第4話 曇りなき眼

 書斎に戻ったレオリール・ウォルターは、自分に向けられたジュールの澄んだ新緑の目を思い浮かべる。


「私は誤解していたようだ」


 事前に聞いていた話からいだいた人物像と、実際に対面した本人は随分とかけ離れていた。


 姉のイザベラは、自分を揶揄からかったのだろうか。今回のことを持ちかけてきたとき、彼女はこう言ったのだ。


「大事に育てすぎて、甘えん坊で気の弱い子になってしまったの。でも、清らかで素直ないい子なのよ」と。


 社交界のことも知らず、悪意にさらされたこともない。そんなジュールが、貴族学院での荒波に堪えられるか心配だから、そばで見守っていてほしいと懇願されたのだ。


(甘やかされて育ったというから、我が儘で礼儀知らずかと思っていたんだが……)


 自分は清らかで素直という言葉を、親の贔屓目ひいきめだろうと決めつけていた。


「まさかあの歳まで、曇りなきまなこでいるとはな」


 昔出会った、幼いジュールが思い出される。


(悪い虫がつかないよう、見張ってくれと言う気持ちもわかるな)


 色づいたもみじを連想させる、ふわりとした赤い髪。目は大きく愛らしかった。小さくてぷっくりしている唇は、触れたいと思わせるもので。


 あの顔は、女からというより、男のほうに色目を使われそうだとレオリールは思う。


「あぁ……なるほど」


 イザベラが自分に頼んだ理由に合点がいった。愛だの恋だの信じていないレオリールなら、そばにいても邪な感情は抱かない。言うなれば、自分は安全牌あんぜんぱい


(いい判断だ。私が恋をするなど、あり得ないからな)


 自分には伴侶は不要。深い関係を築いていくなど、鬱陶しいだけ。どんなにあった愛情も、やがて薄れるものなのだから。


 レオリールをそんな思考へ向かわせた原因──


 レオリールの母親が亡くなって、一年足らずで後妻を娶った父親。あれほど母親のことを愛していると言っていたのに。


(そのせいで私は、人生を狂わされた──)


 レオリールは自身の右肩にそっと手を置いた。


「恋に夢見るなど、愚かでしかない」


 とはいえ、ジュールも大人の仲間入りだ。好きにさせてやればいいのでは? とも思う。ある意味、自由を奪われたジュールは可哀想なのかもしれない。


 だったら自分は、過度な干渉はするべきではない?


 そう思うものの、自分にはイザベラから受けた恩がある。頼まれたからには、責任を果たさなければならない。


(さて、どうしたものか)


 ジュールにとって、自分はどうしてやることが最善なのかと考える。ただ守るだけでは、彼の幸せには繋がらないような気がした。ジュールは人を疑うことを知らないというからだ。それはとても、危ういことではないだろうか。


(貴族社会は、甘くないからな)


 腹の探り合いに、相手を蹴落とすことも躊躇しない連中が大半だ。今からでも少しずつ、厳しさを知る必要があるように思う。


「少し様子を見てから、判断しよう」


 レオリールはしばらくの間、静観することを決めた。


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