常人日誌

金沢出流

常人日誌


 あらかじめ断っておきたい。

 これから記すことはボクが精神科へ通院していないころのことであって、狂いに狂った自分自身を認めることができなかった恥ずべき時代の話である。

 そしてこれらの言葉はすべてはっきりいってみぐるしい言い訳に過ぎない。


 東村山警察署地下にある留置所のなか、同室になったあのヒト、新宿ゴールデン街を抜けた先、歌舞伎町のドトールの前、一階にラーメン屋のあるビル、近くにはバリアンホテルがある、あのビルの三階に事務所を構えているという全身に刺青の入ったあのヒト。

 齢五十は超えているであろうが留置所において日々筋トレをかかさない彼はとても気さくであり、ボクに対してはやさしく接した。

 反面、オレオレ詐欺を行って同室にいる若者に対してはそれはひどい扱いをしていた。

 年老いたおじいちゃんおばあちゃんを騙すことは許せない、そういう仁義を持つヒトであった。

 彼はどうやら、敵対? する組織のヒットマン? 暗殺を生業としているニンゲンを刃物で刺したそうだ。

 事件後は愛人と大阪に逃れ、最後の逃亡生活を過ごして、歌舞伎町の事務所に戻ったところを待ち構えていた警察官に逮捕され、今こうしてボクと同室になっている。

 彼とはここを出たらドトールでお茶をしようと約束をしたが、むりなはなしだ。

 やくざの道理として完全黙秘をしているそうで、それが故に彼は十何年はでてこられないのだから。

 

 ボクがここにいる理由はわかっている。

 ボクは脅迫罪に問われている。

 脅迫を行ったこと、それは事実である。

 証拠は限りなくあり、それは確定的であった。


 当時は知る由もなかったが、のちにかかった精神科の主治医曰く、事件前後のボクは躁鬱混合状態かつ妄想があったようだ。

 

 意識下では自分が狂っていることは判っていた。

 でもそれを認めることは困難であった。

 ボクの実の母や兄は狂ったニンゲンであって、幼少に精神疾患の治療を拒否している統合失調症の母からの暴力などの加害を受けていたが故に、自身もアレらと同質のモノだと認めるのはむずかしかった。


 事件を起こしたのち、どうやら警察に追われていると知ったボクは逃亡した。

 警察に捕まるのは厭だった。

 というのも幼少の頃、統合失調症を発症した兄がボクを殺そうとした日、兄は警察官に全身を革の拘束具へはめられ、そして連行され、措置入院となり、薬漬けにされた。

 その後の兄はひどいモノだった。廃人になっていた。

 今にして思えば当時は時代が時代であり現在ではそのようなことはないのであるが、そのような経験を経ていたが故にこそ警察に捕まるのが恐ろしかった。

 刑罰を受けることが怖いのではない。

 狂ったじぶんが警察に捕まれば、ボクも当時の兄のように薬漬けにされ、兄同様、約四年間も強制入院させられ、そして廃人にされてしまうとつよく妄想した。

 逃亡中は部屋にこもってばかりいた。

 外に存するだれもかれもが、特に、恵体のニンゲンは私服警察官のようにおもえた。

 

 逃亡の日々はなかなかうまくいったようにおもう。

 自分を好いていた女の家に居候をして、何ヶ月か過ごした。

 しかし、どうやら警察はボクの使う金の流れを追っていたようで、銀行の前で張り込みをしていた私服警察官に捕まった。

 

 逮捕後、ボクは平静を装うことに必死であった。

 気が狂うほどに常人でありつづけようとした。

 警察に於いても、検察に於いても、取り調べのなかで狂っていない自分を演じた。

 そうして、常人として裁きを受け、逮捕から二十三日後に罰金刑を受け、釈放された。

 もし、じぶんの狂ったぶぶんを取り調べに於いて曝け出していたとしたら、精神科医師の元へと精神鑑定に送られて、長い月日を閉鎖された病院内で過ごしたことだろう。

 いまさらではあるが、そうであったほうがよかったといまにしておもう。

 ボクは狂人であることを晒し出すべきだった。

 なぜなら、薬漬けにされ廃人にされるということそのモノがボクの被害妄想であったからである。

 

 釈放のち、日が経つにつれ、妄想などの症状は落ち着き、やがて罪の意識に苛まれた。

 二年、なにもなせぬまま無為に過ごした。

 被害者に対しての謝罪の言葉も浮かばないほどの後悔が湧き上がった。

 事件の悔恨をキッカケとして、数年後に精神科に通うことを決めた。

 そうして、もっとはやく、あの事件より前に精神科へかかっていれば、治療を受けていれば、じぶんが狂人であることを認められてさえいれば、もしかしたら、ボクがあの事件を起こすことは恐らくなかったのであろうことを治療の過程で、判ってしまった。

 悔恨の想いはさらに増した。

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