第3話 なんで僕、こんなにどきどきしてるの

「え……ここって、寄宿舎じゃないよね?」


 馬車から降り立ったジュールは、白く塗られた鉄格子の門を前に呟いた。


 その奧には、茶色い外壁の大きな二階建ての屋敷が建っている。等間隔に並ぶ窓には、白い窓枠がはめられていて、一階には出窓もあった。とてもおしゃれだが……どう見ても寄宿舎には見えなかった。


 町を素通りし、林をも抜けていくから不思議ではあったのだが。


「はい。ここは、奥様の実家です。現在の当主は、弟君であるレオリール様で、ジュール様の叔父に当たるお方です」


 言われてみれば、確かに見覚えはあった。幼いころ、母親に連れられ祖父に会いに来たことがあるからだ。


「わかった! 挨拶をしておくということだね」


 背後に立つトニスに、勢いよく向き直る。


 これから二年間、王都で暮らすのだ。寄宿舎に向かうより先に、挨拶に伺うのは礼儀かもしれない。気を利かせてくれたトニスに感謝しなければ。


 とはいえ、実のところジュールは、レオリールに会ったことがない。祖父が亡くなったとき、ジュールは高熱が出てしまい葬儀に参列することができなかったのだ。一月後に墓参りはしたが、屋敷に顔を出すことはしなかった。


(初対面と思うと、なんだか緊張してくるよ。でも嬉しいな、どんな方なんだろう)


 はじめて顔を合わせる叔父に、胸がわくわくしてくる。きっと立派な紳士に違いない。なぜなら母親の実家は、王都であるドアナール領を管理している公爵家だからだ。そんな叔父に、自分はこれから挨拶する……と思うと、気後れしてしまいそうではあるけれど。


「そうですね、今日からこちらでお世話になるのですから」

「え……」


 澄ました顔で、さらりとトニスは言う。

 五十代半ばの白髪交じりの髪。目尻はやや下がっていて、優しげな面立ち。いつもはジュールを安心させてくれるトニスの顔が、今日は怨めしく思えるのはなぜだろう。


「聞いてない、僕は何も聞いてないよ!」


 新天地で自分の力で交友関係を築き、見聞を広めようと意気込んでやって来たというのに。


 また自分は、身内に守られて過ごすことになるのだろうか。


「ジュール様、ご納得されないと、奥様の元へ帰ることになりますが」

「それは……嫌だ」


 どうりですんなり出してくれたわけだ。それにトニスは、始めから知っていた。期待に胸を躍らせ、意気揚々とやって来た自分は、まるで道化師だ。


ジュールは悔しさから、ダンダンと足を踏み鳴らす。


「はしたない真似はよしなさい」

「ひぃ⁉」


 突然背後から声がして、ジュールは飛び上がる。慌てて振り向くと、白いシャツに濃いブラウンのベストとジャケット姿の若い男が立っていた。きっちりとした正装姿から、彼の生真面目さが伝わってくる。髪も襟足を短めに切り揃えてあり、清潔感があった。


「これはレオリール様。この度は、奥様の要望をお受けいただき、ありがとうございます」


 トニスは深々と頭を下げる。


「お姉様の頼みだ。受けるのは当然のこと」


 感情の読めない声音だった。だからといって、不機嫌さは感じない。けれど歓迎されているかというと、違うような気もする。


(この人が公爵様……もっと年配だと思ってたんだけど)


 母親の年齢を考えると、四十歳くらいではと想像していた。しかし、若いが公爵としての威厳を醸し出している。立ち姿は美しくも、人を寄せつけない孤高さを感じるのだ。彼の纏う気高さに呑まれそうになる。だがジュールは、腹にグッと力を入れる。


「は、はじめまして! ジュール・クラークです。本日より、お世話になります。あなたのことは、なんとお呼びすれば?」


 ここに住むことは、不本意ではある。けれどジュールは、レオリールに会えた喜びを笑顔に込めた。当主自ら出迎えに、わざわざ屋敷から出てきてくれたのだから。


「私はまだ二十五だ。叔父と呼ばれるのは、いささか抵抗がある」


「では、レオリール兄様と呼ばせていただきます」


「ああ、それで構わない。長旅で疲れただろう。屋敷に入りなさい。部屋の案内は、当家の執事オスマンがする」


 二日と半日かけてやって来たジュールを気遣ってくれる。しかしそれだけ言うと、レオリールは踵を返しひとり屋敷へ入っていってしまった。


「ひどいよ、トニス。僕が今日の日を楽しみにしていたこと、知ってたでしょう」


 恨み言を漏らすと、「申し訳ありません」と詫びられる。トニスを責めるのは、筋違いだ。あくまでも雇い主は、クラーク家の当主。


「ごめん。八つ当たりだったね」


 それにしても、レオリールは真摯に対応してくれるのだが、あまり感情を表に出さない人のようだ。喜怒哀楽をはっきり現す母親とは、随分と纏う空気が違う。端整な顔立ちも、そう思わせるのかもしれないが。


(すごく格好いい人だな。艶やかなブラウンの髪に、菫色すみれいろの目……)


 長身で手足も長く、切れ長の目に高い鼻梁。王子様のような品のある声と口調。このような美しい男は、ジェイクリース領にはいなかった。


(髪色は違うけど、あの目の色は妖精さんと同じで綺麗だったな)


 幼いころの記憶が思い出され、胸が高揚してくる。トクトクと脈打つ鼓動は早く、身体が火照ってきた。


(なんで僕、こんなにどきどきしてるのかな)


 これからの新生活に、胸が逸っている?


 興奮を宥めつつ、ジュールはトニスと共に屋敷に入った。

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