第11話 眩しい笑顔

 書斎の窓から西日が差し込んでくる。そろそろ夕暮れ時だ。

 レオリールは書面から顔を上げ、目頭を押さえる。

 

「なんだ? やけに騒がしいが」


 玄関のほうから、バタバタと駆ける足音が近づいてくる。


「ジュール様が、貴族学院から戻られたのでは?」


 そうだとして、なぜこちらに向かって足音がするのか。


「レオリール兄様、ただいま戻りました! お話したいことがあるのですが」


 ノックを響かせ、ジュールがドアの向こうから弾んだ声で問いかけてくる。


 当主として、預かっている者の話は聞かねばならない。しかしまだ仕事中だ。出直すようにと伝えようかと逡巡している間に……


「お帰りなさい、ジュール様。どうでしたか、貴族学院は」


 オスマンが勝手にジュールを招き入れてしまった。

 

 思わずむっとし、眉根を寄せてしまう。するとオスマンは、レオリールからも問いかけろと言わんばかりの視線を送ってきた。


「ジュール、もう少し静かに帰って来られないのか」


 オスマンの思惑どおりに問いかけることに、なぜか反発してしまう。


「あ、ごめんなさい。嬉しくてつい。早くレオリール兄様に、この感動を伝えたくて!」


 はにかむように微笑まれ、とがめてしまったことに罪悪感が湧く。


「そうか──。しかしあの学院で、感動するようなことがあるとは思えないが」


「いいえ、たくさんありました!」


 レオリールの座る机の前まで駆け寄ってきたジュールは、興奮も露わに語り出す。門前で会った生徒に、田舎から来たことを言い当てられたことや、同じクラスに友人ができたこと。口調は本当に嬉しそうで、終始笑顔だ。


(どうしてそんな笑顔ができるのだ……)


 ジュールの心からの笑顔は、今のレオリールには至極眩しかった。


 自分はいつから笑っていないのだろう。愛想笑いすらしない自分は、笑顔の仕方を覚えているだろうか。


「ティモシーが僕のこと、小動物的な庇護欲……とか言うんです。どういう意味なんだろう。それにカスターは、色目を使ってるって……。僕は世間知らずだからわからなかったけど、社交界に出るようになればわかるようになりますか?」


 目をきらきらさせたり、顔を曇らせたり。ジュールの気持ちが、逐一表情に現れる。


 こんな幼いジュールが、社交界──


「ジュール。どこから社交界などという話になったのだ」


「えっと……あの学院が男ばかりだとは知らなくて。女の子と話せると期待していた僕は、がっかりしたんです。一緒に遊びたかったから」


 遊び……女遊びがしたいというわけか。


「イザベラお姉様から預かった手前、社交界に赴くことを許可することはできない」


 なぜか心がざわつき、つっけんどんな物言いをしてしまった。ジュールは困惑顔で、視線を彷徨わせている。


「え……でも、もうパーティーに参加するって約束してしまったんです」

「そこへ行って浮名でも流すつもりなら、なおさら許可はできない」


 きっぱり告げると、ジュールの目にみるみる涙が溜まっていく。


「レオリール様、ジュール様の遊びとは、川遊びや花を愛でることだと思いますよ」


 女遊びのことではないと、言外にほのめかされる。


「な──、そうなのか?」


 なんとも決まりが悪い。社交界=女遊び……そう勝手に勘違いして、ジュールを糾弾するような態度を取ってしまった。いつもの自分なら、もっと冷静に対応したはずだ。もともとジュールに、干渉するつもりはなかったのだから。


 自身の思考を乱すこの感情は、いったいなんなのか。


「はい。ただ、女の子とお花の話をしたりできたらなって。あとは……ダンスも踊ってみたいな」


 でもそれは、まだできないという。理由を問えば、自分が習ったのは女性側のダンスで、男としてのリードはこれから練習しなければならないらしい。


「それは……気の毒なことだったな」


 他に言い様がなかった。恵みの雨を待つ草花のように見え、いたたまれなくなる。それでつい、行っていいと許可を出してしまった。ダンスもオスマンに習うよう勧めると、一気にジュールの笑顔は満開のバラのように華やぐ。


「本当ですか! やった~! ありがとうございます、レオリール兄様」


 その喜びように、心がビロードに包まれたように温かくなる。と同時に、感情を素直に表すジュールを、社交の場に出して大丈夫だろうかと心配になる。

 表面上は親しげでも、腹では何を考えているのかわからない連中は山ほどいる。自身の経験上でも、嫌な思いをした記憶しかない。


「ただし、オスマンを同行させることが参加の条件だ」 


 等のオスマンは、「おやおや」というようにレオリールを見ている。


「いいんですか! 僕も、オスマンさんがいてくれれば心強いです」


 監視されると難色を示すかと思ったが、ジュールは心底ほっとした様子だ。裏表のない人間とは、ジュールのような人間をいうのだと感じ入る。


「話はそれだけか? 他にないなら、もう自室に戻りなさい。私はまだ仕事がある」


 ジュールの偽りない素直な心根は、レオリールを落ち着かなくさせた。自分の中に眠る感情を、起こしてしまうのではないかと。


「あっ、邪魔してごめんなさい」


 肩を軽く竦め、失敗しちゃったというように赤い舌先がちらりと除く。その仕草に、レオリールはあからさまに視線を落とす。


「さあ、ジュール様。トニスさんが心配しているかもしれませんよ。日中、そわそわしていましたからね」


 タイミングを見計らったかのように、オスマンはジュールを促し連れ出した。


「はぁー、仕事をする気が失せてしまった……」


 学院での滑り出しは順調のようだが──


 ジュールのことを田舎者と言った男は、揶揄やゆしたに違いない。本人はそのことに、気づいていないようだったが。


 カスターという男、少々調べておく必要がありそうだ。甥ひとり面倒見られないなど、公爵として不甲斐ない。


 レオリールにとって、血筋に恥じない自分であることが、落ちぶれない心を保つ術だった。


(私は不憫ふびんではない。同情もいらない──)


 そう思ってしまった自分を叱咤する。いつまで過去を引きずるつもりだと。

 封印したはずの感情が蘇ってしまったのは、墓地で出会ったジュールに再会したからかもしれない。


 レオリールはもう一度、自身に言い聞かせる。


 昔の自分は死んだのだ。もう、あの場所に戻れはしないと。


 ***

 

「カスターについての調査書です」


 オスマンの仕事は早かった。指示を出した二日後には、こうして情報を差し出してくる。


 レオリールは受け取ると、早々に目を通す。


 カスター・ロペス。子爵家の三男。成績は中の下で、特技は乗馬。


「ロペス家の当主は、名を上げ利益を得ることに重きを置く人物だったな」


「はい。そういった意味では、長男、次男共に優秀ですね。もうけ話には鼻が利くとか。その点、カスターはできの悪い三男と言われているらしく、肩身が狭いようです」


 補足までにとオスマンが言う。


 カスターの友人はフリック・コバンズ。男爵家の次男で、カスターの思いどおりに動く駒のようだ。


「ちなみにこちらもどうぞ」


 用意のいいことだ。頼んでもいないのに、オスマンはジュールの友人まで調べていた。


 フィル・ロバーツ。侯爵家の長男で、剣術に長けていると記されてある。婚約者がいて、学院を卒業後、結婚の予定のようだ。


(ならば安心か。うん……?)


 なぜここで、自分が安心しなければならないのか。


 小首を傾げながらも、もうひとりの男の情報に目を走らせる。ジュールのことを、小動物的だと言った男だ。


 ティモシー・ハリス。伯爵家の次男で、犬好き。


(しかも……小型犬だと!)


 目を据わらせオスマンを睨みつけると、悪戯が見つかった子どものように、そっぽを向いて口笛を鳴らす。


「おまえ、私を揶揄うとはいい度胸だな」


 嘘を書いたのかと非難すると、本当だと返される。


「彼が動物好きなのは確かな情報ですよ。中でも犬が一番だそうです。ですが、心配はいらないかと。同じく犬好きの恋人がいますから」


 したり顔でにこりと笑うオスマンは、腹立たしい限りだった。

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