第19話 気づきたくなかった

「お久しぶり、ジュール! 今日はお招き……ありがとう──」


 応接室のドアを開いた瞬間、ジェシカはソファーから立ち上がりジュールに駆け寄ってくる。そしてジュールの背後に目をやり、人影のないことを知ると、あからさまに落胆した。


「ジェシカ、あの……」


 ジェシカはソファーに戻りドカリと座った。そして足を組み、ジュールを睨みつけてくる。


「どうしてあなただけなの。レオリール様は?」

「え、ジェシカは僕を訪ねて来てくれたんでしょう?」


 そばまで歩み寄りそう言うと、ジェシカは不機嫌も露わに口調が荒くなる。


「だって、レオリール様を紹介してくれるって言ったじゃない。私、ずっと待っていたのよ!」

「で、でも、僕はそんなこと──」

「言いわけなんて見苦しいわよ!」


 彼女の言い分は一方的で、ジュールには理解しがたい。おまけに「私があなたに好意があるなんて、思わないでちょうだい」とツンとそっぽを向かれる。いくら紳士を目指すジュールでも、傷つくし悲しくなる。


「ごめん……」


 ジュールの目に翳りが浮かんだときだった。


「失礼するよ」


 ノックのあと、ドアが開く。

 部屋に入ってきたのは、冷ややかな表情のレオリールだった。


「まあ、レオリール様。お初にお目にかかります。ジェシカ・ターナーと申します」


 ジェシカ素早く立ち上がり、ジュールを押しのけるようにレオリールの前へ進み出る。


「ようこそ、ジェシカ嬢。レオリール・ウォルターだ。今日はどういった用件で?」


「あ、はい。ジュールが遊びにこないかって、招いてくれたんです。ジュールとは、とても親しくさせていただいています」


「そうか。ジュールによき友人ができ、なによりだ。これからも、彼と仲良くしてやってくれ」


「ええ、もちろんです!」


 不機嫌さはどこへやら。ジェシカは胸の前で手を組み、憧れいっぱいにレオリールを見つめている。


「ならば、ふたりで散歩にでも行っておいで。近くに湖がある。ほとりには綺麗な花も咲いているだろう。ジュール、場所はオスマンに聞くといい」


「はい、レオリール兄様」


 なんて紳士な対応なのだろう。ジェシカの機嫌もよく、笑顔が華やいでいる。


(綺麗だな、ジェシカ。格好いいレオリール兄様と並ぶと、なんだか……)


 絵になる二人がお似合いに見えてきて、ジュールは自分が蚊帳の外にいるような気持ちになる。


「そうだわ! レオリール様も、ご一緒に行きましょうよ」


 ジェシカはレオリールの腕に触れようと、そっと手を伸ばした。


「いや、私はこれから仕事で外出しなければならない。ふたりで楽しんでくるといい」


 すっと身を引いたレオリールは、そのまま部屋から出ていった。ジェシカは名残惜しそうに、レオリールが出ていったドアを見ている。


「あの、ジェシカ。これからどうする? 散歩に行ってみる?」


 ジュールは遠慮がちに尋ねる。断られるだろうと思っているからだ。なぜなら、レオリールは外出すると言っていた。ならばもう、ジェシカがここに止まる理由はない。彼女の目的はレオリールに会うことであって、ジュールと交流を深めるためではないのだ。


 しかし──


「いいわよ。付き合ってあげるわ」

「え! いいの?」


 ジェシカの声は弾んでいた。口元も綻んでいて、ジュールも嬉しくなる。だというのに、ジェシカは顎先に人差し指を触れさせて、心の声を漏らす。


(あぁ……こんなこと、気づきたくなかったな)


 耳に届いた、「いつ戻られるのかしら」という呟き。自分との散歩は、レオリールが戻るまでの暇つぶしだという彼女の思惑を知る。以前の自分なら、気づかず単純に浮かれていただろう。


「さあ、早く行きましょう。あ、そこの帽子、取ってちょうだい」

「あ、うん。──はい、どうぞ」


 ソファーに置いてあった帽子を手渡す。ジェシカはお礼も言わず受け取ると、足取り軽く歩き出す。


「ちょっと待って、場所を聞かないと──」


 振り向かないジェシカの背中を見つめながら、ジュールは重くなっていく足を懸命に運んだ。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る