第21話 湧き上がる怒り
腕に抱く身体は、氷のように冷たかった。唇は色をなくし、小刻みに震えている。
ジュールを抱え湖から出たレオリールは、一度彼を地面に下ろし、自身が脱ぎ捨てたジャケットで
「大丈夫か? ジュール。すぐに連れて帰ってやる」
「ご、ごめんな……さい……迷惑……かけて。僕の……不注意で……落ちたん……です」
身体の震えが止まらず、うまくしゃべれないというのに、ジュールは自分が悪いのだと必死に言葉を紡ぐ。
「あ、あの、私は止めたのですよ。でも、木登りは得意だって──」
ジュールの優しさに、ジェシカはこれ幸いと便乗する。
(よくもそんなことを──)
レオリールは怒りを覚えた。ぐつぐつと
「嘘はいらない」
自分は悪くないのだと誇示され、レオリールは眉間に皺を寄せ険しい顔でジェシカを見据えた。声を荒げたわけではないが、レオリールの怒気を含んだ空気を感じ取ったのだろう。ジェシカは怯えて言葉を失い、おろおろと目を泳がせる。
「私は見ていた。確かに自分から木に登ったのはジュールだ。だが、君が帽子を取るよう強要したのも事実だろう」
一方だけに非があるわけではない。責めるのも間違っている。けれど、自分は言い逃れようとするジェシカに、苛立ちを抑えられなかった。
そして、様子を少し離れた場所から見ていた自分にも。早く駆け寄り、止めるべきだった。しかし自分が出しゃばることで、紳士として頑張るジュールの意気込みに、水を差すのではないかと躊躇してしまったのだ。
「ですがこの場合、進んで行動するのは紳士として当然なのではないかと……」
おどおどしながらも、女の自分が木に登ることはできないのだからと言い募る。胸には赤いレースのリボンがついた白い帽子を、抱きしめるように抱えている。
「そなたの振る舞いは、とても淑女とは思えない。男に紳士を求めるのなら、そちらも相応の品格を持つべきではないのか?」
相手によって態度を変えるのは、感心しないと苦言を呈す。
「そ、それは……」
公爵に不興を買ったことへの不安も手伝ってか、 返す言葉が見つからないようでジェシカは俯き黙り込む。
「今日はもう、お引き取り願おう」
ジュールを抱き上げ、レオリールは屋敷へと急ぐ。
「レオリール……兄様。ジェシカは……大丈夫……かな」
寒さから歯をカチカチと鳴らしながらも、ジュールはジェシカを心配する。自分をこんな目に遭わせた人間だというのに。
「オスマンに送るよう指示を出すから、ジュールは気にするな」
そう言うと、ジュールは安心したように目を閉じ、レオリールの胸に頬を寄せた。
「すまない。私が散歩へなどと言い出さなければ──」
ジェシカから向けられた、私欲に満ちた目。公爵という家柄への憧れと、レオリールに媚びる眼差し。
レオリールが目当てなのは一目瞭然だった。
(今回のことは、すべて私の失態──)
ジェシカだけ攻めるのは、間違いだ。
実のところ、外出するというのは嘘だった。そう言えば、ジェシカは早々帰るのではないかと考えてのことだった。
しかし彼女は帰らず、ジュールと連れだって外へ出てしまった。
離れて行く後ろ姿を書斎の窓から見たレオリールは、心配になりあとを追った。ジュールの背中が、気落ちしているように感じられたからだ。またジェシカに、傷つくようなことを言われるのではないか。そう思うと仕事どころではなかったのだ。
(様子を見に行ってよかった。もし、行っていなかったら──)
ジュールを失っていたかもしれない。そう思うと、怖くなってくる。
レオリールにとって、ジュールのいない生活などもう考えられなくなっていた。
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