×××××××視点 2 ヒナタさんという人

『ヒナタ』という名前は、名前ファーストネームではなく、苗字ファミリーネームだそうです。

 初めて会った日、「下の名前で呼ばないで」とヒナタさんに言われました。


「ああいや、こっちじゃファーストネームか? 私がいた所は基本、苗字で呼ぶのが礼儀だから。……下の名前、キラキラネームだから恥ずかしいし……」


 よくわかりませんでしたが、私は彼女の言うとおり、『ヒナタさん』と呼ぶことにしました。

 




 さて。

 この国の伝承によれば、異世界から来た勇者や聖女のほとんどは、黒い髪に黒い目だったそうです。

 二十年前、アトラス王国で初めて召喚された勇者も、黒い髪に黒い目を持っていました。

 その勇者が張った結界によって、アトラス王国は多くの国からの信頼を得ることが出来たのだそうです。


 そんな中、「能無し」のヒナタさんの髪は、ワインレッドの色が混ざった黒でした。

 この色がきっかけで、「聖女では無い」と判断されたそうです。



「これは推しの色に染めてんの」


 紅茶を飲みながら、彼女はそう答えました。

 彼女が持ってきたカバンには、同じ色の髪の毛の、獣人族らしい男の子が描かれたバッジがついていました。それが彼女の「推し」らしいです。



「この子、VTuberのアイドルユニットの一人でさー。

 ……初めてライブチケット当選したのに、その前に召喚されたんだよねー……」



「召喚した関係者皆コロス」と、遠い目をしながら彼女は言いました。

 ……彼女の言っている意味が、ほとんどわかりません。

 何度か説明を受けましたが、異世界の基礎知識が抜けている私では、想像することも難しいものでした。


 私はお父様の命令以外で『読心』を使うことを禁じられているので、彼女の口から語られる以外の情報を手に入れることができません。

 

 ただ、ヒナタさんが今まで会った人間とは全く違うことは、よくわかりました。

 

 例えば、異世界からやって来た「聖女」は、笑顔を絶やしません。いつも微笑んで、周りを気にするような振る舞いを見せています。

 けれどヒナタさんは、いつも不機嫌そうというか、しかめつらを浮かぶ人でした。

 機嫌が悪いのかと思ったら、声を掛けると割と普通に返事をしてくれます。

 例えば、そういう時のお兄様は、声をかければ確実に拒絶します。かと思って離れれば、お兄様は烈火のごとく怒りました。


 ――「気の利かない女だな。少しは僕の役に立とうと思わないワケ?」。


 けれど彼女は、一度もそんな対応をとりませんでした。

 黙っていても、声を掛けても、彼女は私に対して怒ったりしませんでした。

 なんだか自分の知る『人間』とはまるで違って、拍子抜けしてしまう日々です。




「おやあ? ×××、×××××××、今日もタダ飯ぐらいしてるのかい? 茶葉と砂糖が勿体ないな」




 私たちの前に、お兄様が現れました。

 たまに離れに顔を出してくるお兄様は、彼女の要求を飲むことなく、彼女の名前を執拗に呼びます。

 恐らく、「聖女」の身柄を王室にとられてしまったからです。

 兄は「聖女」を自分の妻として迎えると豪語していましたが、私の婚約者である王太子が、「聖女」の保護に買って出ました。

 なのでお兄様は代わりに、ヒナタさんを囲うつもりだったのです。


「……」

「な、なんだよ! 次期公爵の僕に対して、そんな態度をとっていいと思ってんのかよ!」


 ヒナタさんの人を殺せそうな目を見て、お兄様はいつも怯えます。


「お兄様。今日はどんなご要件でしょうか」


 私が尋ねると、「あ、ああ」と頷きながらお兄様は私の肩に手を置きました。


「お前明日、王城へ向かうことは忘れていないよな? 『聖女』に会う絶好の機会だからな」


 つまり、 『読心』を使って「聖女」の心を読め、という命令です。

 私はカップをソーサラーに置き、目を伏せました。


「……お父様は、ご存知なのですか?」

「はあ? お前が黙っておけばいい話だろうが」


 間髪をいれずそう返されてしまえば、これ以上の反論は出てきません。



「……わかりました」

「わかればいいんだよ。無駄に時間取らせやがって」


 ふん、とお兄様は鼻を鳴らし、そこから去っていきました。

 お兄様の気配が完全に消えた後、ボソッとヒナタさんは言いました。



「あなたのお兄さんって、ホント空虚だよね」



 一応、お兄様に聞かれたら面倒なことになるとわかって、今言ったのでしょう。

 けれど、その意味がわからなくて、私は首を傾げました。


「あー……家族の悪口、聞きたくない方だった?」


 ヒナタさんはそう言って、クッキーを口に運びました。

「うわしょっぱ!?」と呟いて、慌てて紅茶を飲み干します。


「私は、家族のことが大嫌いだったから。家族の悪口を聞くのが、好きだったけどね」

「……嫌い」


 とは、なんでしょう。

 それ以上は何も言えなくて、私もヒナタさんと同じようにクッキーを食べることにしました。



 ふとヒナタさんは、目を見開いてこう尋ねました。



「…………あなた、もしかして、味覚がない?」



 そう言われて、私は自分の心臓を掴まれたような気分になりました。


「……なんで」

「何時から?」


 厳しい目で射抜かれ、私は咄嗟に答えてしまいました。


「……最近、でしょうか」


 それが起きたきっかけ、というものは思い出せません。特に困ったことではなかったので、慣れてしまった今は、むしろ「ああ、そんな機能もかつてあったな」と思うぐらいでした。

 だから改めてそのことを言われ、ビックリしてしまったのです。


 はあ、とヒナタさんはため息をついて、


「台所って使える?」

「え」

「いや、こっちの台所って私が使えるかわからんか……外で食べよう。お金は一応貰ってるし」


 そう言って、私の手を急につかみました。


「え? え?」

「何。行かないの」

「え、あ……ここを出るなら、兄に許可をとらなければ……」


 いえ。今までそんなことを言われたことはありません。そもそも一人で外出したことなどなかったので。ですが、声を掛けなければお兄様はまた不機嫌になることでしょう。

 私がそう言うと、「はあ?」と眉を釣り上げました。



「私に、誰かの許可をとって生きる暇なんてない!」



 その矢のような強い口調に、私はポカンと口を開けてしまいました。







 街に出るのは、初めてではありません。

 けれど、それはほとんどどこかへ行くための中継地点で、私はまるで異国へ旅立ったような気持ちでいました。

 何より、異国の空気を運ぶのは、私の手を引っ張っている人でした。


「牡蠣とか大丈夫そ?」


 そう言ってヒナタさんは、牡蠣料理のあるお店を片っ端から調べあげ、ほうれん草とバターで炒められた料理を注文しました。

 そして、私の席にその料理が置かれました。


「……なぜ、急に牡蠣を」

「あー、味覚障害は、亜鉛と鉄分不足が原因だって話を聞いたから?」


 ヒナタさんはコーヒーを飲みながら言いました。


「私は医者じゃないから、あなたを治療することは出来ないけど。まあ、気休め程度に」

「……私のために、ここに連れて来てくれたのですか?」


 私がそう尋ねると、「あなたのためっていうか」とヒナタさんは言いました。


「……あなたのためになるかわからないし、余計なお世話だって言うのは重々承知で、私が何かせずにはいられなかっただけ」


 あのね、とヒナタさんは言いました。


「私には、あなたの事情なんてわからない。

 私にとってはクソみたいな環境の中でも、あなたにとっては特に問題がないのかもしれない。

 もしかしたら私の行為は、あなたが気づかなくてもいいことを気づかせて、あなたを地獄に突き落とすものかもしれない。……最初から汚れていると思っていれば、無駄に期待せず、傷つかないことだってある」


 だけど、とヒナタさんは続けました。



「あなたにはもっと、美しいものを見て、美しいものを聞く権利がある。それを探しに行く権利がある」



 彼女の言葉は、異国の言葉でした。

 美しいもの。

 美しいものとは、なんでしょう。

 それは、どこかにあるものなのでしょうか。

 遠い場所からやって来た彼女の世界には、美しいものがあるのでしょうか。




 中々食が進まない私に、ヒナタさんが声を掛けました。


「食べきれなかったら、残しといて。私が食べる」


 ヒナタさんの言葉に、私ははい、と答えました。

 味はやっぱりわかりません。どろりとした内臓の感覚が少し不愉快でした。かすかにバターの匂いがして、少し胸がムカムカします。

 けれど。


 ふと顔を上げれば、私の知らない風景が広がっていて。

 そこにポツンと、ちっぽけな私が確かに存在しているのです。

 そして目の前には、遥か遠い場所からやって来た異世界人が、私の前に座っているのでした。

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