第13話 守る義務

 今日はやけに静かだ。夕刻になっても、玄関から元気な声が聞こえてこない。


「オスマン、ジュールはまだ学院から帰ってないのか」


 何度目になるのか、レオリールは手元の書類をみているふうを装って、開かないドアに視線だけを向ける。それに目ざとく気づいたオスマンは、「寂しいのですか?」と揶揄ってくる。


(寂しい? この私が……?)


 人との関わりを極力避けてきた自分が、物足りなさを感じているというのか。


 信じがたいが、学院に通い始めてからというもの、ジュールは帰宅すると一目散にレオリールの元へ報告に来ていた。それが日常になっていたからかもしれない。


「帰ってらっしゃると思うので、様子を見て参りましょうか」

「なぜそんなことを言う」


 眉間に皺を寄せ睨むと、オスマンはひょいと肩を上げる。


「いえね、レオリール様の手がなかなか動かないものですから。ジュール様を心配するあまり、仕事が手に着かないのかと思いまして」


 オスマンに指摘され手元に目を落とすと、書類に黒い染みができていた。


(しまった……インクが)


 知らず万年筆の先を、トントンと同じ場所に落としていたようだ。


「夕食にする」

「は? これからですか」


 いつもは遅くに取っているからか、オスマンが訝しげな顔をする。


「今日は腹の空くのが早いようだ」

「……なるほど、かしこまりました」


 適当な言い訳をしてみたが、オスマンには意図を読まれているようだ。こういうとき、察しのいい執事というのも困る。


「仕上げてしまうか」


 レオリールはオスマンが呼びに戻るまで、急ぎ書類に目を走らせた。


***


「レオリール兄様と一緒に食事できるなんて、嬉しいです」


 にこにこと微笑んでいるジュールに、いつもと違うところは見受けられなかった。


「早く仕事が片付いただけだ」


 レオリールの素っ気ない返事にも、ジュールは笑みを浮かべている。


「この家のコックは、腕がいいんですね。お魚のムニエルなんて、外側はカリッとしてるのに、中の身はやわらかくて美味しいです!」


「普通だろう。ムニエルなんて、こんなものだ」


 そう返すと、気まぐれで母親が作ってくれたムニエルは、外も中も堅かったのだとジュールは顔を顰めた。


「デザートのケーキも、果物がたくさん飾ってあるし、ふわふわで甘くてほっぺが落ちそうです!」


「気に入ったのなら、好きなだけ食べるといい」


 目を輝かせ、「嬉しいな!」と喜ぶジュールは微笑ましかった。


「ところで、今日の学院はどうだったのだ」


 そうレオリールが口にした途端、ジュールからすっと微笑みが消えてしまう。


(どうしたというのだ。私が余計なことを言ったのか⁉)


 表情には出さなかったが、内心では狼狽える。


「ちょっとだけ、嫌なことがあったんです……」


 顔を俯け、ジュールはぽつりと漏らした。

 いつも明るく元気な姿しか見たことのないレオリールは、ジュールにこんな顔をさせた誰かに無性に腹が立った。


「話しなさい。何があった」


 苛立ちから、命令口調になってしまう。

 ゆっくりと顔を上げたジュールは、目を潤ませていた。


「っ──!」


 レオリールの中で、何かが弾ける。

 新緑のような澄んだ目が、もしも枯れ葉のようにくすんでしまったら。


 守ってやりたいという気持ちが、全身に広がっていく。


「ちょっと揶揄われただけなんですけど……僕を訪ねて上級生が来たんです。その人が僕のこと、没落しかけた貴族でお金が必要なんだろうって。だから僕を買ってや──」


「なんだと! どこのどいつだ!」


 最後まで聞いていられず、つい大きな声を出してしまう。レオリールはそんな自分に驚く。声を荒げたのは、あの運命の変わった日、父親に無実を訴えた日以来だったからだ。


 ジュールはそんなレオリールを、目を見開き凝視していた。


(怖がらせてしまったか?)

  

 声をかけたいのに、動揺からなんと言えばいいのかわからなくなる。


「もう元気になりました。僕、ちゃんと断ったので大丈夫です」


 戸惑うレオリールをよそに、ふっとジュールの表情が和らぐ。

 しかし何がどうなって元気になったのか、レオリールにはまったく理解できなかった。


 空元気だろうか、自分を困らせまいと。


 そう思うものの、ジュールの口元は綻び、胸の前でグッと拳を握っている。


「本当に元気になったのか? 私は叔父として、おまえを守る義務がある」


「レオリール兄様が、僕のために本気で怒ってくれたことが嬉しくて。ぐわ~って、力が湧いてきたんです! だから、本当に元気になったんですよ」


 自分を真っすぐに見つめてくる目に光は失われておらず、レオリールはほっと胸を撫で下ろす。


「そうか、ならいいが。明日はロバーツ邸でパーティーだったな。楽しむのはいいが、羽目を外しすぎないように」


 ロバーツ家は品行方正な侯爵家だ。招待客も厳選しているとは思うが、今日の出来事を思うと心配になる。同伴者までは、管理仕切れないこともあるからだ。


「はい、気をつけます」


 ジュールは春に咲く花のように朗らかな笑みを浮かべていた。パーティーが楽しみだという気持ちが伝わってくる。


(心の強い子だ)


 嫌な目にあっても笑顔を忘れないジュールに、レオリールは知らず笑顔を向けていた。


 その様子を、オスマンが慈愛にも似た笑みで見ていたことに、レオリールは気づかなかった。


 

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