第16話 意気込みと空回り

 以前の自分は、なんて脳天気だったのだろう。人を疑うことなく、騙された経験もない。言葉のとおり受け取り、また自分も気持ちを素直に伝えてきた。それが当たり前のように過ごしていたのだ。


(ダメダメ。僕は今日、パーティーを楽しむために来たんだぞ)


 落ち込んでいては、誘ってくれたフィルに申し訳ない。突っ立っているから、何も始まらないのだ。


 ジュールは気持ちを立て直し、会場内を歩いてみることにした。


「広い庭園だな。うわ~、お花も綺麗」


 今まで目に入っていなかった自分は、よほど余裕がなかったとみえる。心にゆとりができると、自然と周囲の会話も耳に届く。


「レオリール様とお会いするには、どうすればいいのかしら」

「そうね、社交場には、滅多に顔を出さないそうだし」


 レオリールの話をしている。これは、話の輪に入るチャンスではないか。


(よし! 声をかけるぞ)


 三人の女性が談話している中に、ジュールは思い切って飛び込んでみる。


「あ、あの、こんにちは。レオリール兄様のこと、ご存知なんですか?」


 声に反応した女性たちが、ジュールに顔を向けた。


(な、なんて可愛らしい人なんだろう)


 一番目を引いたのは、レオリールに会いたいと言っていた女性だ。

 アーモンド型の大きな目に、ふっくらとした頬。色白で長く綺麗な金髪。ふわりとしたピンクのドレスが、とても似合っている。まるで人形のようだ。


「え? あなた、レオリール様の弟さんなの!」


 上品でお淑やかな印象だったけれど……なんだか食いつきがすごい。


「えっと、本当の弟ではないんだ。僕がそう呼ばせてもらってるだけで」

「なんだ、違うの」


 あからさまにがっかりされ、どうしてかと疑問が浮かぶ。


「僕はジュール。レオリール兄様には、とてもお世話になっているんだけど、あなたたちはどういったお知り合いなのかな」


「お世話って……レオリール様と親しいってこと?」


 一歩踏み出し、ジュールに身体を寄せてきた。その勢いに、ジュールは曖昧に頷く。


 嘘ではない。親戚だし、今は一緒に暮らしている。しかし、断言するのは躊躇われた。切っかけにはしたけれど、レオリールを利用しているような後ろめたさが湧いてきたからだ。


「すごいわ! 私はジェシカよ。いいな~、私もお近づきになりたいわ。紹介してちょうだいよ」


 期待に満ちた眼差しに、危機感を覚える。てっきり知り合いだと思って声をかけたのだが、不用意にレオリールとの間柄を言ってはいけなかったと後悔する。


「お近づきって、どうして?」

「だって、公爵様なのよ。公爵夫人になりたいと夢見る子は、大勢いるわ」

「レオリール兄様自身は、好きじゃないってこと?」

「そんなことないわ。一度パーティーでお見かけしたけど、ハンサムで長身だったのよ! 仕事も有能だと聞くし、最高の公爵様じゃない。好きにならないほうが変だわ」


 そんなことで人を好きになるのかと、ジュールは悲しくなる。


(貴族の女性は、身分で男を選ぶの?)


 ジェシカをレオリールに近づけてはいけない気がした。


「ごめんね、紹介はできないんだ。僕はお願いできる立場じゃないから」


「なんなのよ、気を持たせておいて。あなた、身分が低いのね。もういいわ、あっちへ行って」


 犬でも追い払うような仕草に、胸がズキンと痛む。伯爵家の次男である自分は、彼女たちからすれば、男として価値がないということだろうか。


 項垂れ、踵を返そうとしたときだった。


「こちらにおいででしたか、ジュール様」

 オスマンが、いつの間にか背後に立っていた。


「あ、あなたは……確かレオリール様の執事──」

 独り言のように、ジェシカが呟く。


「僕を探していたの、オスマンさん」

「はい、そろそろお屋敷に戻られてはと思いまして」

「え、もうそんな時間? 僕、まだ何もしてないのに……」


 会話とも言えない会話ではあるけれど、やっと女性に声をかけられたのに。


「ねえ、ジュール。どうしてあなたが、レオリール様の執事を連れているの」


 ジェシカに腕を引かれ、耳元で囁かれる。あとのふたりの女性も、ひそひそと話していた。


「ど、どうしてって言われても……」

 ジュールの頬が火照る。


(じょ、女性に触れられてる! それに、腕に胸の膨らみが──)


 ドギマギして返答できずにいると、「ねぇったら、早く言いなさいよ」とジェシカにせっつかれる。困ったジュールは、オスマンに視線を向けた。


 自分の口から、「僕が頼りないので、レオリール兄様がオスマンさんを付き添わせた」、なんて言いたくない。


「ジュール様は、我が屋敷に引っ越して来られて間もないので、道案内として同行するよう、レオリール様が指示されたのですよ」


 オスマンはジュールの面目を損なわせないように、気を回してくれた。

 ジュールは心中で、ありがとうと礼を言う。


「え……あなた、レオリール様のお屋敷に住んでいるの! 嘘つき、やっぱりレオリール様と親しいんじゃない。隠すなんてひどいわ」


「え、そんなつもりは……」


「だったら、お詫びにお屋敷へ招待してよ。いいでしょう?」


 すり寄って来られたじろぐジュールに、ジェシカはなおも迫ってくる。

 お目当てはレオリールなのに、ジュールに言い寄っているような目だ。


「無理だよ。レオリール兄様の許可がないと」

「許可がいただければ、行ってもいいのよね?」


 言質を取るまで離さない。そう言わんばかりに、腕を掴まれる。


「まあ、そうなるかな」


 お願いだから、解放してほしい。腕が痺れてしまいそうだ。女性とは、こんなに力が強いのかと驚く。


「じゃあ、早々レオリール様にお願いしてくれる?」

 ジェシカの手に、さらに力が籠もる。


(痛い、痛いってば)


 会話をすればするほど空回りしていきそうで、ジュールはどう収拾したらいいのかわからなくなる。


「ジェシカ、もう止めたほうがいいわよ」

「何よ、オリビア。邪魔しないで!」


 見かねたジェシカの友人が、間に入ってくれた。けれどジェシカは、オリビアを邪険にあしらう。


「でも……視線を集めてるみたいだし」


 遠慮がちに囁く様子から、オリビアはジェシカに意見を言える立場でないのかもしれない。


 ジュールが周囲に視線を走らせると、ジェシカも釣られたように見回す。途端に、ぱっとジュールから手を離して身を引いた。「嫌がっている殿方に迫るなんて、下品ね」という声が、耳に届いたからだ。


(あ、カスター……)


 自分たちを見ている人たちの中に、悔しげに歯噛みするカスターの姿があった。


「──女性に恥を搔かせるなんて、あなた、紳士として失格ね」


 ジェシカに鋭く睨まれる。そして周囲には聞こえないように、ジュールを罵った。その勢いのまま、ぷいっと顔を背けジェシカは友人を連れスタスタと去っていく。


「はぁー、怖かった」


 一気に身体から力が抜ける。気遣うようにオスマンが、「もう帰られますか」と問うてくる。

 先ほど帰る時間だと言ったのは、ジュールを助けるためだったのかもしれない。


「そうしようかな。僕には、社交界なんて場違いなのかも……」


 何をどうしたこともなく、ただパーティー会場に木のように立っていることしかできなかった。


「何をおっしゃいます。皆、最初はそうですよ。場数を踏んで行けば、ジュール様も渡り合えるようになります」


 オスマンの励ましに、こんなことで落ち込んでいてはいつまでたっても紳士になれない。機会があれば、積極的に参加しなくては! という気持ちが湧いてくる。


「僕、頑張るよ。でも、今日はもういいかな。フィルに挨拶してくるから、ちょっと待っていて」


 笑顔を見せると、オスマンがほっと息をついた。自分が落ち込んだせいで、心配させてしまったようだ。


「ジュール、ここにいたのか」


 探しに行こうと思っていたのに、フィルのほうが自分を見つけてくれた。


「紹介するよ、恋人のフレイヤだ」


 フィルの隣に慎ましやかに立つ女性が、「はじめまして」とスカートを軽く摘まみ、身を屈める。小柄で愛らしい女性だった。肩に少しかかる長さの髪はさらさらで、目がぱっちりと丸い。

 ジュールも挨拶を返すと、にこりと微笑んでくれた。


「楽しめてるか、はじめてのパーティーは」

「う……それが、まだ雰囲気に慣れなくて。今日は見学に来たって感じかな」


 苦笑いのジュールに、顔馴染みができれば楽しめるようになるから、懲りずに何度でも参加することだとアドバイスをくれる。


「そうだね。また誘ってくれる?」

「ああ、もちろんだ」


 彼は本当に面倒見のいい人だ。友人になれた幸運に感謝する。


「僕、そろそろお暇させてもらうよ」

「え、もう帰るのか」

「うん、緊張しすぎて疲れたみたい」


 肩を上げおどけてみせると、フィルは「ははっ」と笑う。


「ティモシーにも挨拶しないと。どこにいるのかな」

「あぁ……ティモシーは来られなくなったんだ。恋人と喧嘩したらしい」


 ティモシーでも喧嘩するのかと驚く。けれど意見を言い合える関係は、素敵だと思えた。


「そっか、早く仲直りできるといいね」

「いつもたわいないことで喧嘩するんだよ、あのふたりは。まあ、すぐに仲直りするさ」

「それなら安心だね。じゃあ、また学院で」


 踵を返すと、そこにオスマンの姿はなかった。先ほどまで一緒にいたはずなのに、どこに行ったのだろう。


(もしかして、フィルが現れたから?)

 

 気を利かせて、自分から離れてくれたのかもしれない。現にロバーツ邸の門を出ると、そこにオスマンの姿があった。


「間もなく馬車が参ります」

「今日はありがとう、オスマンさん」

「いいえ、なんのお役にも立てず、申し訳ありません」


 オスマンは謙遜するが、自分ひとりでは惨めな気持ちのままだった。こうやって気持ちを立て直すことができたのは、彼のお陰だ。


「そうか! だからレオリール兄様は、オスマンさんと一緒に来させたんだ。帰ったら、お礼を言わないと。僕が気後れするとわかっていたから、オスマンさんをお供につけてくれたんだよね! なんて優しくて素敵な人なんだろう、レオリール兄様は」


 自身の見解に同意を求め、傍らに立つオスマンを見上げる。


 文脈なく語り出すジュールに、最初はギョッと目を見開くオスマンだったが……次第に優しげな眼差しに変わり、「あなたこそ、素敵な方ですよ」と破顔した。

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