第15話 張り切る気持ちと芽生える恐怖心
ジュールは高い崖から海に飛び込む覚悟を決めるような心境だった。心臓はバクバクと激しく脈打ち、呼吸が乱れてしまう。
屋敷の玄関に立ち、馬車を待っているだけでこれでは、パーティー会場についたら自分はどうなってしまうのだろう。
「ジュール様、緊張なさっているのですか?」
隣に立つオスマンに、優しく問いかけられる。
「え、どうしてわかるの? 普通にしているつもりなんだけど」
「肩に力が入っていますし、しきりに唾を飲み込んでおいでですよ」
自分はそんなことをしていたのか。まったく気づかなかった。
「楽しみなのに、胸が苦しいほどどきどきするんだ。だって、女の子もたくさん招待してるっていうし。僕、失礼なく話しかけられるかな」
「大丈夫ですよ、私もそばにおりますから」
「ダメだよ。オスマンさんは、離れたところから見ていて。お目付役がいるなんて、男として情けないでしょう?」
立派な紳士を目指すならば、しっかりとした立ち居振る舞いをしなければ。
いつも母親が言っていたのだ。女性をスマートにエスコートしてこそ紳士だと。
(あっ! またまたわかった! お母様が僕の周りを男だらけにしていた理由)
紳士としての所作を、見て学ばせようとしていたのだ。どうりで自分に、女の子役をさせると思った。
以前クラーク家に友人を招いたことがあったのだ。その際母親は、友人に「紳士として振る舞ってみてちょうだい。試験だと思ってやるのよ」と言い出し、ジュールに女の子役をさせた。
きっと女性側の立場に立って、どうされると嬉しいと感じるのか、体験させてくれたに違いない。
(ごめんなさい、お母様。女の子が産まれなかったから、僕を代わりにしてるだなんて勝手に落ち込んだりして)
全部ジュールが恥を搔かなくてすむように、鍛えてくれていた。母親の数々の奇行に得心がいったジュールは、俄然張り切るのだった。
そして訪れたパーティー会場では、庭園の一角に設けられた円卓に白いクロスが敷かれ、銀食器に一口サイズの軽食が並んでいた。カップケーキにサンドイッチ。チーズの乗ったクラッカーなどだ。
しかしジュールは、それらを口にするどころではなかった。
(なんて綺麗なドレスを着ているの。それに、胸元があんなに開いて──)
意気込んでロバーツ邸に来たものの、あまりの華やかさにジュールはたじろいでいた。
(どうしよう、みんな親しげに談笑してる)
その輪の中に入るには、勇気が必要だった。何か切っかけはないものかと、ジュールは辺りを見回す。
「やあ、来てくれてありがとう、ジュール」
まごまごしているジュールを見つけたフィルが、グラスを手に近寄ってくる。
「ご招待いただき、ありがとうございます」
「はは、ガチガチじゃないか。もっと気楽にしろよ。堅苦しいパーティーでもないんだし」
「うん、そうなんだけど、身体が勝手に緊張してしまうみたいなんだ」
「わかるよ、はじめてだもんな。俺もそうだったよ。それなのにひとりにして悪いんだけど、俺は挨拶に回らないといけないから……その内、ティモシーも来るはずだし、心細くはないだろう?」
「そうだね。とりあえず、雰囲気に慣れておくよ」
あとでな、と手をひらひらさせ、フィルは人垣を縫うように離れて行った。
またひとりになってしまったジュールは、ひとまず気持ちを落ち着かせようと、料理が並べてあるテーブルへ向かう。
「あ、あの人、学院で見たことある」
冷静に会場を見渡せば、学院の見知った顔が何人かいた。
(でも……隣に女の子が寄り添ってるし、そばに行けないよ)
女の子というより、もう女性というべきか。唇は赤く彩られ、纏められた髪には綺麗な金細工の髪飾り。ドレスの刺繍はきらきらと煌めき、身体のラインに沿って裾まで続いている。
パーティーには、女性を伴って参加するものなのかもしれない。
自分にも、できるだろうか。一緒にパーティーに行ってくれる恋人が。
「ねぇ君、ひとりなの? よかったら、私と話さないかい」
「え──?」
二十代半ばくらいに見える男に声をかけられる。確か今日は、十代の集まりだと聞いていたのだが。
「私は妹の付き添いなんだ。心配性の父に頼まれてね」
疑問に思っていたことが、伝わってしまったようだ。考えてみれば、自分だってオスマンが付き添ってくれている。
「そうなんですね。僕も同じようなものかも。とはいっても僕の場合、付き添われている側ですけど」
ひとりでいる自分を気遣って、声をかけてくれたのだろう。大人で優しい人だ。
「私はケインだ、君は?」
手を差し出され、「ジュールです」と握手を交わす。
ケインはジュールの頭の先から足下まで視線を走らせたあと、とても若そうに見えるが、成人しているのかと問うてきた。
自分は、そんなに子どもっぽいのだろうか。これでも一張羅を着てきたのだが。
今日のジュールの出で立ちは、三つ揃えのシルバーグレーのスーツだ。光沢があり、ジュールが着ると男なのに清楚に見えることには触れないでおこう。
「十八歳になりましたよ。僕、年相応に見えないでしょうか」
「う~ん、正直に言うと、十四、五歳かと思ったよ。可愛らしい顔立ちだしね」
気を悪くしないでと、肩にそっと触れられる。気さくな人のようだ。
「成人しているなら、シャンパンでもと思ったんだが……君のそれ、ジュースだろう?」
手にしている、オレンジ色の液体の入ったグラスを指差される。
「はい、オレンジジュースです。僕はまだ、お酒は飲んだことなくて……」
「じゃあ、試してみたら? 気分が悪くなったら、私が介抱してあげるから」
「え、でも……」
興味はあった。けれどはじめての酒で、酔って失態を晒したら苦いパーティーデビューになってしまう。
「もう粉かけるなんて、さすが卑しい田舎の遺族だな」
逡巡するジュールのそばを通りすがった誰かが、聞こえよがしに呟いた。
振り返ると、先日ジュールの故郷を揶揄したトムスンが、片頬を上げ笑っていた。
「失礼なことを言うな。気にすることないよ。どこか別の場所にでも行こうか?」
腰に手を回され身体が密着した瞬間、背筋に悪寒が走る。
この人は、気さくとは違う。危険な人だ。ジュールの勘がそう訴えてくる。
「大丈夫です。僕はここで、友人を待っていないと。このパーティーに招待してくれた、フィルなんですけど」
「なんだ、彼の友人か。ならば引いておこう」
ぼそぼそと零しながら、足早にケインは離れて行った。
(はぁー、怖かった)
社交界では、いろんな誘惑があると聞かされてはいた。しかし自分は男だ。なのにケインは自分を、どこに連れて行くつもりだったのだろう。
彼は一見、物腰がやわらかく紳士的に思えた。だか自分を見る眼差しの中に不穏さを感じた。人は見かけで判断してはいけない、そう改めて感じる。
(どうしよう、僕。人の嫌なところばかり目につくようになってる)
人を見る目を養う。大切なことだけれど、いい面と悪い面、両方を見なければならない。わかっていても、ジュールにとって相手の悪い面を知ることは、あまり喜ばしいことではなかった。
(胸が……苦しいな──)
疑り深くなり、人を信じられなくなるのではないかと、ジュールの中に恐怖心が芽生えた瞬間だった。
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