第9話 世間知らずなだけだろう
昨晩、書斎で書類に目を通しているレオリールに、オスマンは頼み事を口にした。それは大変珍しいことだった。これまで彼は執事としての要望を訴えることはあっても、個人的なことで許しを請うことはなかったからだ。
オスマンは亡くなった公爵の執事をしていた男の紹介で、執事見習いとしてこの屋敷にやって来た。レオリールが十三歳を迎えるころだったと記憶している。
レオリールが当主になった際、その執事は引退を申し出てきた。年齢を考えれば頷けたし、後釜にはオスマンがいたから快諾した。
オスマンは優秀で、嘘はつかない。自分に対して歯に衣着せぬ物言いをすることもあったが、それがかえってレオリールには信頼できると思えた。
そんなオスマンの頼み事が、ジュールと花壇を作りたいというのだから、心の中で仰天した。
(仕事に差し支えがないならいいと、許可を出したのだが……)
オスマンは、自分の代わりにとトニスを寄こした。綿密な打ち合わせをしたのか、トニスの働きは満足のいくもので戸惑うことはなかった。この屋敷のことを、熟知しているのではと思うほどだ。
「ジュールは随分と子どもっぽいようだが」
紅茶を入れているトニスに問いかける。
「ジュール様は本来、好奇心旺盛な方なのです。しかしながら、制限された生活を余儀なくされておりましたので、ここへ来てタガが外れたのでしょう」
イザベラは、ジュールにどんな生活をさせていたのか。
(制限されていた……か)
それは、ただ立派な当主となるために、己を律してきた自分と近いのだろうか。
「好きにして構わないが、怪我をさせな──」
「ただいま戻りました。トニスさん、ありがとうございました。ジュール様もお部屋に戻られましたので、汗を拭いて差し上げてください。お腹もぺこぺこだと思いますよ」
雑談を遮り、オスマンは楽しそうにトニスへ歩み寄る。午後から続きをするからと、何やらふたりで打ち合わせを始めた。
このふたりを見ていると、馬が合うとはこういうことをいうのかと納得させられる。
(この分だと、午後からも助手はトニスのようだな)
思った通り、打ち合わせが済んだトニスは、「また後ほど参ります」と退出する。その途端、オスマンが意味深な視線を向けてきた。
「なんだ。言いたいことがあるなら言え」
「ジュール様は、とても心の優しいお方でした。
「単に世間知らずなだけだろう」
荒波に揉まれれば、その内ずる賢くなる。
「あの貴族学院で、ジュール様は大丈夫でしょうか」
オスマンは心配げに顔を曇らせる。
「身をもってする勉強だ。今後のためにも、必要なことだ」
物言いが冷たく感じたのだろう。オスマンは気に入らないとばかりに、「堅物」と顔を顰める。
「あとになって、後悔しても知りませんよ」
「後悔? なぜ私が後悔などするのだ。意味がわからない」
ジュールの今後を思って判断したことだ。貴族として生まれた以上、ついて回るしがらみ。皆が経験することだと思うし、自分も嫌というほど
王都の貴族学院。あそこは名門だ。家柄のいい者しか入れない。その分、階級がものを言う。
階級の低い者は、将来を見据えて人脈を得ようと画策するだろう。そう親から教育されているからだ。端的に言えば、腹に一物持っている人間の集まり。
(中には優秀な者もいるがな)
自身も通った貴族学院だ。実状はよく知っている。ジュールは田舎の伯爵家の次男。取り入ろうと近寄ってくる者は、さほどいないはずだ。どちらかといえば、公爵であるレオリールの親戚という立場のほうが、問題かもしれない。
現実を知れば、あの澄んだ目も次第に濁ってしまう?
そう思ったとき、自身の胸に違和感を覚えた。
(なんだ、この不快感は──)
重くモヤモヤする胸に、レオリールはそっと手を当てた。
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