第23話 田舎の貴族という弊害

 今日は楽しみにしていた、レオリールと共に演奏会に行く日だ。

 支度を調えたジュールは、逸る気持ちを胸にレオリールの私室を訪ねたのだが──


(レオリール兄様……なんて素敵なんだろう)


 燕尾服えんびふくを身に纏った彼の姿を目にした瞬間、ぽわっと頬が熱を持ち頭がふわふわしてくる。


(僕、どうしちゃったのかな。胸がどきどきしてる)

 

 あの衝撃的な快感を味わった日から、ジュールはレオリールに抱く気持ちの変化に戸惑っていた。

 

「何を見ているのだ?」


「あ、ごめんなさい。不躾でしたね。レオリール兄様の燕尾服姿を見たの、はじめてだったから……」


 見惚れてしまったと言えなくて、続く言葉を呑み込む。以前の自分なら、なんの躊躇いもなく口にしていただろう。「格好よくて、見惚れてしまったんです!」と。


 それが今は言えないのは、なぜ?


(僕が子どもすぎるからかな)


 ジュールも今日は、大人の社交場ということで燕尾服を着ている。しかしレオリールと比べると、同じものとは思えなかった。着る人間次第で、こうも違うものなのかと自身を見下ろし、ため息が出てしまう。


 そんなジュールを、怪訝な顔でレオリールが見ていた。


「あの、えっと、同じ燕尾服でも、レオリール兄様が着ると、僕とは全然違うなと思って」


「意味がよくわからないが。そう変わらないだろう」


「いいえ! 足なんてこ~んなに長いし、肩幅だって、身体の厚みだって、僕とは全然違います。だから見栄えも……男らしさが違うんです!」


 身振り手振りでレオリールの容姿を力説する。しかしレオリールの反応は薄く、「……もういい、止めなさい」と言われてしまう。おまけにあさっての方向へ顔を背けてしまった。


 どうしよう。怒らせてしまったかもしれない。


 不安になり、ジュールはそっとレオリールの横顔を盗み見る。


(あれ……耳が赤くなってない? もしかして、照れているのかな)


 機嫌を悪くしたのでなければ一安心だ。


「レオリール様、そろそろ注意事項をお伝えしないと」


 ジュールとレオリールのやり取りを静観していたオスマンだったが、懐中時計を確認すると急ぐよう促される。


「ジュール、ひとつ言っておく。パーティーでは、極力私のそばを離れないように」

「はい、大人しくしているので大丈夫です」


 夜に行われる大人の社交場だ。身のほどをわきまえて、うろちょろするなということだろうとジュールは納得する。


「何か勘違いしていそうだな。貴族が集まる社交場では、内情を探ろうとする者が多くいる。腹の探り合いだ。特に私とちかしいおまえと、懇意になろうとする者もいるからだ」


「あ……はい、わかりました。あの、会場では親戚だと言わないようにしますね」


 ジェシカの件を思い出す。公爵であるレオリールと繋がる自分は、利用されやすい。そうなるとまた、レオリールをわずらわせてしまうことになる。


「いや、そうではなく……離れていては、ジュールを守ってやれない……という意味だ」


 レオリールはまた、あさっての方向を向いてしまう。それが照れ隠しであることは、先ほど同様、ほんのり赤い耳でわかった。


「レオリール兄様──ありがとうございます! 僕、嬉しい……」


 自分はとんだ思い違いをしていた。足手まといになるなという牽制かと落ち込んでしまった自分が恥ずかしい。紳士であるレオリールが、そんなことを言うはずなかったのだ。


「まあ、そういうことだから、親戚だということを隠す必要はない」

「でも……田舎の貴族の僕を連れていたら、レオリール兄様が恥を搔いたりしませんか?」


 今まで田舎の貴族だからといって、自分を恥じたことなどなかった。見下す人間がいることは知っていたが、胸を張っていればいい。そう思っていたけれど、王都に来て己の甘さを知った。弊害というのか、田舎の遺族というだけで、侮られ根も葉もないことを噂される。いかに身分が重視され、生活に関わってくるかを学んだ。


(だからって、蔑まれるなんておかしいと思う。同じ人間なのに)


 けれど、ジュールが無知だった部分があるのは否めない。でもそれは、これから学んでいけばいいことだ。今夜だって、そのために演奏会に参加するのだから。


「なぜ恥を搔く? 私は住んでいるところなどで、人の価値を決めたりしない」


 そうだった。レオリールは、人間性を見てくれる。


「やっぱりレオリール兄様は、最高の紳士です。あの、僕の今日の目標は、見て学ぶ、です」


「そうか。頑張るといい」


 レオリールがジュールの頭に手を乗せたときだった。


「さて、お後がよろしいようですので。さすがにタイムリミットですよ、お二方」


 もう出発しないと間に合わないと、オスマンに追い立てられる。

 早足で玄関まで行くと、心配顔のトニスがいた。


「ジュール様、いいですか。くれぐれも、おひとりにならないでくださいね」


 幼子に、噛んで含めるような物言いだ。トニスの中で、ジュールはいったい何歳なのか。


「心配してくれてありがとう、トニス。でも、今日はレオリール兄様と一緒だから大丈夫だよ。じゃあ、行ってくるね」


 安心させるように朗らかに笑み、馬車に乗り込む。レオリールは先に乗っていて、その向かいにジュールは座った。


「ジュールに言っていなかったのだが……おまえが前回パーティーに出席した際のことを、トニスが知っておきたいと書斎に訪ねて来たのだ。彼はジュールの執事。把握しておくのは当然かと、オスマンに報告させた」


 自分の身に起きた諸々のことを、トニスは知っていたようだ。大袈裟にしたくなくて、ジェシカの件だけ話したのだが、それがかえって他にも何かあったのでは? と懸念を抱かせたのかもしれない。レオリールの話では、中でもケインに言い寄られたことを、至極気にしていたという。


「あれは多分……噂のせいだと思います」


 学院で流れていた、ジュールがお金を必要としているという噂。ただの誤解で、それは解けたのだと晴れやかに微笑む。ジュールを揶揄う者は、もういないはずだ。


 今夜はそんなことよりも、レオリールと一緒だということのほうが、ジュールの心を占めていた。

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