第2話 旅立ち

 男、男、男──


 ジュール・クラークの周りには、男の姿しかなかった。とにかく年若い女性との接点がないのだ。身近な女性といえば母親くらいなもので、あとは町中を歩く女性を目で追う程度。


「僕だって、恋がしたいのに」


 自室のソファーに座っていたジュールは、ぼそりと呟く。


 これもすべて、母親の教育方針のせい。母親の口癖は、いつもこう。


『立派な紳士になりたければ、男を見る目を養いなさい!』だ。座右の銘とばかりに聞かされ続けてきた言葉。『可愛いジュールに、悪い虫がついては困るわ』とも言っているが。


 母親の徹底ぶりは凄まじく、ジュールの世話をする使用人を、すべて男で揃えたのだ。おまけに、学校も男子生徒しかいなかった。先生までもが男だ。


(立派な紳士にはなりたいけど、お母様はやりすぎだと思う)


 自分を思ってのことだと、わかってはいるけれど……


(あぁ……女の子の白い肌、やわらかそうな胸、ぷにぷにしていそうな手──)


 想像ばかりが膨らみ、ジュールの心を掻き立てる。

 

「触れてみたい!」

「っ──⁉ どうなさいましたか、ジュール様」


 突然大きな声を出したからか、執事のトニスの肩がびくりと跳ねる。


 彼はジュールが生まれる前から、クラーク家の使用人として勤めている古参だ。今や執事として屋敷を任されているほど、優秀で信頼の厚い男だ。しかしこの度、当主からの任命でしばらく屋敷を離れることになっている。


「な、なんでもないよ」


 女性に夢見るあまり、心の叫びが口から出てしまった。

 自分としたことが、はしたない。これでは紳士失格だ。


(それにしても、お母様は何を考えているのかな)


 男を見る目を養えと言うわりに、『友人にどうかと思って』と紹介してくるのは、ひょろりとした気弱な男ばかり。時折つけられる護衛は、筋肉隆々だったけれど。


 クラーク家は、オルフェンティス国の四つの領土のうち、ジェイクリース領の農地管理を任されている伯爵家だ。よって次男のジュールにも、場合によっては護衛をつけてもらえる。 

 

 とはいえ、片田舎にあるため、窃盗などの荒事はあまり起こらない。至って平穏だ。けれど、領土の六割以上が農地という田舎町。他の領地の人間からは、随分と下に見られている。けれどジュールは、国の食料宝庫として、立派な役割を担っているのだと、領民を誇りに思っている。何せ国民の口に入る農作物の七割は、ここで作られているのだから。


 とはいうものの……必然的に領民のほとんどが農民だ。よって、これぞ紳士の鏡! という人物に、父親以外では会ったことがない。王都に行く機会もほとんどなく、社交界デビューがまだなことも、その理由のひとつだ。


(紳士のお手本のような友人を紹介してほしかったな)


 もちろんそう訴えたこともあった。けれど母親曰く、『男とはいえ、可愛いジュールの魅力の虜になって、恋に落ちてしまったら困るでしょう』だそうだ。


 紳士が? 男の自分に恋?


 なんだかんだ理屈を並べ、結局はジュールに恋人ができることを阻止しているのではないかと、最近になって思い至った。何せ二十三歳の長兄のリベルトには婚約者がいるのだ。それも十歳のころから。加えて近々、結婚することになっている。


 それなのに自分には、婚約者どころか女性と接する機会すらない。まだまだ、紳士にはほど遠いということだろうか。それは困った。いつまでたっても、あの日出会った妖精……ではないことは、大人になった今はわかる。


 見まがうほどの、美しい人──


 彼に会いたい。紳士として誇れる自分になれたと、会いに行きたいのに。


 このままでは、自分は紳士になれないのではないかという危機感はあった。家族から溺愛され、危険なことからも遠ざけられてきたからだ。小柄で色白なジュールは、庇護の対象らしい。特にリベルトは超がつくほどの過保護で、川遊びや木登りをしようものなら鬼の形相で止めに入った。お陰で男なのに、箱入り娘のような扱いだ。 


 しかし、それも今日で終わり──自分は庇護という囲いの中から飛び出すのだ!


「そろそろ出発のお時間です」


 この春、ジュールは十八歳を迎えた。親の手から巣立つのだ。家から通うことの困難な、王都の王立貴族学院への入学を機に。


 学院には寄宿舎が完備してあった。家が遠い者はそこに入ることができるし、下宿先を自分で探してもいい。ジュールは寄宿舎を希望している。


(お母様は、反対するかと思ったんだけど……)


 それどころか、名の通った貴族学院に行くことは、ジュールに箔がつくと喜んだ。ジュールがそばを離れることに、それほど抵抗はないらしい。しかし違和感はあった。あれほど過保護だったのにと。普通、自分の目が行き届かない場所に、最愛の息子を出すのは躊躇うものではないだろうか。別に引き留めてほしいわけではないけれど。


「よし、行こうか」


 トニスに促され、勢いよくソファーから立ち上がる。そして、さして広くもない部屋をグルリと見回した。慣れ親しんだこの部屋とも、しばしのお別れだ。


 目に焼き付けて玄関へと向かうと、そこにはにこやかな両親と、目に涙を浮かべるリベルトが待ち構えていた。


「ジュール! 何かあったら、すぐに連絡しろよ。駆けつけてやるからな」


 リベルトに力いっぱい抱きしめられる。


「あ、ありがとうございます、兄様」

「あらあら、リベルトったら。そろそろ弟離れしてちょうだいね」


 母親のイザベラは、言葉とは裏腹に、微笑ましい光景を見るように口元を綻ばせている。


「無理です。こんなに可愛い、純真無垢なジュールが……ひとりで王都だなどと」


 危険だ、心配だと腕を解いてくれない。


 純真無垢──大抵の者が、ジュールのことをそう表す。心が清らかだと。とはいえ、当の本人には、どの辺りがそうなのか自覚はない。

 けれど今の自分を望まれているなら、そうあり続けたいと思っている。


「兄様、心配してくださるのは嬉しいんですけど……苦しいです」


 苦笑交じりに告げると、「す、すまない」と慌てたように解放された。


「ジュール、しっかり学び、見識を深めておいで」


 父親のエディ・クラークが、ジュールの肩に手を置く。

 ジュールを見つめる眼差しは優しく、息子の門出を喜んでいることが窺える。


「はい、お父様。では、いって参ります」


 期待に応えるように、ジュールは胸を張り玄関から進み出る。が、その背後では──


「トニス、ジュールを頼んだぞ」

「かしこまりました、旦那様」


「私からも、ジュールのこと、くれぐれもお願いね」

「心得ております、奥様」


 このとき意味深な視線が交わされていたことを、ジュールは知る由もなかった。

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