第10話 初登校は衝撃がいっぱい
いよいよだ。いよいよジュールにとって、新たな挑戦が始まる。
期待と怖さ──
巣立ちを迎えた雛が、意を決して大空に向かって羽ばたくような心境だった。
外の世界は、自分をどう迎えてくれるのだろう。
ジュールは好奇心を胸いっぱいに抱き、屋敷の玄関から一歩を踏み出した。
(どうしてだろう。昨日までと景色が違って見える)
自分を応援してくれているかのような、清々しい朝の空気に感じ入る。登り始めた太陽は、葉の上に集まった朝露をきらきらと輝かせていて、希望の国に降り立ったような気さえする。
ジュールはまだ少し肌寒い朝の空気を、胸いっぱいに吸い込む。
「よし! 気合い十分、いってくるよ」
貴族学院の制服を身に纏ったジュールは、弾けんばかりの笑顔だ。
黒に近い濃紺で、詰襟のやや着丈の長いジャケットには、鷹の紋様の施された金のボタンがついている。上質な生地で仕立てられたそれは、とても品があった。身長がやや低いジュールは、制服に着られている感がなきにしもあらずだが。
「いってらっしゃいませ」
馬車に乗り込むと、孫を見るような目でトニスが見送っている。よほど心配のようだ。昨夜も一緒に行くと言われ、諦めさせるのに苦労した。
自分自身、不安がないといえば嘘になる。けれど、ひとりでは何もできないと思われたくなかった。自分は成長したいのだ。
「やっぱり、緊張するな」
馬車に揺られながら、教室に入っての第一声はなんと言おうか考える。
「まずは挨拶だよね」
互いに名前を言い合い、それから次は出身地。そしてそして……
ジュールは頭の中で、あれこれ思い描く。
そうこう考えているうち、長い林を抜けた先に街並みが見えてくる。
ウォルター家の屋敷は、
「うわ~、朝から活気があるな」
ジュールは馬車の窓に張り付き見入る。
開店準備に追われる青果店の前では、恰幅のいい男が馬車の荷台から木箱を下ろしていた。道行く人に、「新鮮な果物が入ったよ!」と威勢のいい声をかけている。他にも新聞を売る少年の姿や、仕事に向かう青年の
ジェイクリース領の民は、大抵朝から畑に出ている。よって、町に人が溢れている王都の光景は、ジュールにとって興味深かった。そもそも、王都の半分程度の領土なのだから、人の多さからしてまったく違う。
「あ、見えてきた。あれが貴族学院か~」
寄宿舎も隣接してあるせいか、とても敷地が広い。煉瓦造りの学び舎も、三階建てで横幅が広く貫禄があるように見えた。
「では、夕刻前にお迎えに上がります」
「ありがとう、パウエルさん。頑張ってくるね」
御者を勤めるパウエルは、六十手前の顎髭の似合う男だ。動物好きで、垂れ目の優しい面立ちをしている。
パウエルはジュールが降りたのを確認すると、後方からやって来る馬車を見留、速やかに走り去った。
「うわ~、立派な門構えだな」
ジュールの身長より高い石門に刻まれた『王立ドアナール貴族学院』の文字を指でなぞる。とそのとき。
「何やってるんだ、あいつ。きっと田舎から出てきた貴族だろうぜ」
ふと耳に届いた声は、自分のことを言っているのだろうか。
(すごいな、どうして僕が田舎から来たってわかったのかな)
驚きつつ、声のしたほうに身体を反転させる。
「おはよう! 僕はジュール。よろしくね」
「あ……あぁ、よろしく。──変なやつ、行こうぜ」
笑顔のジュールに、相手は虚を突かれたように呆けた顔をした。けれどすぐにふいと顔を逸らし、そそくさと立ち去ってしまう。
(僕、何か失敗したのかな……?)
出だしに
「気にするな、あいつはカスターっていって、性格が歪んでるんだ」
肩にポンと手を置かれ、軽やかな声がかけられる。
驚き振り向くと、赤茶色の髪をした青年が立っていた。すらりと背が高く目元が優しげで、爽やかな貴公子といった印象だ。
制服の襟元に、一年生の印である鳥の羽を模した白いバッジがつけてあり、同学年だとわかる。
「歪んでる? よくわからないけど、僕はジュール。ジェイクリース領から来たんだ」
「俺はフィル。ドアナール領の人間だ」
互いに、よろしくと握手を交わした。
「よかった。僕、知らない人ばかりで緊張してたんだ」
先ほど失敗したばかりだ。話かけてもらえたことで、気持ちが楽になった。フィルが同じクラスだと嬉しいし、心強いのだが。
「ここは、大半がドアナール領の人間だからな。俺たちにとっては、知らない顔の方が珍しいよ。でも早々知り会えたってことは、きっと縁があるんだと思うよ。俺はA―1だ。ジュールは?」
「僕もA―1! よかった、同じクラスだね」
クラス分けは、入学前に封書で通知が来ていた。一クラスが三十人で、四クラスほどあり、ジェイクリース領の三倍の規模だった。
「俺の親友で、ティモシーってやつも同じクラスなんだ。あとで紹介するよ」
新しい友人を作る必要がないのに、自分に声をかけてくれたことが嬉しい。素直にその気持ちを伝えると、照れるから止めてくれと言われる。それでも「ありがとう」と笑顔で伝えると、「だから、そんな真っすぐな目で見るなよ、眩しいから」と、フィルは弱り顔だ。
(どうしてなのかな? 気持ちを伝えただけなのに)
不思議に思いながらも、ジュールはフィルと共に教室に入る。
「よう、フィル。同じクラスだなんて、腐れ縁だな、オレたち──っと、誰⁉」
フィルの背中に隠れて見えなかったのか、ひょっこり顔を出したジュールに驚いたようだ。
「さっき門の前で知り合ったんだ。この子は、ジェイクリース領から来たジュール。こいつは、さっき話したティモシー」
「なんだよ、えらく扱いが違うじゃないか。よろしく、ジュール。ティモシーだ」
文句を言いながらも、人好きする笑顔を向けてくれる。身体を鍛えているのか、ガッチリとした体格をしていた。ブラウンの髪はもみあげを短くカットしていて、すっきりとした髪型だ。
「僕はジュール、よろしくね。初日でふたりも友人ができるなんて、僕は幸せだな。しかも、こんなに優しいなんて」
「な、なんだ、この小動物的な庇護欲を掻き立てる生きものは……」
「え、どういう意味?」
狼狽えるティモシーに、ジュールは首を傾げる。
「ちっ、さっそく色目かよ。無邪気な顔して、あざといな」
楽しく会話をしていると、嘲るような声がした。そちらに視線をやると、壁に寄りかかり腕を組むカスターが立っていた。目は細く、鼻にはそばかすがあり、薄い唇には皮肉な笑みを浮かべている。
(彼も同じクラスなんだ……。あざといって、褒め言葉ではない気がするな。僕、嫌われたのかな)
今まで人から嫌悪を向けられたことのないジュールは戸惑う。
「おいカスター、おまえこそみっともない真似するな」
ティモシーが即座にジュールを庇う。
「ただの妬みだ。あいつは子爵家だが、三男だからな」
呆れたようにフィルが言う。確かに爵位は継げないだろうが、それは次男であるジュールも一緒だ。
「階級って、そんなに重要なの? 人って、中身が大事だって思っていたけど」
「うーん、それは理想論だ。貴族社会において、爵位があるとないとでは、周囲の態度が違うからな。下に見られると、都合よく使われて終わりだ」
そんな関係って、寂しい。
そう思ってしまう自分は、まだまだ子どもなのかもしれない。
そんな感傷に浸っていたジュールだったが、はたとあることに気づいた。
「あれ、このクラスって、女の子がいないの?」
「何言ってるんだ、ジュール。この学院は、男しか入れないんだぞ」
「えー‼ そ、そんな……」
男、男、男。また男ばっかり──
ジュールにとって、今日一番の衝撃だ。
(ひどい、ひどすぎるよ、お母様……どうして教えてくれなかったの)
入学を渋らなかった理由が明らかになり、ジュールは落胆を隠せない。
「何をそんなに落ち込んでいるんだ?」
聞けば、少し離れた場所に貴族の令嬢が通う学院があるという。年に二回、学院の講堂で交流会が開かれるそうだ。
とはいえ、たったの二回。その機会に果たして自分は、親しくなれるのだろうか。
「僕、今まで若い女の人と、お話したことがないんだ」
今にも泣き出しそうなジュールを、ふたりはおろおろしながら宥める。
「学院にいないだけで、社交場に出れば出会いなんていくらでもあるさ」
「僕、まだ参加したことない」
「え? よほどの箱入りなんだな……」
ぽつりと呟くフィルに、ジェイクリース領での暮らしぶりを話して聞かせた。
「ジュールの母君は……よほどジュールが大切だったんだろうな──」
頬を引きつらせながら、フィルは当たり障りのない言葉を口にした。ティモシーに至っては、視線が宙に浮いていて、放心しているといってもいい。
「うん。僕のことを想ってのことだって、わかってはいるんだよ。でも、僕はそろそろ自立するべきだと思うんだ。だから遊ぶことも必要だよね! それに、女性のエスコートもできない紳士なんて、恥ずかしいし」
拳を握り力説すると、ふたりは哀れな者を見るような目を向けてくる。何かと問えば、ジュールと遊ぶという言葉が不釣り合いに思えるという。
「そんなことないよ。王都に来てから、もう随分と遊んだんだから」
「そうなのか! 相手は? どんなことしたんだ」
興味津々で問われ、木登りしたことや、花壇を作ったことを話す。
「ククク……」
「プッ……遊ぶってそういうこと」
吹き出すふたりに、ジュールはぷーっと頬を膨らませる。
「遊びって言うから、てっきり女遊びかと──」
ティモシーは口を手で塞ぎ、必死に笑いを堪えている。
「おい、ティモシー。悪い、バカにしたわけじゃないんだ。ジュールがあまりにも擦れてなくて、驚いただけでさ」
フィルは苦笑を浮かべている。ジュールを大切に守ってきた母親の気持ちがわかるとも言われたけれど、自分にはちっともわからない。
「そうだ、今月ウチで、俺が企画したパーティーを開くんだ。よかったらジュールも参加してみないか」
「え! いいの。行きたい、絶対に行く!」
こうして衝撃の連続だったジュールの初登校は、ひとまず成功に終わった。
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