第12話 湧き上がる悪感情

 ジュールが学院に通うようになって半月が経った。だというのに、三十人ほどのクラスメイトのうち、親しくなれたのは初日に友人になってくれたフィルとティモシーだけ。

 そうはいっても、誰とも話をしないわけではない。世間話程度なら半数は超えるのだが、なぜか皆、どこかよそよそしいのだ。


「ジュール、いよいよ明日だぞ、パーティー」

「うん、楽しみにしているよ。待ち遠しかったな~」


 明日は学院が休みで、パーティーは正午から夕刻まで続くという。今回は十代の若い世代のパーティーで、日が落ちる前までの開催にしたそうだ。


「じゃあ、俺たちは帰るよ。ジュールは?」


 窓から門を見下ろしたフィルは、迎えの馬車を見留ると暇を告げた。ティモシーもフィルの馬車で一緒に帰るそうだ。


「僕はまだ迎えが来ないから、もう少しここにいるよ」


 授業が終わったあとの一時を、たわいもない会話で楽しむのが、ここ最近の習慣になっていた。


 ふたりを見送りひとりになったジュールは、一冊の本を開く。これには、ドアナール領の歴史が綴ってある。この地ことをもっと知れば、学友たちと話す切っかけになるかと思ったのだ。


「ジュールって、どいつだ?」


 ほんの数ページ読んだところで、自分の名前が聞こえてくる。顔を上げ教室の入口へ目をやると、見知らぬ男が立っていた。襟元に光る金の羽のバッジは、上級生のものだ。


「僕ですけど、何かご用でしょうか」


 男はズボンのポケットに片手を入れたまま、ツカツカとジュールのそばまでやって来た。その様子を、まだ帰宅していない数人の生徒が、こそこそと囁き合いながら見ている。


「へー、可愛い顔してるな」

 じろじろと不躾に顔を見られ、不快感が湧く。


「あの……僕、もう帰らないと」

 逃げ出したくなり、ジュールは本を閉じて椅子から立ち上がる。


「まあ待てよ。おまえのこと、俺が買ってやるからさ。顔は好みだし、従順そうだ」


 この人は、何を言っているのだろう。買うとは、どういうこと?


「意味がよくわからないんですけど……」


 ジュールは鳩が豆鉄砲を食ったような顔で呟く。


「はっ、お高くとまんなよ。男漁おとこあさりしてるくせに」


 この人は、本当に貴族? なんて乱暴な物言いをするのだろう。


 ジュールは唖然として、返す言葉が出てこない。


「なんだ、だんまりか。まあ、本当のこと言われりゃあ言い返せないか。ははは……」


 軽薄な笑い声を上げる男に、ジュールは我に返り毅然と答える。


「失礼なことを言わないでください。僕は男漁りなんてしていません」


 意味はわからないが、バカにされているのだと感じた。


「隠したって無駄だぞ。金が必要なんだろう? 没落しかけた田舎の遺族が、援助先を得るために不要な次男を入学させたって噂になってるんだぜ」


「そんな……でたらめです。僕の家は没落なんてしてないし、お父様は立派な伯爵です」


「何が立派だよ。農民しかいないジェイクリース領のくせに」


 鼻を鳴らし蔑むように言われ、さすがのジュールも語気が強くなる。


「僕は誇りに思っています。その人たちのお陰で、僕たちは生きていられるんですよ? ここで出される食堂の食事だって、ジェイクリース領の穀物がたくさん使われてるでしょう。感謝するべきです!」


「バカ言ってるんじゃないよ。あいつらは、野菜作るしか能がないだけだろ」


 読み書きもろくにできないだろうと見下してくる。確かに、農民の大半は学校に通っていない。けれど皆、心の優しい人ばかりだ。


「ひどい……あなたは、野菜を育てたことがあるんですか? 土地を耕すことが、どれだけ大変かも知らないでそんなこと言うなんて、品性を疑います」


 以前の自分も知らなかったけれど、体験して知った。ちっぽけな花壇ひとつ作っただけで、次の日は身体が痛くてベッドから起き上がれなかったのだ。


「ふん、やっぱり田舎者なんて相手にするんじゃなかった。せいぜい、いい金づるでも見つけて、とっとと田舎に帰るんだな」


「だから、僕はお金なんて──」


「火のない所に煙は立たないんだよ! 現に初日から、ロバーツ家の男に使って取り入ったって話じゃないか」


 ジュールの言葉を遮り、男はわざと大きな声で騒ぎ立てる。


(色目って……もしかして、カスターが──?) 


 自分の背中越しに、くすくすと笑う声が聞こえた。


 カスターは何かにつけて、ジュールに意地悪を仕掛けてくるのだ。そのことに気づいたのは、乗馬の授業でのこと。彼はジュールの乗る馬の尻を、故意にムチで打ったのだ。生憎その瞬間を見た者はいなかった。フリックが大きな声を出して、皆の視線を集めていたからだ。ジュールは口を噤むしかなかった。


 幸いなことに、講師がすぐに馬を落ち着かせてくれたお陰で、落馬せずにすんだが。


 このとき、今まで感じたことのない感情が、ジュールの中に生まれた。また何か仕掛けてくるのではないかという、疑心。腹立たしさという、相手に対する悪感情までも。


 それらの感情は、ジュールを戸惑わせ苦しめた。家族が望んでいる、純真無垢な自分が消えてしまう。そうなれば、悲しませてしまうと。


「おい! ジュールに何をしている」

 駆け寄ってきたのは、フィルだった。


「おー恐い。騎士ナイト様のお出ましだ」

 男は肩を竦め、さっさと教室を出ていった。


「大丈夫か、ジュール。今のはトムスンっていって、素行の悪いやつだから気をつけろよ」


 何かされなかったかと心配顔のフィルに、平気だと微笑む。


「助かったよ、ありがとう。急に絡まれて困っていたんだ。でも、どうしたの? 帰ったんじゃなかったの?」


「いやな、ジュールにこれを渡すのを忘れていたんだ」


 手渡されたのは白い封筒だった。首を傾げると、「招待状だ」と言われる。


「招待状って、パーティーの? わざわざ僕に? どうしよう、すごく嬉しい」


 自分宛の招待状なんて、はじめてもらった。


 まじまじと封筒を眺めたあと、ジュールは大事なものを扱うようにそっと胸に抱える。


「大袈裟だな。もうジュールも帰るだろ。一緒に門まで行こう」


 また絡まれては大変だと、気遣ってくれる。


(優しいな、フィルは。同じ男でも、随分と違う……)


 あの荒々しい男を思い出し、背中がぞわっとした。


「なあ、トムスンはなんて言ってきたんだ?」


「うん……僕を買ってやるって。何か手伝わせたいことでもあったのかな」


 ジェイクリース領で暮らしていたから、畑仕事でもさせようと思ったのだろう。


「なんだって! ふざけたやつだな。他に言われたことはないか?」


「僕の家が没落しそうだから、男漁りしてるって言うんだけど、男漁りってどういう意味なのかな。男勝りとは違うんだよね」


「あぁ……ちょっと違うかもな。ジュールは下世話な言葉なんて、知らなくていいよ」


 ばつの悪いような表情で、フィルは言葉を濁した。

 知りたいと言いたかったが、門に着いてしまう。


「じゃあ、明日ね!」


 楽しいことを考えれば、自然と笑顔になる。


(笑顔笑顔! 笑顔は幸せを運んできてくれるんだから)


 ジュールは元気よく、フィルに手を振った。


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