行ってきます

 皆、リンみたいに、交互に病室を訪れてはヒナさんの手を握ったりしていた。

 その行為に、意味はないのかもしれない。けれど、なにかせずにはいられないんだろう。

 腕のない俺には、それすら出来ない。

 それでも今、正気を保てているのは。無力さとか不安とか、なんも言わなくても皆と共有できているからだ。



『俺さ、ヒナさんが来てくれるまで、モノみたいな扱いだったんだよね』



 ヒナさんの顔を覗き込んでいたリンは、こっちを向いた。


『俺、それまで「念話」すら使えなくて。だから意志のないミミックとして、素通りされてた。どれだけ自己主張しようとしても、全然通じなくてさ』


 取るに足らない存在だと、否定され続けた。

 悔しかったけど、そりゃそうだよな、とも思っていた。

 言葉が使えない相手なんて、その場から動けない相手なんて。意思や心があるなんて、俺だって思えないと。

 でも、今はそう思えない。


 今、ヒナさんが喋れなくても、動けなくても。意思や心がないなんて、思えない。

 行動や言葉に出来なくても、想いがなかったことにはならないように。 


『リンは知ってた? ヒナさんのユニークスキル』

「……ううん」


「でも、気づいてた」淡々とリンは言う。


「私が変な言葉選びをして顰蹙を買っても、ヒナはいつもフォローしてくれた。……ギルドマスターにヒナとの試合に出ないことを咎められた時も、ヒナはすぐに言い返してくれた。

 ヒナが皆の、とっさに言葉にできない想いを、それとなく拾ってくれた」


 それを聞いて俺は、なんだか誇らしかった。


『……メルランがさ、俺と会った時には、ヒナさんはそのユニークスキルを封じてたって言ったんだ』

「私がメルランを追いかけた時?」


 リンの言葉に、俺はうん、と返す。

 メルランは魔術師として、『クラススキル:鑑定』を持っているらしい。俺たちはせいぜい「レベルが自分より強いか弱いか」ぐらいしか判断できないが、メルランは具体的に数値化されたレベル、スキル、ステータスなどを見ることが出来るという。


 多分、洞窟で会った時は使っていたんだろう。モールス信号にする前に、彼女は何度か先取って返事をしていた。

 良く考えれば、そもそもモールス信号を知っている人間なんて滅多にいないだろうし、知っていたとしてもとっさに変換出来るものじゃないと思う。「心を読んでいた」と知って、そっちの方が納得した。


 じゃあなんでメルランたちと合流した時には、ユニークスキルを封じたんだろう。

 ……心当たりがちょっとだけある。


 背負われていた際、いい匂いと思ったこととか。腕や脚が綺麗だなって思ったこととか。

 そういうのを読まれてしまって、気持ち悪く思ったり、苦痛に思われたんじゃないかと。

 

 ああああ! と叫びたいんだか穴があったら入りたいんだか、なんだかわからない感情を持て余してると。


「……ユニークスキルのことを黙っていたのは、嫌われたくなかったからかな」


 リンがそう言った。


「多分心を読むことで嫌われたことがあるから、黙っていたんだと思う。私は助かった方だけど、読まれたくない人にとって、ヒナは怖い存在でしょう」

『……そう、だな』


 ヒナさんは人のために使っていたみたいだけど、デジタル的に言い換えれば盗聴とか、クラッキングだ。日本では犯罪である。政治的立場の人間が知れば、ヒナさんのユニークスキルは諜報に使われるだろう。

 あの男がヒナさんを勧誘しようとしたのも、ユニークスキル狙いだったのかもしれない。


 だけど、ヒナさんはそんなことしなかった。

 人の心が読めるのがなんだ。そんなもの、今俺が使いたい。

 今眠っているヒナさんの心が、何に傷ついているのか知りたい。それを取り除いて、一刻も早く起こしたい。

 ……だから。



「行くんだね」



 リンは唐突にそう言った。


『心を読むの、やめてくれます?』

「読んでない。そんなのあったらもっと上手く立ち回っている」

「ただ、君ならそうするだろうなって」リンは少しだけ微笑んだ。


「メルランが昨日言っていた。『今、ヒナは傷つきすぎて、自分の殻に閉じこもっている状態だ。だからヒナの精神世界に入ってヒナを見つければ、目が覚めるかもしれない。ただし』」

『精神世界で本人の自意識を見つけられる確率は低いし、それ以上に本人から敵として認識され、侵入した者は廃人になる。だっけ』


 今出来る選択肢は二つ。

 一つはヒナさんが自力で目覚めるのを待つこと。もう一つは、誰かがヒナさんの精神世界へ行って、起こすように働きかけること。

 メルランは『ユニークスキル:ゲート』を持っている。それは現実の空間だけではなく、精神世界にも適応されるらしい。

 ただし、精神世界に入ることは可能でも、本人の自意識にまではたどり着けない。

 他者の精神世界へ行くには、精神体で入る必要がある。特定の魔物やスキル能力者を除いて、精神体でいることはとてもリスクが高いらしい。

 精神世界では、その世界の主から攻撃を受け、そのまま自分の肉体に帰って来れない可能性がある。


 前者はヒナさん以外のリスクがなく、後者は精神世界に入る者にリスクがあってリターンの確率も低い。ギルドマスターは、「暫くはヒナの回復力を信じる」と言った。

 けど。




『一晩考えた。俺、行くよ』



 今ギルドでは、総力を掛けてローレンス伯爵の行方と、その背景である魔王エリゴールの情報を探している。

 魔王エリゴールの根城は、ローレンス伯爵領と隣接した、アトラス王国の向こうにある。アトラス王国は、長いこと魔王エリゴールの侵略に苦しめられつつ、固い結界と「聖女」のスキルによって守られていたらしい。――そんな話を、俺は今回初めて知った。

 この世界の常識も、情勢も、俺はまったくわからない。

 俺は皆のように手を握ることも、リンたちのように戦うことも出来ない。本当、役立たずだ。

 だからこそ、行くなら俺が一番リスクが低い。


 何よりこの役目を、誰にも譲りたくない。



『前さ、「ヒナさんを守るために強くなりたい」って言ったじゃん』


 俺がそう言うと、リンは「ああ」と頷いた。



「メルランの余計な一言で、君が心から落ち込んだ時の?」

『……いやまあ、そうなんだけど。それは置いておいてさ。

 あの時の言葉、違ったなって』



 守りたい、というのは、一部分でしかなかった。


 必要とされたい。

 ヒナさんにとって、無くてはならない存在になりたい。

 ヒナさんの言う、『大切な人』になりたい。


 だって俺は、ヒナさんがいないと、正気を保てそうにない。

 俺と同じように、俺がいないと困って欲しい。


 ――「つまり君は、自分より弱いヒナを望んでいるんだね?」。


 メルランの言葉を思い出して、笑ってしまった。

 メルラン。お前の指摘より、ずっとずっと身勝手で、わがままで、エゴでしかなかった。

 それを認めたら、なぜか逆にすっきりした。

 ヒナさんのために何をしてあげれば正解なのかはわからない。

 それでも、自分がどうしたいのかは決まった。


『前言ってくれたろ。「ヒナのことはヒナが決める。だから、君は君のことを決めたらいいと思う」って』


『だからそうする』と言うと、リンは肩をすくめて両手を広げた。


「前言ったことを使われたら、もうなんも言えないね」


 リンはそう言ってから、


「……私も、ギルドマスターと同じ。ヒナの回復力を信じる。きっと君が何をしても、しなくても、ヒナは復活するって」


「けど」とリンは言った。



「君が迎えに行ったら、ヒナは喜ぶと思う」



 窓から朝日が差し込んで、リンの黒い目がキラリと輝いた。


「だから、ちゃんと二人で帰ってきてね」


『……ああ。


 ――行ってきます』



 俺は、笑うような顔を持っていない。

 けれど精一杯、笑って見せた。

 自分の想いが伝わって欲しいと、心から思ったからだ。

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