×××××××視点 5 鈍くずるくいたツケは

 何があっても、明日は来るものなのだと思っていた。

 それは私にとっての呪いだと思っていた。

 馬鹿みたいに、それに甘えていた。



 ■


 ヒナタさんが倒れた。

 血を吐いて。

 ただそれを見ているだけで、何も出来なかった私の代わりに動いてくれたのは、居合わせていたアーサー君だった。

 アーサー君が動いてくれている間、私はひたすら待った。

 永遠とも思える時間の後、アーサー君は大人びたような顔でやって来た。


 


「……ドクターが、我々に話があると」


「聞けるかい?」私と大して年齢が変わらないのに、彼はずっと私よりしっかりしていた。

 私は、何も返せなかった。

 彼に手を取ってもらって、ようやく立ち上がることが出来たぐらいだった。


 ドクターは、異世界から来た人らしい。

 私は、彼の名前を知らなかった。


「ドクターは医療が届かない所で治療をしているから、一定の場所に留まらないんだ。こういう時が起きるかもしれないと思って、以前連絡をとっておいたんだ」


「異世界人の場合、持っている魔力が強すぎて、回復薬や回復魔法が通じないこともあるからね」アーサー君の言葉に、私は自分がどれほど何も考えていなかったかを思い知った。


「……この世界における病気と我々がいた世界の病気は少し違うことがあり、機材も少なく判断が難しいのですが。

 検査魔法を使った結果、血液の炎症反応から見るに、癌だと思われます」


「かなり進行していると見ていいでしょう」ドクターは言った。


「胃壁が硬く厚くなっていました。このタイプの癌は、早期発見が難しく、他の癌と比べて進行が早いと言われています。ですが、開腹手術の跡があるところを見ると……」


 躊躇いつつも、ドクターは言った。



「ヒナタさんの癌はこの世界に来る前からあったこと、そして、治療を受けている最中だったのだと思われます」



 そこから、正直私は覚えていない。

 腹膜播種、とか、リンパ、という言葉があったことは覚えている。






 一息ついた頃には、夜になっていた。

 ドクターの話を一通り聞いた私は、口を動かすことすら出来なかった。

 アーサー君がお茶を淹れてくれた。伯爵なのに、と私が零すと、「こういうの、結構好きなんだよ」とアーサー君は笑った。

 お茶の味は、やっぱりわからない。けれどかすかに、心を落ち着かせるような香りがした。


「大丈夫……じゃ、ないか」


「私も、大丈夫じゃない」そうアーサー君は言った。


「……でも、アーサー君が手立てを打って貰ったお陰で、何とかなりました」


「ありがとうございます」ようやくそう言うと、困ったような、照れたような笑みを浮かべた。


「敬語、無くなったと思ったんだけどね」

「……あんまり、良くない傾向だと思うんですけどね」


 敬語が抜ける方が。

 それは、私の『鎧』が外れてしまったことを意味した。だけどもう、私はその『鎧』を被る力もない。

 だんだん私は、以前の私では無くなってきた。

 身体が動かなくなった。ちょっとした事ですぐ泣くようになってしまった。夜会に出ることすら出来なくなった。ひたすら屋敷に閉じこもって眠るようになった。

 閉じこもっているうちに父からは見放され、全く会っていない。その代わり、と言うのか。兄からの暴言や嫌がらせは、ヒナタさんと、アーサー君が排除してくれていた。


 アーサー君は、私が『ユニークスキル:読心』を持っていることを知らない。彼にとって、私は利用価値がない存在だ。

 それなのに彼が私を気にかけてくれるのは、私の傍にヒナタさんがいるからだろう。

 ヒナタさんと仲がいいところを見せられるのは、心穏やかじゃなかった。正直苦手というか、「嫌い」だと思ってしまう。


 それでも何とか付き合っているのは、ヒナタさんが彼を好ましく思っているからだ。そんなヒナタさんの前で彼を嫌ってしまったら、ヒナタさんから嫌われるんじゃないかと怖かった。

 だけど、彼のことを知れば知るほど、彼と比べて自分が「足りない」ことに気づいて。


 彼を「嫌い」だと思う自分も、打算的に付き合おうとする自分も、無能だと理解しておきながら彼と比べて自己嫌悪に陥る自分も、大嫌いだった。




「……ドクターの言葉を要約するなら、こちらの世界に来たこと自体が、ヒナタさんの寿命を縮めたってことですよね」




 アーサー君は答えなかった。誰にも否定できない答えだったからだ。


 私は、そのことについて何も考えてこなかった。

 病気とか、寿命とか、そんなこと以前の問題。


 親しみ深い世界から、無理やり引き離されて、召喚される「勇者」や「聖女」。

 どうして私は、無理やり連れてこられること自体を、残酷だと疑わなかったの?


 ――「初めてライブチケット当選したのに、その前に召喚されたんだよね」。


 きっと誰もが、誰かと約束している明日があった。それらは、当たり前に来ると思っていたはずなのに、こちらの事情で奪われて行った。


 どうして私たちは、そんな酷いことをずっと繰り返してきて、「おかしい」と思わなかったの?


 ヒナタさんは、奪った側の私を恨んでもよかったのに。

 私はこのアトラス王国の公爵家の娘で、召喚の儀式に加担した人間の一人なのだから、もっと悪意をぶつける権利があったはずなのに。

 それなのに、彼女がしたことは。



「あの人、もう、食べる元気なんてなかったんだよ……!」


 悔しかった。

 何も考えず、彼女の優しさに甘受して、時間を搾取し続けていた自分が。そのことすら気づかなかった、愚鈍な自分が。


 食べる元気なんてなかったのに、私のために外食に連れて行って。

 私が食べきれなかったご飯を食べて。

「まあパブだし、お酒飲まないものね」と、お酒を飲んで笑っていた。


 ――「歳を取れば取るほど、どんどん鈍くなって来た」。

 ――「ずるくもなって来たなとも思う」。


 私が痛みに対して鈍く、ずるくなってやり過ごしてきたそれらのツケは、今ここで帰ってきたのだとわかった。








「……帰る方法を探してみよう」


 暫くして、アーサー君はそう言った。


「ローレンス伯爵領でも、召喚の儀式が行われたことがある。その資料から、帰還する方法がないか探ってみよう」


 アーサー君の言葉に、私は目を見開いた。

 ……帰る、方法?


「……そんなのが、あるの?」


「わからない」アーサー君は言った。


「正直、私は聞いたことがない。その様子だと、君も聞いたことがないとみた。……つまり我々は、そのことについて何も疑問に持たないまま、過ちを過ちと思っていなかったということだ」


 そう言って、アーサー君は目を伏せた。


「だからこそ、我々はその過ちを正さなくては。

 あちらの世界は、こちらより医療が発達しているとドクターから聞いた。もしかしたら、彼女の病気は治るのかもしれない。

 ……治らなくても、彼女がいたい場所へいる方法を、彼女が選べるようにしておきたい」


「君は」とアーサー君は躊躇いがちに尋ねた。


「彼女との別れが、辛いかもしれないが」


 ……別れが辛い?

 そんなふうに感じる権利は、私にはない。

 帰還する方法があるなら。

 少しでもヒナタさんが、助かる方法があるのなら。

 私には、躊躇う理由なんてなかったのです。

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