冷静とか、無理だ
本当は、大分困惑していた。
異世界へ帰る方法とか、ローレンス伯爵に誰かが乗り移っているとか、――それがヒナさんのお兄さんだとか。
ヒナさんの口から、どんどん知らなかったこととか、新しい情報がわんさか出てきて、戸惑いしかない。
けど、そんなのは後から考えればいい。
ヒナさんの言葉を拒否して、ヒナさんを怯えさせて、ヒナさんを侮辱して、ヒナさんの身体の自由を奪って、ヒナさんの指を踏み潰そうとした男。
判断するには、十分すぎる材料だった。
この時冷静さが俺にあったら、もう少し思慮深い行動を取っただろう。
例えば、俺よりヒナさんの方が強いのに、真正面から対峙して俺がアイツに勝てるのか、とか。俺がアイツに負けたら、ヒナさんがどうなるのか、とか。そういう後先を全然考えてなかった。
けど、無理だ。
冷静とか、無理だ。
「……は、ははは! なんだ、あいつ、魔物を連れてきてたのか! 本当、気持ち悪ぃな!」
そう言って、今度は俺を蹴ろうとする。
リンとジョージ神父との撃ち合いに比べれば、あまりに遅くて、わかりやすい。
――すかさず俺は、『スキル:防御結界』を張る。
今までは人やモノに掛けていたけど、今の俺は『スキル:跳躍』を使えるようになった。
俺は『防御結界』を張ったまま、『跳躍』を使用し、男の顎を目掛けて跳んだ。
「っが!」
我ながらあまり絵にはならない攻撃だ。だが、顎は人間の急所である。
これで意識が飛ぶかと思ったけれど、やつは無駄に頑丈だった。
「この、低レベルが!」
男はそう言って、俺を睨みつける。しかし。
「……な、なんだよ! どうして効かないんだよ!? 低レベルの魔物のくせに!!」
さっきの余裕綽々な態度とは打って変わって、おろおろし始めた。
ワイシャツの下に付けていたペンダントを取り出し、引っ掴んで必死に振る。そのペンダントには、黒に近い紫色の水晶が嵌められていた。
「この身体の持ち主だって、レベルも魔力も高かったんだぞ!? 能無しのアイツだって、精神支配の攻撃は全部無効化してたんだ! それなのに、なんで、なんで……」
セリフから察するに、あの男の攻撃は精神専用ってことだろうか。
俺は男との距離を詰める。
「っひ」男が息を呑んだ。
「近づくな!! 魔物!」
男は腕を上げて自分を守ろうとする。どうやら、本当に攻撃手段が無くなったようだ。
なんで俺に効かないのかは分からない。
そんなのはどうでもいい。心底どうでもいい。
ヒナさんの安穏を乱して、ヒナさんを侮辱して、ヒナさんを傷つけた。その報いをコイツに思い知らせてやる。このまま、コイツを――。
『もしもーし、マコトくーん、聞こえるかーい?』
……なんか頭の中に、気の抜ける声が聞こえてきたんだけど。
無視して『跳躍』を使おうとした時、『既読無視は辞めて欲しいな~?』と返ってきた。
『何、メルラン!? 今、俺取り込み中なんだけど!?』
『知っているさ。ピアスが反応したからね』
『は、ピアス?』
ピアスっていうと、俺がヒナさんに贈ったものしか思いつかない。
『緊急事態に呼び出されるよう、スキルを掛けていてね』
ピアスに、スキル?
――「ほら、『スキル:固定魔法』掛けてあげたから」。
……あ!
『あの時、もしかしてもう一つ掛けてたのか!?』
『こんなに早く反応するとは思わなかったのだけどね。それはさておき』
『ピンチなんじゃない?』とメルランが聞く。
目の前には、狼狽える男。
俺には効かない精神攻撃。
そして今の俺には、攻撃手段がある。
『……ピンチなんかじゃない。俺一人でもやれる』
『君じゃなくて、ヒナの方だよ。……相当参ってるね』
え。
『この空間、スキルがほとんど使えないからってのもあるけど、そもそも精神系だから私には無理だね。ジョージ神父に頼まないと』
『ま、待て!? メルラン、お前今どこにいるんだよ!?』
『あ、今?』
『今はねー』と呑気にメルランは言った。
『君のカラダの中』
…………。
『いやほら、君、ヒナを「スキル:収納」で吸い込んだでしょ。それでピアスを辿って「スキル:門」を使ったら、結果的に呼び出されるのは君の中なワケだし。しかも入ったら入ったらで、念話以外のスキルが全然使えないし――』
『今すぐ出すわ!!』
というわけで、俺はメルランとヒナさんを『収納』から解放する。
空間が歪み、現れたのはヒナさんを抱き抱えて立つメルランだった。所謂、「お姫様抱っこ」というやつである。
ヒナさんは意識を失っていた。血の気が引いて、顔が真っ白になっている。
……バカだ、俺は。
今優先するべきはヒナさんなのに、コイツを殺すことだけ考えていた。
けど、だからと言って、怒りが冷めるわけじゃなく。さっきは底冷えるような殺意を持っていたけれど、今はふつふつと怒りが混み上がってきた。
「おや、マコトくん。君、ずいぶん怖いことになっているね?」
俺を見て、メルランが呑気そうに言った。怖いってなんだよ。
男を見る。ヒナさんと俺の前では虚勢を剥がさなかったのに、メルランの前では明らかに変わった。メルランが男だからか、エルフだからなのか。自分では敵わないと思ったのだろうか。
……腹が立つ。
ミミックの俺ならまだしも、ヒナさんを自分より弱いと思っているところが。
それ以上に、自分より弱ければ、他者をどう扱ってもいいと思ってる下劣さが。
さらに男の顔に、怯えが広がった。
「な、なんだよ! お前らには関係ないだろ! これは家族間の問題なんだ!!」
『っざけんな!!』
ようやく俺は怒鳴った。ひい、と男が怯む。
もっと早く怒るべきだった。
ヒナさんが悪意を向けられているのに。情けないことに、俺は動けなかった。
話が通じない相手というのを、呑気な俺でも何人か見てきた。
ギルドに押しかけて派手に求婚するような、人の気を惹く演技。『自分は断られないはずだ』という過剰な自信。魔法だかスキルだかわからないけど、その力を手にしたことによる万能感に、人を下すことで得る自己陶酔感。人を自分を取り立てるための道具にしか見ていない。
まるで現実が突然、映画のスクリーンとして切り抜かれたよう。見たくもない映画を強制的に見せられる気持ち悪さ。席をたとうと思えば出来るのに、なぜかそうしようとすぐに思いつけない。
いっそ「こんな駄作」と無茶苦茶にしてやればいいのに、すぐに動けない自分に腹が立った。
「マコトくん、落ち着いて」
メルランの言葉すら煩わしく、無視しようかと思ったが、次の言葉で我に返った。
「君、気づいてないようだけど。スキルが発動している」
そう言われて、俺はようやく気づく。
『スキル:即死』。
何時手に入れたんだろう。どうやらこのスキルは、相手を確率で即死させるらしい。
「それを使えば、ローレンス伯爵が死ぬことはあっても、当人は身体から逃げるだけだ。恐らく、別のところに身体があるからね」
『……ごめん』
俺はすぐに解除した。
ヒナさんを傷つけたのはローレンス伯爵の中にいる兄とやらで、ローレンス伯爵じゃない。……俺の勝手で、巻き込んで傷つけていい相手じゃない。
「恐らくあの男が使っているスキルは、『魔眼』だろう。成功する確率が低くて、あまり強力なものではないようだけど……どうやらあの男が持つペンダントが、確実なものにさせているようだ」
「君、目が無いから掛からなかったんだね」とメルラン。なるほど。っていうか、自分のスキルぐらい把握しておけよ。
……って、さっき無意識に『即死』を使おうとした俺が言えることじゃないか。
「さて、どうしようか。ヒナの治療は最優先だが、この男を放置する訳にもいかない。……が」
あははー、とメルランが笑う。「私、レベル8なんだよねえ」
「乗り移った相手を追い出すなんて、祓魔が使えるジョージ神父じゃないと。私の腕じゃ、捕まえて連れて行けそうもないし」
……ああもう! 気が抜ける!!
『なんでジョージ神父連れてこなかったの!?』
「いや、いくら緊急事態と言っても、こんなことになるとは思わないじゃないか!」メルランが困った顔で続ける。
「危険ならすぐ行かないといけないし! そんな中、誰がベストメンバーで、何処にいるかを判断することが出来るかい? 私にだって、色々都合というものがあってだね!?」
『それはそうだね! ごめんね!! 来てくれてありがとね!!』
さすがに申し訳なかったので、謝った。
「まあそんなわけで、私たちは退散するとしよう」そう言って、メルランは『スキル:門』を使った。
足元には紫色に光る魔法陣が現れ、そこから魔素を帯びた風が俺たちを包む。
「魔王エリゴールによろしく」
メルランのその言葉を最後に、俺たちはその部屋から姿を消した。
「……メルランだと?」
呆けて男がそう呟いていたことを、俺は知らない。
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