第5話 僕はこれから自由なんだ

「ここが僕の部屋か~」


 ジュールの宛がわれた部屋は、二階の角部屋だった。ジェイクリース領の自分の部屋とは何もかもが違い、広くてゆったりとした空間だ。窓から差し込む陽射しは申し分なく、ソファーにテーブル、机に本棚などの調度品も質のいいもので揃えられている。先に送ってあった荷物も、すでに家具に収められていた。


「レオリール兄様は、とても親切だね」


 トニスの部屋はジュールの隣だ。何かあったとき、すぐにトニスを呼べるようにという配慮だろう。


「紳士だな~」


 レオリールの口には出さないさりげない心遣いに、ジュールは感動する。


(手本にできる紳士が身近に。なんて僕は幸運なんだろう!)


 とはいえ、レオリールの私室はジュールと真反対で、屋敷の端と端だった。自分から赴かないと、屋敷内で会えそうにない。食事もレオリールは不規則だから、気にせずジュールは食べるようにと言われている。


「うわ~、いい風」


 窓を開けると、心地よい風が頬を撫でた。空を見上げれば、その風に乗って流れる雲が形を変えながら近づいてくる。


「あの形……チューリップみたいだ」


 ふと、チューリップが咲いているのではないかと庭を見下ろす。


「あれ……花壇がない」


 屋敷の大きさに見合った広い庭。けれど大きな木が数本あるだけで、花などはなく簡素な庭だった。せっかく立派な庭があるのに華やかにしないなんてもったいないと、残念な気持ちになる。ジェイクリース領で暮らしていた屋敷は町中にあり、庭がなかったからだ。そのためジュールは、自分の理想の園をよく思い描いていた。


 そうはいっても、農地は多かったので自然は豊かだった。花もあちこちに咲いていた。茄子なすやカボチャといった野菜の花がほとんどだったが。


「お花、育ててみたいな」


 レオリールに許可を取ってみようかと考える。クラーク家ではできなかったことを、たくさんやってみたいという衝動に駆られた。


(まずはこれだよね! 僕、木登りしてみたかったんだ)


 ここにはリベルトはいない。屈強な護衛も。誰も木登りするジュールを止める者はいないのだ。まだ夕刻までには時間がある。これから庭に出てみようかとジュールは考える。


「ジュール様、私はレオリール様と屋敷での決め事について、お話して参ります」


「決め事?」


「はい。この屋敷にも執事はおりますが、私もジュール様のお世話だけというわけには参りませんので」


 それもそうか。三、四日の滞在とは違う。お客様面で悠々と過ごすのはよくない。


「わかった。僕はその間、庭を散歩させてもらうよ」


 トニスが部屋を出てから、ジュールは動きやすい服はないかとドレッサーを物色する。


「正装で木登りするわけにはいかないしね!」


 少し厚手のシャツを見つけたジュールは、ジャケットを脱ぎ捨て着替え始める。気持ちが逸り、ボタンをかけるのももどかしい。


「頭からすっぽり被れる服にすればよかったな」


 自分が興奮しているのがわかる。大海原にでも、大冒険に出発するような気分だ。


(僕って、そんなに危なっかしかったのかな)


 ふと思う。どうして母親は、ジュールを過保護に育てたのだろうかと。兄であるリベルトは自由だった。もちろん次期当主として、厳しくも育てられていたが。しかしだからといって、外出を制限されてはいなかった。


「男として、それってどうなの?」


 ジュールはひとりで外出したことがないのだ。いつも誰かが一緒だった。それも子どものころならわかる。けれど今もなお……となると理解しがたい。


 もちろんなぜかと問うたこともある。だが決まって、「立派な紳士になりたいのでしょう?」と返された。そして社交界での振る舞いを教えてあげるという言葉に、ジュールは舞い上がったものだ。


 懸命に練習したダンスは、女性側のダンスだったけれど。


(まあ、気づかなかった僕も、鈍かったんだけどね)


 ダンスの相手が、いつも男だったことに疑問を持たなかったからだ。

 これも母親の弊害だろう。日ごろから、男、男、男に囲まれていたジュールは、違和感すら感じていなかった。


 やっと気づいたジュールが憤ると、母親は「女性をリードするには、女性側の気持ちを知らねばなりません」と言った。素直なジュールは、目から鱗が落ちたとばかりに納得し、さらにレッスンに励んだ。事実、リードの下手な男と踊ったときは、身体が硬くなり疲労感があったし、もどかしかった。それを経験したことで、いかに男のリードが大切かを理解できた。より一層女性を気遣うことができると、母親にも感謝した。


 そしていよいよ、肝心の男性側のダンスを教えてもらおうと意気込んだものの……レッスンはあえなく終了してしまったが。


「お母様は、女の子が欲しかったのかな。だから僕を、女の子のように扱うのかも……」


 どう足掻いても、自分が女の子に変わるはずないのに。


「あ、そうか! だからお母様は、僕を送り出してくれたんだ」


 一通り娘を育てることを疑似体験して、満足したのだろうとジュールはひらめいた。だから貴族学院にも反対しなかったのだと。


(やった! やった~! 僕はこれから自由なんだ。やりたかったことを、目一杯するぞ)


 レオリールは紳士だ。ジュールの挑戦を邪魔したりしないと思えた。


「いざ、木登りへ!」


 着替え終えたジュールは、逸る気持ち全開に庭へ向かった。


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