第17話 くすぐったい感情

 今ごろジュールは、どうしているのか。パーティーを楽しめているだろうか。こんなに気になるなら、自分が一緒に行けばよかったとさえレオリールは思った。


「ダメだ、集中できない」


 落ち着かず、手元の文面がまったく頭に入ってこない。読むことを諦め、レオリールは椅子から立ち上がる。


「うん? 蹄の音か……」


 耳を澄ますと、馬車を引く馬の蹄の音が屋敷へと近づいてくる。まさかと思いつつ窓から外を見ると、ウォルター家の馬車が玄関に滑り込んできたところだった。 

 聞いていたお開きの時間からすると、随分と早い帰宅だ。何かよからぬことでもあったのだろうかと、ますます落ち着かなくなる。

 

 しかし当主たるもの、取り乱してはならない。


 廊下を歩く靴音が近づいてくる気配に、レオリールは速やかに机につき、何食わぬ顔で仕事をしているふりをする。


「ただいま戻りました」


 間もなくして、オスマンが書斎に顔を出す。


「ああ、随分と早いな」

「ええ、少々厄介なことがありまして」


 含みを持たせたオスマンの物言いに、レオリールは脳内で逡巡する。 


 社交界では、ごく一部ではあるが男色家がいる。ジュールはあの容姿だ。男に不埒な真似でもされたのだとしたら……


「レオリール様、顔が般若のようですよ」


 くすくすと肩を揺らすオスマンに、レオリールは我に返る。


 自分としたことが。よく考えればわかることだった。この男が見張っていたのだ、何かが起こるはずはない。


「報告するようなことなど、何もなかったのだな」


 冷静さを取り戻し、からかうなと睨む。


「いいえ、おお有りです。ケインに目をつけられました」

「何! あいつが来ていたのか」


 若者の集まるパーティーだと聞き、油断していた。

 ケインは男女問わず、気に入ればベッドに誘う遊び人だ。爵位はないが、事業家としては優秀でかなりの資産を持っている。


「ジュール様は、危険人物を見抜く目をお持ちのようです。ケインなど歯牙にもかけませんでしたので、ご安心ください」

「別に心配など……」

「では、他の報告は要りませんね」


 澄ました顔で退室しようとするオスマンが忌々しい。


「待て、私は姉から頼まれている。知らなかったでは済まされない」


 あくまで義務だと強調する。しかし早口になってしまい、オスマンは呆れ顔だ。


「やれやれ、素直じゃないですね。ジュール様とは大違い。ですが……人間味が出て来たようでなによりです」


「どういう意味だ。私は人として、常に正しく生きているつもりだが」


「あなたは真面目すぎる。息苦しいでしょうに──」


 オスマンは小さな声で呟く。

 レオリールが「何か言ったか?」と問い返すが、なんでもないと首を横に振る。


「では、報告させていただきます。パーティー会場で二、三気になることを耳にしました」


 至極真剣な顔で、オスマンは語り出す。


「一部の貴族の間で、ジュール様がお金に困っている。自分を囲ってくれる相手を探している。というような噂が立っています。誰かが故意に、流しているのではないかと」


「なぜだ? ジュールは私の親戚だぞ。囲われる必要などない。皆は思い至らないのか?」


「それが、ジュール様は学院で、レオリール様との間柄を誰にも言っていないようです」


 オスマンの言葉に、レオリールは衝撃を受ける。


 公爵家と繋がりを持つ者は、それを誇示しようとするものだ。自分が相手より優位に立とうとするからだ。今回オスマンを行かせたのは、ジュールを手なずけウォルター家に取り入ろうとする輩が出ることを警戒する意もあった。


 ジュールはレオリールの立場を、利用する気はないということか。


「しかしながら、今後のことを考えて知らしめておくべきかと、レオリール様の屋敷にジュール様が住んでいることを私が漏らしておきました」


 聞けば、令嬢のひとりがジュールをさげすみ、我慢ならなくなったという。そんなときですら、ジュールはレオリールと親戚だと言わなかったそうだ。


「レオリール様との間柄を知ると、今度は紹介しろとジュール様にすり寄っていましたよ。必死に断っておられましたが、あの勢いでは勝手に屋敷へやって来そうです」


 やれやれと肩を竦めるオスマンに、「入れるなよ」と念を押す。


「他には何があった?」


 オスマンは気になることが二、三あると言っていた。


「実は、ジュール様が──」

「レオリール兄様!」


 話の最中にドアがノックされ、ジュールが飛び込んできた。弾む声と笑顔の様子から、気落ちしていないようだと安堵する。しかし注意はしなければ。


「まったく。落ち着きがなさすぎる」


「あ……ごめんなさい。どうしても伝えたいことがあったので。今日は、オスマンさんを寄越してくださって、ありがとうございました。心強かったです。レオリール兄様の優しさに、僕、感動しました!」


 目をきらきらさせて見つめてくるジュールに、なんとも言えない居心地の悪さを感じる。オスマンを行かせたのは、もちろんジュールを心配したからだ。しかしそれとは別に、自分に害が及ぶことを避けるためでもあった。それをここまで感謝されると、後ろめたい気持ちにさえなる。表向きではない、気持ちの籠もった礼だとわかるからだ。


 ジュールなら、たとえレオリールが平民だったとしても、今と同じように心から感謝の言葉を伝えてくれるだろう。彼にとって、身分など関係ないのかもしれない。

 しかし──


(ジュールが私の過去を知ったら、どう思う……?)


 落胆、同情、哀れみ──


 知られたくないと思った。自分を見る目が変わってしまうことを恐れたのだ。


「大袈裟だ。私は義務を果たしているだけだ」

「いいえ、大袈裟ではありません。僕ひとりだったら、二度とパーティーになんて行きたくないと思ったはずです」


 と、いうことは……これからも、パーティーに参加するということか。


 オスマンにちらりと視線をやれば、ふいっと視線を逸らされた。


「行ってもいいことなどないだろうに。嫌な思いをしたと聞いたが」


「でも、場数を踏まないと、紳士になれません。もっといろんな男の人を見て、紳士としての立ち居振る舞いを学びたいんです」


「変わっているな。パーティーへは、令嬢と知り合うために行きたいのかと思っていたが、男を見たいとは」


 立派な紳士。ジュールの願いは、ずっと揺るぎないようだ。


「気安いパーティーでは、無理ではないか? もっと格式高いパーティーでないと、紳士の手本になるような男はいないと思うが」


「あっ! だからレオリール兄様は、あまり社交場に出られないんですね。言われてみれば、今日のパーティーにレオリール兄様のような素敵な紳士はいませんでした」


 手放しの賛辞に、レオリールはくすぐったいような感情を味わう。


(この子の中の紳士像とは、なんなのだ……?)


 頭の中が、お花畑でなければいいのだが。


「そうか、わかった! 身近にお手本の紳士がいるんだから、パーティーではダメな紳士を学べばいいんだ」


 ひとり納得するジュールは、意気込み新たに宣言する。


「僕、これからもたくさんのパーティーに参加して、男を磨きます」


「磨くのはいいが、ジュールにとって紳士はどうあるべきだと考えている?」


 間違った認識をしていては大変だ。確認しておく必要がある。


「僕の理想の紳士は……」


 振る舞いが上品で礼儀正しい人、を皮切りに次々と語り出す。誰に対しても公平で、優しい態度で接する人。おおらかで包容力のある人。向上心を持ち、自分を高める人。きめ細やかな気遣いができる人──

 切りがないのでは……と思うほど止まらない。


「それから、女性に喜ばれるエスコートを、スマートにできる紳士になりたいです! でも僕……女の人が怖いって、はじめて思ったんです。慎ましやかでか弱いのが女性だと思っていたから。あっ、フィルの恋人は、可愛い人でしたよ。女性にも、いろんな人がいるんだって勉強になりました」


 女性の皆が皆、淑女ではない。性根の悪い男がいるように、そういった女も存在する。


 ジュールは女性に対して免疫がない。そんなジュールに、今日会ったという令嬢は刺激が強すぎたようだ。


「オスマン、現在私に届いている招待状はあるか?」

「はい、三通ほど」


 持って来させ目を通す。その中から、レオリールは一通を選ぶ。


「十日後に開かれる、トンプソン邸でのパーティーに一緒に行くか?」


 あそこは音楽家を目指している息子のために、演奏会をよく開いている。屋敷内のホールで開催するため、少人数のパーティーだ。ジュールの場慣れにはちょうどいいように思えた。


「え、いいんですか! レオリール兄様と一緒だなんて、僕、嬉しいです」


 両手を握り、喜びを表現するジュールが微笑ましく思える。けれど紳士を極めようとするならば、品格を身につけなくては。


「子どものようにはしゃいでいては、紳士とは言えないな。もっとスマートな表現を心がけなさい」


 咳払いをひとつして体面上咎めると、「ごめんなさい」としゅんとしてしまう。その姿に、レオリールの鼓動がドクンと大きく跳ねる。


 庇護欲……という意味がわかったような気がした。笑顔を失わせた自分が、罪人のように思える。


(な……なんなのだ、いったい)


 経験したことのない感情に、レオリールは戸惑う。ジュールが視界にいる限り、早鐘を打つ心臓は平常に戻りそうにない。


 レオリールはどうにか無表情を装い、仕事中だと訴えジュールを退室させた。



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