第22話 火照る身体と高鳴る鼓動

「ジュール様! いかがされましたか。それに、レオリール様まで」


 ずぶ濡れの姿を見たトニスは、顔面蒼白だ。


「だ、大丈夫だよ。ちょっと……湖に落ちただけだから」


 レオリールの体温のお陰で、少し唇が動かしやすくなった気がする。


「風呂へ行く。ジュールの着替えを頼む」


 レオリールはトニスに告げたあと、すぐにオスマンを呼んだ。そしてジェシカを見送るよう指示を出した。


「早く身体を温めなければ」


 脱衣所へと急ぐレオリールを、ジュールは腕の中から見上げる。彼の毛先からは、ぽたぽたと雫が落ちていた。何せ、湖から上がったそのままの姿だ。ジュールはレオリールのジャケットにくるまれているから、多少マシな姿だ。


「自分で立てるか?」

 そっと下ろされ、顔を覗き込まれる。


「は、はい。大丈夫です。あの、ごめんなさい。レオリール兄様まで巻き込んでしまって」


 自分が泳げないばかりに、湖に飛び込ませてしまった。あのとき水中で見た水泡は、レオリールが飛び込んだことによってできたものだったのだ。


 ジュールは自身の右手首を見つめる。

 死を覚悟したとき、強い力で掴まれた感触がまだそこに残っていた。


「元を正せば私のせいだ。すまなかった」


 レオリールの表情は暗い。責任を感じているのだろう。

 これ以上自分が謝れば、かえってレオリールを苦しめてしまいそうだ。


 ジュールは服を脱ぎ始めたレオリールに倣い、自身のシャツをたくし上げるものの。


(うわ……逞しいんだな、レオリール兄様)


 肩には厚みがあり、腕も筋肉がついていて太かった。しなやかな手足から、細身なのだろうと勝手に思い込んでいたが、着痩せして見えていただけだのようだ。


(あの逞しい腕に、僕は抱きかかえてもらったんだ)


 なぜか頬がカッと熱くなる。先ほどまで寒さで震えていたというのに、その熱は全身へと広がっていく。


「あ……」


 背を向けていたレオリールが、不意に振り返る。目が合ってしまい、恥ずかしさから視線を逸らす。と、右肩に目が留まる。引きつれたような傷跡を見つけたからだ。尖った何かが刺さったような跡だ。


 美しい身体に残るその傷跡は、ジュールの目に痛々しく映った。


「──子どものころに、ちょっとな」


 ジュールの視線から隠すように、背を向けられる。踏み込まれたくない、という拒絶の壁を感じた。


「脱いだらジュールも来なさい」


 ウォルター家の風呂は、地熱によって温められた湯が引いてあり、いつでも入れるようになっていた。


「本当に、僕が一緒に入ってもいいのかな」 


 兄と汗を流すことは何度もあった。それなのに……裸のレオリールと一緒に入る。そう考えた途端、心臓が暴走を始める。ドクンドクンと早鐘を打ち、息苦しくなってくる。


(なんで? どうしてこんな気持ちになるの)


 考えようにも、思考が働かない。しかもレオリールに再度声をかけられ、慌てて身につけたままだった下着を脱ぐ。


「遅い。早く湯船に浸かって、温まりなさい。風邪を引いてしまうぞ」

「はい……失礼します」


 ふたりで入っても、十分に広い浴槽だというのに、ジュールは遠慮がちに膝を抱え隅のほうに身を沈める。レオリールはといえば、足を伸ばしゆったりと浸かっていた。


(う……大きい)


 ふと視線をさげると、レオリールの下生えが目に入る。髪色より濃いブラウンだ。そしてその茂みに浮かぶ、一物。


 ジュールはさらに膝を引き寄せる。ぎゅっと足を閉じていないと、異変を感じる下肢を見られてしまうのではないかと恐怖する。


(な、なんなの、これ……むずむずするよ)


 経験のない違和感だった。腰の奥が疼くような感覚と、ぴくぴくと脈打つ下肢。


「どうかしたのか、ジュール。顔が赤いが……湯あたりしてしまったか?」


 上がるよう促される。しかし、今のジュールは立つことができない。硬く腫れ上がった下肢を、レオリールに見られたくなかった。


「いえ、あの……レオリール兄様から先に……上がってください」

 息の上がったジュールに、レオリールは手を伸ばす。


「ひぃ!」

 肩に触れられ、身体がびくりと跳ねた。


「何かあったのだろう。話してみなさい」


 ジュールがジェシカのことで悩んでいるのではないかと、心配顔をされる。

 レオリールには申し訳ないが、ジェシカのことなど今は頭の片隅にもない。それどころではないのだ。下肢が棒のようになってしまって、変な病気だったらと思うと不安でたまらなくなる。しかも、痛みまで出てきて──


「僕、僕……」

 急に怖くなったジュールは、涙目でレオリールを見つめた。


「どうしたのだ⁉」


 突然立ち上がったレオリールの下肢が、目の前に……


 ますます下肢が痛くなり、堪えられなくなったジュールは、縁に腰かけ恐る恐る惨状を晒した。


「急にこんなになって……僕、怖くて。どうしよう、人にうつしてしまう病気だったら」


 もしレオリールの具合まで悪くなったら。自分はどう責任を取ればいいのだろう。


「おまえは……精通がまだだったのか──」


 信じられない……という驚きなのか、レオリールは目を見開き呟く。その様は、ますますジュールを不安にさせた。


「何? なんなの」

 ほろほろと、大粒の涙が頬を伝う。


「だ、大丈夫だ。病気ではない。男にはよくある生理現象だ」

 レオリールは柄にもなくおろおろした。


「ほ、本当ですか? 待っていれば、収まるの?」

 ぐずぐずと泣きながら、子どものような口調だ。


「私では嫌だろうが……熱を冷ましてやろう。目を瞑っているといい」

 

 言われたとおり、ジュールは目を閉じる。

 この様子だと、閨事の知識もなさそうだな……というレオリールの呟きが聞こえたが、ジュールは腹の底から迫り上がってくる熱に、意味を考えるどころではなかった。


 ***


 気を利かせてくれたのか、ジュールが果てたあと、レオリールは一足先に風呂場から出ていった。

 ひとり残されたジュールは、まじまじと自身から飛び出したものを見る。好奇心から、指ですくい匂いを嗅いでみた。


「う、青臭い」


 レオリールは精通と言っていたが、男にだけあるもののような口ぶりだった。


「気持ちよかったな……って‼」


 余韻に浸っている場合ではない。熱が引き冷静になったジュールは、発狂しそうなほどの羞恥に襲われる。


「レ、レオリール兄様に、なんてところを触らせてしまったの」


 そう思う傍ら、レオリールの慣れた手つきにはっとする。もしかして、紳士の嗜みではないのかと。


閨事ねやごとの知識がどうとか言ってたけど……」


 先ほどの行為は、それと何か関係あるのかもしれない。


 知りたい、知るべきだ。


 知識は教えられるばかりではダメだ。自分から得ようとしなければ。


 ジュールは閨事についての本を読んで勉強しようと決めた。


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