声を掛けても、届かない

ヒナさんに求婚してきた貴族の男

 ピアスを贈った後、喜んでくれたヒナさんを見て、『何となくいい関係を築いているんじゃないか?』……なんて、甘い考えを抱いていたわけだけど。

 そもそも、俺は肝心のことを見落としていた。

 ヒナさんはとても素敵な人だ。

 ――だから俺の他にも、彼女に好意を抱く男がいる。

 そんな考えて当然の可能性を、俺はちっとも考えてなかったのである。




 ヒナさんにピアスを贈った次の日。

 その男は、なんの前触れもなくギルドに現れた。


 粗雑で雑多なギルドの中で、その男はあまりに異色だった。

 輝きそうなほど美しい金髪に、白い肌、青い瞳。傷一つもついていない革靴を鳴らしながら歩き、シミもシワも一つもついていないスーツを着て、真っ直ぐと人にぶつからず歩いていく。

 その男は、そのままヒナさんの方へ向かって歩いて行った。

 ヒナさんは、カウンターのテーブルにいる俺と目線を合わせるために立っていた。足音とギルドのざわつきに気づき、そのまま男の方を振り向く。


「仕事場まで押しかけた無礼をお許しください。けれどやはり、私にはあなたしかいないと判断しました」

 

 そう言って、その男は金色にも見えるオレンジ色の花束を、ヒナさんに渡した。その色は、ヒナさんによく似合っていた。



「――私と、結婚してください」

 


 ……その言葉に、その場にいた全員が一瞬凍りつく。

 そして俺を含めた全員で叫んだ。



『「えええええ――――!?」』


 叫んだ後ガタガタ震える俺と違って、百戦錬磨の冒険者たちは各々動き始めた。


「え、何!? 貴族!? なんで貴族から求婚されてんのヒナ!?」

「どどどどこで会ったの!? 仕事!? それとも店!?」

「おい、ヒナが求婚されてんぞ! 寝てる場合じゃねえぞ!」


 皆が、我先にとヒナさんを問い詰め始める。――というか、一部面白がり始めた。ヒナさんが何かを言おうとしても、他の人の質問でかき消されてしまう。

 しかし。

 

「お客さま。奥で話をうかがいましょうか」


 ジョージ神父の威圧感ある声に、その場が静まり返った。

 その男は反抗することもなく、ジョージ神父に従ってギルドの奥に入って行く。

 完全に気配が消えたことを確認して、「で」とギルドマスターが口を開いた。


「なーにがあったんですか。ヒナ」


 深い紫色の髪と同じ色をした瞳は大きく、長い睫毛をたたえている。瞬きすると、まるで蝶が羽ばたいているようにも見えた。

 それが半分伏せると憂いている表情に見えてもおかしくなかったが、そこにあるのは呆れの表情だった。


「……私、ちゃんと断ったんだよ。それで、相手も納得してくれたの」


 ヒナさんは、戸惑った顔でそう言った。そして片手で顔を覆う。


「断り方が手ぬるくて、勘違いさせたのでは?」


 ギルドマスターがそう言うと、「そんなことは無かった、と思う」とヒナさんが言う。


「はあ、まあいいです」


 心底面倒くさそうに溜息をつき、ギルドマスターは車椅子の車輪を動かし、方向を転換させた。


「とりあえず、話してきますから。貴方はしばらく、外で待っていてください」








 という訳で、俺はヒナさんと一緒に、近くの喫茶店で待機していた。

 ヒナさんは黙って紅茶を飲んでいた。俺はその隣に座って、ヒナさんの様子をうががっていた。


 情けないことに念話で叫ぶことしか出来なかった俺だが、ヒナさんがあの求婚をよく思っていないことだけはわかる。必要以上に騒ぎ立てるのは、ヒナさんにとって失礼じゃないかと思った。


 それに、これはなんだろう。怒ってる?

 空気がピリピリしているような気がするし、心做しかヒナさんの目や眉がつり上がっているようにも見える。


 そりゃ、一度断ったにも関わらず、仕事場まで来られたら怒るだろう。ギルドの空気に呑まれて誤魔化されたけど、やってることストーカー行為だし。

 ――けどここまで怒るヒナさんというのが、どうも腑に落ちなかった。


 まさか、もっと酷いことをされてたとか!?



『そ、そんなに嫌な奴だったのか? 仕事先で何かされたとか……』



 俺が聞くと、ヒナさんはふう、と息を吐いた。


「……嫌な人じゃないよ。少なくとも、仕事先では。とても礼儀正しい人だったし、その上堅苦しくもなかったし。盗賊退治に必要な情報を、簡潔に教えてくれたし」

『そ、そうなんだー』


 やっぱり、この間の盗賊退治の時に会っていたのか。

 もしかして、帰ってくるのが遅れたのは、あの男と何かがあったからじゃないか? とか思うと、抑えていた不安が復活し始める。



『……どうして、断ったんだ?』



 思わず聞いてしまった。

 頬杖をついていたヒナさんはぎこちなくこちらを見て、いつもより小さな声で聞いた。



「……受けた方が良かった?」

『あ、いや! 全然!?』



 むしろ断ってくれて安心しました。とは言えない。

 けど、断った理由がわからない。地位があって、金があって、イケメンで、贈り物のセンスもいい。まさに、おとぎ話に出てきそうな、理想的な『王子様』だ(王子ではないだろうが)。

 もちろん、それで世の女性が無条件に頷くとは思っていないが。少なくとも、ミミック(宝箱の姿)よりは断然いいだろうし。


「あの人はね、貴族なんだよ。ローレンス伯爵家の若当主」

『あ、伯爵なんだ』


 確か貴族の階級は、上から公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵だから……三番目に偉いってことかな。貴族の中でも、上位にいそうだ。


「伯爵の中でも、ローレンス伯爵家からは妃も出ている、歴史ある家だよ。今どき血筋がどうちゃらってことはほとんどないけど、それでも結婚したら『伯爵夫人』をやらないといけない。

 私みたいなのが夜会に出たら、伝統がなんやら、礼儀がなんやらで、いびられたりすること間違いなし」


 カタン、とヒナさんはカップをソーサラーの上に置く。


「好きですって言葉で、そう簡単に頷けられるほど甘くないよ。貴族は」


 投げやるように、けれど実感をこめて、ヒナさんは言った。

 そして感情を殺すように、次の言葉を言い放った。


「……それに私、貴族は嫌いだし」

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