第7話 ジュールの願望

 明くる日、オスマンとの約束が待ち遠しいジュールは、朝からそわそわしていた。今も部屋の中を、右に左に行ったり来たりしている。


「まだかなぁ。時間って、待ってると長く感じるよね」


「ジュール様、少し落ち着いてはどうですか。先ほど朝食が済んだばかりですよ」


 それはそうだが、楽しみで仕方ないのだ。


「そうだ、昼食まで木登りしていたらいいんだよ!」


 いいことを思いついた。楽しいことをしていれば、時間なんてあっという間だ。


「あまりはしゃいでは、肝心の花壇作りのときに、疲れて動けなくなりますよ」


 石を運んだり、土を耕したり、力仕事なのだと説明される。


 それもそうかと納得したジュールは、おとなしく読書をして過ごそうと、本を手にソファーに座った。大好きな冒険の物語だ。しかしページを捲るものの、文字がちっとも頭に入ってこない。頭の中を占めているのは、花壇、花壇、花壇……だ。


(う……もう無理──)


 とうとう読むことを諦め、本を閉じたときだった。約束の時間でもないのに、ラフな格好をしたオスマンが部屋を訪ねて来た。


「どうしたの? まさか、予定ができたとか──」


 約束の取り消しに来たのかと、ジュールは萎れた花のようにしょんぼりする。


「いいえ、時間が空いたものですから。ジュール様さえよろしければ、これからどうかと思いまして」


 そう言ってオスマンは、ポケットから花の種を取り出しジュールに見せる。


「いいに決まってるよ! ありがとう」


 勢いをつけ、ぴょんとソファーから立ち上がったジュールは、両腕を広げて全身で嬉しさを表す。


「では、参りましょう。すみませんが、トニスさんはレオリール様のお手伝いをお願いします」


 その一言で、オスマンが自分のために、時間の融通を利かせてくれたのだと気づく。


「僕、オスマンさんに無理をさせちゃったのかな」


「それは違いますよ。それどころか、息抜きさせていただいております」


 にこりと微笑まれ、変に勘ぐることをしないジュールは素直にオスマンの言葉を受け取る。


「ジュール様、こちらに着替えてください」


 オスマンは、手に提げていた紙袋を掲げて見せる。

 土いじりには、今着ているシャツとスラックスは向かないという。


「わかったよ、すぐに着替えるね」


 受け取り袋から取り出すと、綿素材のシャツとオーバーオールだった。この手の服を着るのははじめてだが、ジェイクリース領ではよく目にしていたもので抵抗はない。


「いってくるよ。トニス、レオリール兄様の手伝いは任せたよ」


「はい、承知しました。ジュール様、これをお忘れですよ。では、いってらっしゃいませ」


 日に焼けないようにと、トニスにつばの広い帽子を被せられる。自分としては、小麦色の肌に憧れがあった。逞しく見えるような気がして。けれど体質なのか、日に当たりすぎると肌が赤くなってしまい、ひりひりと痛くなるのだ。


「オスマンさん、こんなに早く種まで用意してくれてありがとう。この種は、どんな花が咲くの?」


 急なことだったのに、もう種を用立ててくれたことに、感謝を忘れずに伝える。


「なでしこといって、赤や白、ピンクの可愛らしい花が咲くのですよ。秋ごろまで開花を楽しめますから、頑張ってお世話してくださいね」


「もちろんだよ。花が咲いたら、蝶が遊びに来てくれるかな」


 声を弾ませるジュールに、オスマンは蝶を網で捕まえてみたいかと問うてくる。


「興味はあるけど……蝶の羽が傷ついたら、飛べなくなってしまうから」


「捕まえて籠に入れるのですから、飛べなくてもいいのでは?」


「え、籠になんて入れないよ。蝶って、長くは生きられないんでしょう? だったら、せめて生きてる間の自由は奪いたくないから」


 自分は無闇に、生き物の命を奪いたいわけではない。少しばかり触れ合うことができればそれで満足だ。


「本当にお優しい。──純真無垢なあなたなら、もしやあるじの心も……」


 オスマンは独り言のように呟いた。


「え、なんて言ったの? 聞こえなかった」


「いいえ、なんでも。私の願望が、ついぽろっと出ただけですので」


「ふーん、願望か。僕はここへ来て、たくさんの願望が叶いそうだよ」


「ほほう、たとえばどのような?」


 オスマンはジュールの願望に興味津々なようで、声のトーンが上がる。


「えーと、川遊びでしょう。それから、自分で得た友人と出かけたり、女の子とダンスもしたいな。あとは恋人! 恋がしたいんだ」


「すぐにでも叶いそうな願いですね。今まで叶わなかったのが不思議なくらいです」


「そうだよね……お母様が過保護だったのは、僕が頼りなかったからだと思う」


 オスマンからすると、ごくごく普通のことらしい。それをさせてもらえなかった自分は、よほど弱々しく見えていたということで。


(いっそ、僕が女の子だったら悩まなくてすんだのかな)


 気持ちが沈み肩を落とすジュールに、オスマンは母親の気持ちもわからなくはないという。


「え、わかるの? だったら教えてよ、オスマンさん」


 母親が過保護だった理由がわかれば、そこを改善していきたい。これから強くなるためにも。


 そう思い尋ねるが、オスマンは「それはですね~、あ、着きましたよ。ここに張り切って花壇を作りましょうね!」とはぐらかす。


「え、ここに! うわ~、嬉しいな。本当に、ここに花壇を作ってもいいの?」


 案内された場所は、ジュールの部屋の窓から見えるところだった。その配慮に、ジュールの憂いはどこかに飛んで行ってしまう。


「ええ、喜んでいただけて何よりです」

「ありがとう! オスマンさんは、素晴らしい紳士ですね」


 自分もオスマンを見習って、相手の喜ぶことをさりげなくできるようになりたいと、ジュールは興奮ぎみに語る。そんなジュールを、オスマンは朗らかに微笑み見つめる。


「光栄なお言葉を、ありがとうございます。大人になると、そうそう褒められる機会はないものですから、大変嬉しく思います」


 できて当たり前らしい。それでも自分は、言葉で気持ちを伝えていきたいと思う。


 そんなジュールを、皆は清らかと言ってくれるのだから。


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