第6話 面白い光景

 ジュールの執事であるトニスが、一階にあるレオリールの書斎にやって来た。この屋敷での自身の役割について話したいという。


「この屋敷を取り仕切っているのはオスマンだ。他の使用人は、週三日ほど通いで掃除にやって来る者と、住み込みの料理人がひとり。それから、厩舎きゅうしゃで馬の世話をしている者がひとり離れの丸太小屋に住んでいる。その他の詳しいことは、オスマンと話してくれ」


 あまり屋敷に他人を入れたくないレオリールのせいで、万年人手不足だとぼやいているオスマンにとっては、トニスの申し出はありがたいようだ。先ほどからほくほく顔をしている。


「よろしくお願いします、オスマンさん。すっかり執事が板についていますね」


「いえいえ。トニスさんには、まだまだ遠く及びません。この機会に、いろいろと学ばせていただきます」


 トニスはイザベラと何度かこの屋敷に来たことがある。そのころのオスマンはまだ十代だったから、成長に目を瞠る気持ちはわかる。


 現在のオスマンは三十手前だ。眼鏡をかけ、髪は後ろに撫でつけていて幾分神経質そうに見える。がしかし、実情は個性豊かで『茶目っ気がある』、というほうがしっくりくるかもしれない。ときには人を食ったような態度を見せることもあるが。


「ところでトニスさん。ジュール様は、愉快なお方のようですね」


 屋敷が賑やかになりそうだと、オスマンは声を殺して笑っている。


「オスマン、何が言いたい。私への嫌みのつもりか」


 堅苦しい自分に対しての不満。そう受け止めたレオリールは、冷ややかな視線をオスマンに向ける。


「いいえ、とんでもない。ただ……窓の外に、面白い光景が──」


 オスマンは窓辺に立ち、外に視線を向けるよう手のひらで指し示す。けれどその手はすぐに口を覆う。


(いったいなんだというんだ?)


 外に何かがあるのだろうことは察せられる。しかし、オスマンがここまで必死に笑いを堪えるほどのことが、この屋敷にあるとは思えない。


(まあ……当主として、確認する義務があるからな)


 このまま流すこともできたが、気になったレオリールは椅子から立ち上がりオスマンの隣に立つ。そして外へ視線を向けると──


「な、何をしているのだ、あれは……」

 レオリールは目を見開き唖然とする。


「セミの真似事か? トニス、ジュールはいつもああなのか」


 そこには木の幹にしがみつき、じっとしているジュールの姿があった。はっきりいって滑稽こっけいだ。


「あぁ、ジュール様。ついに願いが叶ったのですね。よろしゅうございました」


 光景を目にしたトニスは、涙を拭う振りをしながらしれっとそんなことを言う。

 まったくもって理解できない。執事まで何を言っているのか。


「あ、落ちる」

 オスマンがぽつりと呟く。


「っ──! トニス、あれはなんだと聞いている」


 はっとし、レオリールが再び視線を戻すと、力尽きたジュールがズルズルと地面に落ちていくところだった。


(まだやる気なのか……)


 もうやめるだろうと思いきや、立ち上がったジュールは、腕をブルブルと振り木の幹に勢いよく飛びついた。先ほどより高い位置だ。


「失礼いたしました。兼ねてより、ジュール様は木登りしてみたいと懇願されておりまして」

「クク……木登り……あれが、木登り──」

「オスマン、笑いすぎだ」


 自分としても、到底木登りには見えない。必死にしがみついているだけだ。


「レオリール様は、木登りされたことはおありですか?」


 トニスの問いに、なくはないが、登りたいとも思わないと答える。すると、縋るような目を向けられた。


「さようですか。どなたか、ジュール様に教えてさしあげてはいただけませんか?」


「悪いが私は忙しい。最初に言っておくが、私はジュールに干渉するつもりはない」


 そうは言ったものの、昆虫のように木にへばり付くジュールは憐憫れんびんを誘った。


「はぁー、オスマン、教えてやれ」

「はい、かしこまりました。トニスさんも一緒に行きましょう」


 二人はにこやかに部屋を出て行く。オスマンにしては珍しく楽しげに見えた。


「まったく、自由になって早々これか。先が思いやられる。女遊びはほどほどにするよう、トニスに釘を刺すよう言っておかなければ。屋敷に連れ帰られても困る」


 レオリールは椅子に座ると脱力し、机に肘をつき額に手を当てる。


 ウォルター家は、王家から王都の管理を任されている公爵家だ。繋がりを得ようとジュールを利用する者も出てくるだろう。


 五年前、レオリールは若くして爵位を継承した。その途端、自分に言い寄ってくる欲に満ちた視線を嫌というほど浴びてきた。年が離れているというだけで、姉であるイザベラの隠し子ではないかと噂を立て、さんざん邪険な目で見ていた者もいたというのに。


 とはいえ、それも致し方ない。ウォルター家には男子がなく、跡継ぎ問題があったからだ。そこにぽっと現れたレオリールの素性を、いくら表向きに公爵の妾の子だと言っても、厳格な人物だったこともあり邪推されることはわかりきっていた。


 当然、不名誉な中傷の目を向けられたイザベラも、レオリールに対して冷ややかだろうと思っていた。しかしイザベラは、はじめて引き合わされたとき、「ようこそ、これからよろしくお願いします」と温かな微笑みを向けてくれたのだ。


 彼女は一人娘の自分が嫁いだことで、ウォルター家の存続を半ば諦めていた父親に、罪悪感を抱いていたのかもしれない。そんなイザベラにとって、レオリールがウォルター家に引き取られたことは、喜ばしいことだったのだろう。レオリールにとっては、本来の自分が死んだ日だけれど。


「やった~! 見て、トニス。僕、登れたよ‼」


 気持ちが沈んでいく中、ふとはしゃぐ声が聞こえてくる。

 外に目を向けると、太い枝に座り、足を交互にぶらぶらさせて喜ぶジュールの姿があった。


「登れたのだな」


 あまりの無邪気さに、久しく笑うことを忘れていたレオリールの唇が、ぎこちなく歪んだ。


 ※※※

 

「あ~、楽しかった。オスマンさんって、すごいんだね。虫取りとか、魚釣りなんかもできるの? ダンスもできたりする?」


 救世主のように現れたオスマンに、ジュールは矢継ぎ早に質問する。


 というのも、意気込んで木の幹に飛びついたまではよかったが、身体は思うように上へと動かず困っていたのだ。ひたすら幹にしがみつくことしかできず、不甲斐なさに涙が出そうだった。そんなとき、オスマンが登り方を教えると声をかけてくれたのだ。


 最初は手を掛けられるところまで、身体を支えてくれた。次に足を運ぶ位置も大事なのだと言われ、指示どおりにやったら成功した。


 木の枝に座り眺めた景色は、一生の宝物だ。夕刻の太陽は赤く燃え、幻想的だった。


「ジュール様はやりたいことが、たくさんあるのですね。では手始めに、魚釣りをしてみますか?」


「すっごくやってみたい! 僕は、遊びまくるんだ‼」


「遊びま──そうですか。釣り竿のご用意をしておきましょうね」


 何かを誤魔化すように、オスマンは咳払いをした。そして何食わぬ顔で、屋敷の近くに湖があるから一緒にやりましょうと言う。


「うわ~、楽しみだな。ありがとう、オスマンさん」


 喜ぶジュールだったが、トニスに貴族学院での生活に慣れてからだと諭される。素直に「はい」と肩を竦めると、いつから通い始めるのかとオスマンに問われた。


「五日後から授業が始まるんだよ」


 これからどんな出会いがあるのだろう。期待に胸が膨らみ、わくわくが止まらない。

 終始笑顔のジュールを、オスマンは柔和な笑みで見ている。


「でしたら、明日は屋敷でできそうな、やってみたいことをしましょう」


 その提案に、ジュールは花を育ててみたいと答えた。それと、この屋敷の庭に花がないのはなぜかと聞いてみる。


「庭師がいませんし、私は他の用事で手いっぱいなもので」


 人手不足なだけで、レオリールが花嫌いというわけではないらしい。


「僕が花のお世話をするなら、庭を花でいっぱいにしてもいいのかな?」


「大丈夫ですよ。でしたら明日は、花壇を作りましょう。種の準備は後日しておきます」


「え、いいの⁉ あ、でも、嬉しいけど……」


 自分は願ったり叶ったりだけれど、仕事の邪魔ではないだろうか。人手不足と聞いたばかりだ。


「オスマンさんは、執事の仕事が忙しいでしょう? 僕に時間を費やしても大丈夫なの?」


「ジュール様はお優しいですね。気にされなくても大丈夫ですよ。ですが……時間は指定させていただきます。何分、我が主は仕事の虫なものですから」


「仕事の虫……?」


 首を傾げトニスに視線を向けると、「仕事を第一に、日々を送っていらっしゃるのですよ」と教えてくれた。


(自分のことより、仕事を大事にしてるってことだよね。レオリール兄様は立派な人だな)


 公爵という立場は、自分など想像もつかない重責を背負っているのだろう。国民のために時間を費やしているレオリールに、ジュールは尊敬の念を抱く。


「オスマンさんの都合に合わせます」

「では、明日の昼食が済んだころにということで」


 約束を交わし、オスマンはレオリールの元へと戻っていった。

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