×××××××視点 3 婚約破棄

 ――「お前の能力は、王家と、それに連なるアルドバラ公爵家のためにある。それがお前の役割だ」。

 ――「完璧なシステムを運営するために、情など妨げになる」。


 お父様にそう言われた私は、「そうだなあ」と思ったのです。


 大切なものは、必ず失われるのです。

 それでも、何事もなく朝はやって来て、素知らぬ顔で日常は回っていきます。

 だから、例えば私のお気に入りのぬいぐるみが、お兄様にズタズタにされていたとしても。

 例えば、お義母様の気まぐれで、お気に入りの部屋から移動させられたり、お気に入りのドレスを処分されることになっても。

 例えば、お父様によって、私に付く使用人が、定期的に変わることになっても。


 ぬいぐるみはそもそも生きていくのに必要なものではなく、代わりの部屋やドレスは用意され、使用人は恙無く生活し続ける。

 私がどう想っても、私の日常は、変わらず続いていくのです。


 だから、人の言葉を真に受けないようになりました。

 だから。



「×××××××・アルドバラ公爵令嬢との婚約を破棄し、『聖女』ユイ・タナカとの婚約を結ぶ」



 婚約者である王太子にそう言われても、『私』が失うものは何もありませんでした。








「お前何してくれるんだよ!!」


 薄暗く、人気のない場所で、私はお兄様に腹部を蹴られました。

 痛みはとうにありません。ただ、胃液が逆流した感覚があるだけです。


「お前のせいで、『聖女』が盗られたじゃないか!」


 お兄様はどうしても、「聖女」を囲いたかったのでしょう。

 ですが、それは王家にとって困ることでした。


 理由はただ一つ。

 アルドバラ公爵に権力が集中するためです。

 王家の流れを汲むアルドバラ公爵家は、今では王家と並ぶ権力を持っていました。そこに「聖女」がアルドバラ公爵家に加われば、権力のバランスが崩れてしまいます。

 そのため、私との婚約を破棄し、「聖女」との婚約を明言する必要があったのでしょう。


 これぐらいのことは冷静になればわかることでしょうに、感情的になりやすいお兄様はいつも見失います。


 お兄様は、「聖女」を手に入れた『特別な自分』になりたいのです。


 貴族なら特出したスキルや魔法を使えるのに、兄のスキルはとても弱い『魔眼』でした。本来なら他者の精神に干渉し、乗り移ることすらできるものですが、お兄様の魔力量ではほとんど意味を成しません。

 対して私は、『ユニークスキル:読心』しか使えないものの、お父様から重宝され続けました。それがまた、お兄様にとって屈辱的だったのでしょう。


 けれど「聖女」は、他者に魔力を引き渡すことが出来る存在だと聞いています。その力を応用して、結界を張り続けているんだそうです。


 だから私を「聖女」と引き合わせ、私に心を読ませ、その情報をもとに裏で「聖女」を孤立させ、自分に依存させるようにしていました。

 そしてその目論見は、成功しかけていたのです。


 私が、お父様に打ち明けることをしなければ。


 お父様は、王家と対立することを良しとしませんでした。

 アトラス王国で内部分裂してしまえば、魔王エリゴールの侵入を許してしまいます。

 そして王家もまた、アルドバラ公爵家と対立などしたくないのです。

 何より国を守る「聖女」は、個人の欲望に使われるわけにはいきません。


 

 ――「お前の能力は、王家と、それに連なるアルドバラ公爵家のためにある。それがお前の役割だ」。

 ――「完璧なシステムを運営するために、情など妨げになる」。



 これが私の役目なのです。

 例えば、私が「悪役令嬢」として、お兄様が仕組んだ陰謀を擦り付けられ、婚約破棄されても。

 こうやって、お兄様に八つ当たりで殴られたりしても。

 かつてお義母様を『裏切った』ように。

 私はシステムを守るための駒なのです。



「ふん、本当につまらない女だな。お前は。悲鳴一つも上げやしない。

 そんな空っぽの女だから、王太子に捨てられたんだろうな」


 お兄様はそう言って、何故か悔しそうに私を見下ろしました。

 ……何か、勘違いしているような気がします。

 私がそう返そうとした時、お兄様の舌打ちで妨げられました。

 お兄様がなにか言おうとしたその時。


 カツン、と誰かがわざと靴を鳴らす音がしました。


 お兄様が慌てて振り向きます。



「ああ、失礼。慣れない他国の城なものだから、迷い込んでしまったようだ」



 そこに居たのは、私とあまりかわらない年頃の少年でした。

 輝かしばかりの金髪に、海より深い青い目。何より立ち振る舞いから、それなりの身分のものだとわかります。

 お兄様は先程行った行為の後ろめたさか、それとも「金髪碧眼の貴族の男性」だからか、顔を青ざめて私の手を引き、その場を離れました。

 すれ違い際、彼は私を見ていました。


 ……あれは確か、と私は思い出します。

 隣国であるアルビオン国のローレンス伯爵。

 継承権第一位だった父親を退け、伯爵とローレンス家当主を手に入れた少年。

 確か名前を、アーサー・ローレンス。








「へえ」


 街の中のパブで、婚約破棄されたんです、とヒナタさんに伝えたところ、帰ってきたのはそんな気の抜けた返事でした。

 ……へえって。

 結婚を主に生きる貴族令嬢にとって、婚約破棄されるというのは、中々痛手なことなのですが。


 手に着いたチーズをペロリと舐めて、ヒナタさんは言いました。


「まあ良かったんじゃないの」

「良かったのかなあ???」


 あ、思わずヒナタさんの口調が移ってしまいました。最近、気を抜くと、敬語が抜けてしまうのです。


「王太子ってあんたより10も年上なんでしょ。そんであんたは16。子どもじゃん」

「子どもって……」


 私、夜会に出られる年齢なのですが。後、ヒナタさんもそう年齢変わりませんよね?


「え、あたし? あたし、今年で37だけど」

「え!!?」


 私は思わずヒナタさんを見ました。

 多く見積っても20前半です。どう見ても37には見えないのですが!?


「まあ日本人は童顔なんだよ。そゆことにしといて」


 ……なんか、はぐらかされたような気がします。


「こんなナリだと、舐められがちだけどね。仕事してる時も、『若いのに自分の意見を持っていて立派ですね』とか上から目線で言われるし」

「そ、そうなんですか……?」

「ま、年齢に見合うほど真面目に大人やれてるとも思わないんだけど」


 ヒナタさんはそう言って、ふと遠くを見ました。



「『聖女』の子も、同じくらいなんだよね。

 …………子ども時代を奪われるほど、この世で残虐なことは無いんだよ」



 私には、よくわかりません。

 老けて見られるより若く見られる方が、女として見られやすいと思います。子ども扱いより大人扱いされる方が、一般的には「尊敬を受けている」と思います。

 普通は「良い事」だと思われることに対して、どうして彼女は、そんなにも怒っているのでしょうか。

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