
(銃創から肉がまろび出てしまっておる…こんなもの、神力でどうとでもなるが…)
───仕方のないことなのだ。前々から、いつかはそうしようと決めていたのだ。
これ以上、あの赤子が痩せ細っていく姿を見たくないから。せめて、一度だけでもいいから、可愛らしい表情で、にへら、と笑ってほしいから。
だから、これは避けられぬことなのだ。
できる限り大木を遮蔽物に、蛇行して赤子の元へ向かう。しかしあの赤子には今、かつてのふっくらとした面影は残っていない。痩せ細り、病弱にさえ見えるほどに、赤子は弱っている。
そんな状態で連れまわせば、今度こそ息絶えてしまうだろう。
(だから…だから…)
───妾の肉を。妾の神力が詰まった、生命の源を。赤子に、喰わせる。
(…待っていてくれ、もう少しの辛抱じゃ…できれば、こんなことはしたくなかったが…すまぬ、妾の力が及ばない限りに)
走りながら、銃創から飛び出た肉を小さく掻っ切る。それを口に咥え、一目散に赤子のもとへ。
(もう少し…もう少し…この小川に沿って上流に…!)
この清流を昇った先に放置されていた寂れた小屋を、妾は赤子を守り育てるための安息地とした。少なくとも、あの騎士たちが乗っている馬ではここは楽に進めぬはず。
(…見えた───!)
───バァンバァンッ!
「ッ…!?」
「思慮深き幻獣、フェンリルともあろうものが、かのアザレア騎士団から逃れられるなどと愚考するとは…実に面白い」
なぜ、妾との距離の差が埋まっておるのだ。妾の全力が乗馬の速度と等しいどころか、馬に劣っているだと?
(これも魔法の効能か…厄介な…)
しかしこれは好都合。奴らの警戒心は、初手の一撃、そして妾の逃走…すなわち逃げの姿勢を見たことと、先の追撃で限りなく薄れている。
これでも妾は幻獣だ。「かみさま」なのだ。
敗北は、許されぬ。
(神力で───傷を癒す)
凶弾が空けた両脚の風穴を瞬時に塞ぐ。奴らの意識が妾に及ばぬうちに、目と鼻の先に眠る赤子に妾の肉を喰わせ、逃げる。
(簡単なことだ。何も難しくない。それどころか既に───妾の傷は跡形もなく消え去っている!)
地面を蹴り上げる。一直線に小屋を突き破り、床に眠る赤子を抱きかかえた。
「…腐っても幻獣か、これは私たちの落ち度だな」
後方から女の独白と、複数の馬の足音が聞こえる。だがここまで来たらこちらのものだ。あとは赤子にこの肉を与え、逃げ去るだけ。
(ほら、妾の肉をお食べなさい…少しだけだが、我慢してくれ───)
───あり、がと。
赤子が肉を頬張った直後、妾が抱きかかえていたはずの小さな小さな愛しい体が、さながら意思をもって急速に成長していくような、奇妙な感覚に陥った。
───オォォォォォ…
後方で、粉塵が舞っている音がする。
何故だろうか。
あの騎士団の気配が、一人、一匹残らず切り刻まれ、すり潰されていた。
何故だろうか。
妾の腕で眠りこけていたはずの赤子が、姿を消していた。
いや。
まさか。
(そこに、いるのは)
「おかぁ、さん。あり、がと」
齢にして、十数に満ちるほどの身なり。だが、それを包み込む雰囲気と、あの特徴的な左目、右腕が、妾の不信感を真っ向から否定している。
「赤子なのか…?待て、その姿は…」
両の手から鋭く伸びた、かぎ爪。小屋の床を蹴り飛ばすために使ったのかは知らぬが、妾とそっくりな毛並みを生やした、筋肉質な右足。
妾の。幻獣、フェンリルの姿と、瓜二つであった。
「おか、さん。えへ、えへへ」
───今更どうして、妾の胸の内で
なぜ、赤子であるというのに、乳ではなく獣の肉を喰えたのか。
なぜ、其方の瞳は淀んでいるのか。
なぜ、右腕に痛々しい刻印が彫られているのか。
なぜ、妾の神力が徐々に衰えているのか。
その全ての理由が解明したわけではない。だが少なくとも、この異質な人間による影響は、確実に───
「あは、あは、は」
血だまりの中心で、アザレア親衛騎士団だったものに囲まれながら。
赤子の自我が、ひっそりと目を覚ました。
心や体や愛だとか、そういう「いのち」の喰らい方 ときもんめ @TokiToki_monme
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