第18話 階級というもの

 書斎を出たジュールは、弾むような足取りで自室に戻る。

 そしてドアを開けた瞬間、喜びを爆発させた。


「聞いてよトニス! レオリール兄様が、今度パーティーに出席するんだって。それも、僕を一緒に連れて行ってくれるんだよ」


 弾けんばかりの笑顔のジュールに、トニスは「ようございました」と微笑む。


「何を着て行けばいいかな」


 パーティーでのレオリールは、凛としていてさぞや素敵なことだろう。


(あ……そういえば)


 浮かれていたジュールだったが、あることを思い出す。


 自分が伴って、大丈夫だろうか。


 今日学んだばかりだ。大半の者が、女性を同伴すると。それに自分が粗相をすれば、彼が笑われてしまう。そのことに思い至り、ジュールは蒼白になる。


「トニス、どうしよう。僕、今日のパーティーで、女性から紳士失格だって言われたんだ」


 次のパーティーでも言われたら、レオリールの立場を悪くしてしまうと相談する。


「ジュール様は立派でございますよ。なぜそのようなことを言われたのでしょうか」


 首を傾げるトニスに、パーティーでの出来事を話して聞かせる。


「賢明な判断でしたよ、ジュール様。その女性にレオリール様を近づけるほうが、迷惑をかけることになっていたかと」


 トニスに肯定してもらえ、胸のつかえが下りたような気がした。実のところ、ずっと胸がモヤモヤしていた。レオリールの身分に惹かれ、近寄ろうとする心根は受け入れがたい。


(僕のお父様とお母様は、本当に仲良しなんだよね)


 自分の前でも構わず身を寄せ合っていた。相思相愛のふたりに、ジュールは憧れ理想でもあった。自分も伴侶とは、そうでありたいと思う。


 まだ恋をしたことはないけれど、願えばきっと叶うと信じている。


(いつ素敵な女の子と出会えるのかは、わからないけど)


 自分は焦らず、ゆっくり進もう。無理して好きな人を作ることはないのだから。

 

 ***


 休日が明け学院にやってきたジュールは、いつものように「おはよう!」とクラスに入ろうとしたのだが……


「おはよう、ジュール」

「今朝の体調はどう、ジュール」


 普段はジュールが話しかけても、「ああ」とあしらわれてばかりだったクラスメイトが、笑顔で声をかけてきた。


「お、おはよう。僕は今朝も元気だよ」


 予想外のことに、ジュールは慌てて返事を返す。いったいどういう風の吹き回しだ。あれほど自分と関わらないようにしていたのに。


「おはよう、ジュール。現金なやつらだよな」


 歩み寄って来たのは、呆れ顔のフィルとティモシーだ。


 どういう意味かと問うと、声をかけてきたふたりは、先日のパーティーに参加していたのだという。そのことと、急にジュールに好意的になったことは、なんの関係があるのか。


「いやな、それは……」


 結びつかず困惑顔のジュールに、フィルは言い淀む。


「フィル、ジュールに遠回しな言い方してもな。純真な子なんだから、ピンとこないさ」


 眉尻を下げ、ティモシーも弱り顔だ。


「そうだな。気を悪くしないで聞いてくれ。あいつらが態度を変えたのは、ジュールが公爵様と懇意にしていると知ったからだ」


「え──」

 さすがのジュールも、意味を悟った。


 階級──これが貴族社会。


 ジュールという人間と、親しくなりたいと思ってくれたのではない。レオリールと親しい自分と懇意になりたいだけ。


「元気だせよ。俺たちは、何も変わらない」


 そうだ。このふたりは、田舎から出て来た自分と友人になってくれた。


「大丈夫だよ。それに、あの人たちとも、これを機に仲良くなれるかもしれないし」


 笑顔を見せると、「それでこそジュールだ」「前向きなことは、いいことだ」と褒めてくれた。


 この日は後から後から、話を聞きつけた学生がジュールに声をかけてきた。

 パーティーに来ないか? 町に買い物に行かないか? 湖にボート乗りに行かないか? と。


 どれもやってみたいと思っていたことだった。けれどなぜか、心は弾まなかった。

 そして──


「ジュール、今まで嫌な態度を取って、申し訳なかった。没落しそうな貴族だなんて言ってさ……」


 帰り際、ひとりになったところをカスターに呼び止められた。殊勝な顔で謝罪され、誤解が解けたことに嬉しくなる。きっとレオリールと親しいと知り、没落など誤りだったとわかってくれたのだろう。


 そう思う傍ら、心を偽っているのではないか。仕方なく謝っているのでは? とうい感情が湧いてくる。パーティー会場で見た、悔しそうなカスターの顔が頭をよぎったからだ。


(いけない。せっかく謝ってくれているのに。素直に受け取らないと)


 純真無垢なジュールなら、そうするはずだ。


「もういいよ。単なる誤解だったんだから」

「ありがとう。お詫びと言ってはなんだけど、よかったら今度、家に遊びに来てくれよ」


 仲直りだと、手を差し出される。


「うん。ぜひ」

 固く握手を交わし、ジュールは感極まり涙ぐむ。


 やはり人間は、話せばわかり合えるのだ。信じよう。たとえ身分が絡んでいたとしても、自分を知ってもらうことで本物の友人になれるはずだ。


 ジュールは希望を胸に、カスターに微笑んだ。


 そしてこの日を境に、ジュールの学院生活は一偏した。母親からの紹介で得たのではない、念願だった自身での友人関係の構築。


 だというのに、上辺だけのように思えてしまう。一度植え付けられた疑心は、何度拭ってもいらぬ疑念を抱かせる。そんな自分に、ジュールの胸はシクシクと痛んだ。


 いつから自分は、こんなにも人を疑うようになったのだろう。


 疑心暗鬼に陥りそうになるジュールを、さらに追い詰める出来事が起こった。

 それはジュールが休日に、花壇の手入れをしているときだった。


「可愛い葉っぱだな~」


 緑の芽が土から顔を出すのを、今か今かと待っていたのは一月以上前のこと。可愛らしい芽が出るまで、種をまいてから一週間もかかった。なんと長く感じたことか。今では随分と成長し、もう一月もすれば蕾みができはじめるとオスマンが教えてくれた。


「楽しみだな。咲いたらレオリール兄様に見てもらおう!」


 水をたっぷりやり、生き生きとして見える葉を眺める。


「ジュール様、お客様が訪ねていらっしゃったのですが」


 不意にかけられた声に振り向けば、眉間に皺を寄せたオスマンが立っていた。


「え、お客様? 僕に……」


 約束した覚えのないジュールは、首を傾げる。その様子から何かを察したオスマンは、大きなため息をついた。


「そんなことだろうとは思いましたが……以前、パーティーでお会いになった、ジェシカ嬢を覚えておいでですか?」


「覚えてるけど……まさか、お客様って──」


「ええ、ジュール様に招待を受けたとおっしゃって、今、応接室でお待ちです」


 なんてことだ、すでに部屋に通されているとは。


(僕、約束なんてしてないんだけどな)


 困惑するジュールに、オスマンは勝手に押しかけて来たのだろうと言う。しかし、だからといって追い返すわけにもいかない。紳士として、女性を無下にあしらうことはできない。


「あの、レオリール兄様は?」

 迷惑をかけてしまったらと気が気ではない。


「ひとまずジュール様が対応を、とのことです。彼女はジュール様を訪ねて来られたのですから」


 様子を見て、レオリールは顔を出すとのことだった。


「ジュール様、しっかりなさってくださいね。押しの強そうな令嬢のようですし、言いくるめられないように」


 押しかけてくるほどの人だ。オスマンの言うことにも頷ける。


「わかったよ。僕、紳士らしく、困ることは困ると伝えてみる」


 曖昧な返答は、増長を招くような気がした──


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