サイテーだ俺
■
人が減った飲食スペースのカウンター席で、ヒナさんと俺は座っていた。
あれから、ヒナさんは全く話していなかった。ほとんど笑うことも無く、凍りついたように真顔だった。
この一ヶ月、こんなヒナさんを見たことがなかった。無敵で元気なヒナさんが、ここまで警戒心を見せるなんて。
いつもはいろんな人に声をかけられるのに、あれから誰も話しかけない。ローレンス伯爵が来た時はあれだけ押しかけていたのに、今はそれとなく様子を見ながら、そっとしているようだった。
……そんな中で、俺が話しかけていいんだろうか。
ヒナさんとの関係で、誰よりも日の浅い俺が?
そう思ったけれど、やっぱり放っておけなかった。
『あの、さ』
俺がそう声を掛けると、ヒナさんが少し表情を緩ませて、「何?」と返した。
俺はその反応にちょっと安心しつつ。
な、何を話せばいいんだ!?
なんも考えてなかった。アホすぎる。
「……ごめんね」
あーうーと悩んでいると、ヒナさんがそう言った。
「変なことに巻き込んじゃった上、なんか、気を遣わせちゃってるね」
そう言って、さみしそうに笑う。
それを見た途端、視界の端でチカリ、と火花が散ったような気がした。
――「『ごめん』とか、『ありがとう』とか、そう何度も言わなくていいから」。
リンの言葉が蘇る。
『「ごめん」なんて言わなくていい!』
思わず、強めの口調で言ってしまった。
ヒナさんがビックリしたように、目を瞬かせる。俺も自分でやっておきながらビックリしている。
『…………って、リンに言われた時さ。ちょっとムッともしたんだよね』
俺は思わず、誤魔化すように続けてしまった。
『日本じゃとりあえず謝っておけ、みたいに言われるじゃん? 理不尽にクレームが来ても、その場を荒立てずやり過ごすのが大人っていうか。それでずっと正解としてやって来たのに、今までのこと否定された気がして』
何を言おうかと思う前に、言葉だけがどんどん出てくる。
自分でもどこに向かってるのかわからないまま、俺は続ける。
『けど、今ヒナさんに「ごめん」って言われて、なんか、リンが言ってた意味がわかる。「ごめん」って言われるのは寂しいっていうか。だって俺が気を遣ってるのは、ヒナさんにとっての正解を俺が言えるかわからないからで、』
だから、と俺は言った。
『俺は、ヒナさんが今、考えていることが聞きたい』
……ああ、そっか。俺、そう思ってたのか。
言葉にしてから、自分の本心を知った気がした。
今まで俺は、謝ることで、自分の不愉快さとか相手からの追求をなあなあにして流して来た。
それは別に、悪いことばかりではなかったと思うんだけど。
今ヒナさんに謝られたら、それ以上は踏み込めない気がした。
暫くして、ふっ、と気が抜けるような声が聞こえた。
ヒナさんを見ると、ヒナさんは口元を抑えて笑っていた。
「ご、ごめんね。ちょっと、なんか嬉しくて」
肩を震わせながら、ヒナさんはそう言う。
……俺、そんなに面白いこと言っただろうか。ガラでもないことを言って、ちょっと恥ずかしくなった。
けど、さっきの強ばった表情と比べたら、全然良い。ヒナさんが笑うたび、凍っていた雰囲気が溶けて行くようだった。
ひとしきり笑ったあと、ヒナさんは「ありがとう、ヒムロさん」と言った。
「……『冒険者を続けてもいい』って、あの人は寛容さのつもりで言ったのかもしれないけど、なんだか許可されているみたい」
ヒナさんは目を細めて言った。
そして、決意を込めたように、こう言った。
「自分が選ぶことに、誰かの許可を求めるなって約束したの。――とても大切な人と」
……その言葉に、俺は強く体を打ち付けられた気がした。
「あのね、ヒムロさん。私は――」
ヒナさんが何かを言おうとした時。
「あ、マコトー! この間の仕事のことなんだけど、よ……」
またもやボブに声を掛けられた。俺が。
ボブは俺とヒナさんを交互に見て、「えーと」と頭をかいた。
「ひょっとして取り込んでる? 悪ぃ」
「あ、えーと」
『いや、大丈夫。……ごめんヒナさん。また後で』
俺がそう言うと、「あ、うん。大丈夫」とヒナさんが言う。
俺は振り返らずに、『スキル:跳躍』でボブの方へ向かった。
「で、前回の話の続きなんだけど、この時は防御結界で――」
『……ボブー』
「何だ?」
『ちょっと俺を殴ってくれる?』
「どうした情緒?」
…………いや本当、サイテーだ俺!!
『ヒナさんの話が聞きたい』っつったのは俺だろーが! 言い出しておきながら何逃げてんだ俺! バッカじゃねーの!?
だけど、あのままあそこにいても、話を聞けるとは思えなかった。
――「とても大切な人と」。
俺とヒナさんは会って一ヶ月しか経ってないのに。本当、当たり前のことなのに。
その『大切な人』は俺じゃないことに、なんでこんなにショックを受けてるのか。自分で自分が恥ずかしかった。
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