貴族という存在

 ヒナさんの『嫌い』という言葉があまりに強くて、俺はすぐに返事ができなかった。

 いつも元気で、ミミックすらあっさりと受け入れるヒナさんに、『嫌い』なものがあることに驚いてしまった。

 ……いや、そりゃあるだろ。なんでショックを受けているんだよ。

「わかってる」と、ヒナさんが言う。


「貴族として生まれたことは、その人のせいじゃないし。多くの人の上に立つっていうのは、社会的に必要とされる構造だと思う」


「だけど」ヒナさんがカップの取っ手を強く握ったのがわかった。


「生まれで人に差をつけて、犠牲を押し付けていいなんて、私には思えない……」


 それはまるで、怒っているような、泣き出しそうな顔だった。

 ……その言葉から、ヒナさんの気持ちを理解することは難しかった。

 そもそも俺は、ヒナさんのことをほとんど知らない。日本からの転生者だろうということと、とても強い戦士であるということ、そして、


 ――「私、色々事情があって、祖国から逃げてきたんだ」。


 ダンジョンで出会った時、彼女がそう言っていたことだ。

 その時、貴族と何かがあったのだろうか。あの時は出会ったばかりだったし、「パーティーから追放された」の方に気を取られていたから踏み込まなかったけれど、もし今の状況に繋がっているなら、聞きたかった。


『なあ、ヒナさん――』


「あ、ヒナ! ギルドマスターが呼んでるぜぇ!」


 と、ここで冒険者ギルドの一人である、ゴブリンのボブに呼び出されてしまった。

 





 冒険者ギルドの応接間は、受付の奥にある。

 素朴な作りになっているエントランスや飲食スペースとは違い、そこは優雅な作りになっていた。

 机やソファ、インテリアは落ち着いた黒や茶色で統一され、ワインレッドの絨毯が敷かれている。

 ヒナさんと俺の目の前には、あの貴族の男――ローレンス伯爵が座っていた。

 ローレンス伯爵は涼しげに、それでいて申し訳なさそうに、ヒナさんに笑いかけた。


「改めて、押しかけて申し訳ありません。あなた方の仕事の邪魔をしましたこと、深くお詫びいたします」


 それはそう。

 冒険者ギルドの前に、めちゃくちゃデカくて豪華な馬車が止まってるしな。道が広いから通れないことは無かったけど、通行的にはちょっと邪魔だった。


「ですが、あなたとあれきりで終わらせたくはなかったのです」


 メルランよりは低く、それでいて甘い声で、ローレンス伯爵は続けた。「どうか、これからも私と会ってくださいませんでしょうか」


「……会って、どうするんですか」


 ヒナさんは真っ直ぐローレンス伯爵に向けて言った。


「先日の申し出は、断ったはずです。『冒険者を辞める気はないから』と」

「はい。あなたが冒険者であることは、よくわかっています。それに誇りを持って働いていることも」


 ローレンス伯爵は涼し気な笑みを浮かべたまま言った。


「――ですから。私と結婚した後も、冒険者を続けられて構いません」


 ギルドマスターが息を呑むのがわかった。


「本気ですか? 本気でそのようなことが出来るとでも?」

「勿論です。周囲にも王家にも、そのように計らいましょう」


「今日はそのことを伝えるためにうかがいました」ローレンス伯爵は柔和な笑みを浮かべたまま答える。


「しばらくはこの街に滞在します。その間、あなたが我が伯爵家にいらっしゃることを、心よりお待ちしています」







「やっぱり、様子が変だと思う」


 ヒナさんの言葉に、「そうですね」とギルドマスターが言った。


「確かに現ローレンス伯爵は、新しいものに柔軟な対応をされる方だと聞いています。しかし、仮にも妻になるものに『冒険者を続けていい』というのは……」


『変かな? それだけ本気だってことじゃないの?』


 俺がそう言うと、「あのですねー」と呆れたようにギルドマスターは言った。


「自分たちの職業を卑下したくはありませんが、ああ言う人種にとって冒険者というのは、下位も下位の職業なんです。例え夫にあたる人が許したとしても、周囲が許すわけが無いでしょう」

『けど、計らうって』

「そんなの口先だけです。……と、言いたいところですが」


 はあ、とギルドマスターは溜息をつく。「あのローレンス伯爵が口先だけで言った、と言うのが、どうも納得行かないんですよねぇ……」


「仕事で会った時は、出来ないことは口にしない人だと思ったの」ヒナさんも、溜息をつきながら言った。


「だから最初に求婚まがいのことをして来ても、私が『冒険者を続けたいから無理です』って言ったら、『じゃあ仕方ないね』って、それからは口にしなかったし」

「そこで気が変わった、ということですかね。……それとも、裏に何かがあるのか」


 ギルドマスターの言葉に、ヒナさんが裏、と呟いて考え込んだ。


「何か、思い当たる節があるんですか?」

「はっきりとしたものないけど。でも……」


 そう言って、ヒナさんは俺の方をちらっと見た。


「ごめんなさい、今はなんとも」

「……そうですか」


「まあ、暫くはローレンス伯爵に対応するしかないでしょうね。また接触しに来るでしょうし」ギルドマスターは面倒くさそうに、紫色の髪をかきあげた。


「とりあえず伯爵には、『ギルドに来るなら歩いて来い』とは言っておきましたけど」

『貴族相手に大丈夫なんですか、それ?』

「本人も馬車で来たらギルドに迷惑だろう、とは思っていたようだ」返答したのはジョージ神父だった。


「それでも求婚する以上、粗末なことをしてはヒナに失礼だろう、と」


 ジョージ神父のそばには、贈り物である花束と、小さな箱があった。ヒナさんが先ほど開けていたが、高価な金属や宝石で作られたネックレスのようだ。


「……ま、それ以上に周りに見せつける必要があったんでしょうね。ヒナが断りづらくするためにも」


 名前を出されたヒナさんは、顔を俯かせる。

 ローレンス伯爵が座っていた席には、まだ伯爵がつけていた香水の匂いが残っていて、何となくざわつかせた。

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