美貌凶悪

花鳥あすか

第1話

 百鬼の姫は、この女の顔をしているに違いない。

 血池を泳ぎ、白い衣を赤く染めている女を見て、銀之助はそんなことを考えていた。

 特段、美しい女ではなかった。寡黙で、偶に口を開いたかと思えば、庭を這う蟻の数をひい、ふう、みい、と数えているという有様。士族の娘で、ただ家格がふさわしいからと縁談が進められていくのを心底憂鬱に思ったほど、平時のこの女は、私を震えさせる何の魅力も持ち合わせてはいなかった。

 ところが去年の暮れ、我が屋敷に何者かが闖入し、侍女のセツが斬り殺された。その時、この女は美貌の片鱗を覗かせた。屋敷の者たちがあまりの惨さに目を瞑る中、この女は黒い瞳を一度たりとも閉じず、まるで何か大きな感情に促されるように、細い肩を震わせていた。

 セツの死体が片付けられ、夜になると、女は私と共に床に就いた。私が屋敷の一大事に疲れ果て、まどろみ始めた頃、隣から何やら笑い声が聞こえてくる。ふふふふふふ、ふふふふふふふふと、段々声は明瞭になり、終いには、あはは、はははははと部屋中にこだまするようになった。

 私は何がそんなにおかしいのかと言い、女を見た。すると、女は細めた両目を長く黒い爪で覆い隠しながら、唇をひん剥き、白い歯列を見せつけるようにひいひい笑っている。 

その凶悪な笑顔を見て、私はこの女に初めて性愛の情を抱いた。この女は、これほどまでに美しくなれるのだな。私はたまらず手を伸ばし、笑い続ける女をかき抱いた。

 再び床に就いた私は少しばかり興奮が醒め、そんなに笑っては天罰が下るぞ、と最もらしいことを言った。しかし、女は満足げな顔を変えなかった。それどころか、ところであなた、何をそんなに畏れていらっしゃるの、と瞼を下げて艶に私を見つめるのである。

 私は再び激情に突き動かされた。この女とならば、どこまでもゆける。私は一夜にして、この女の虜となった。

 次の日、私は頼まれもしないのに、下男の六男を斬り殺した。しかし女は、昨日のようには笑ってくれなかった。むしろ、蛾眉を上げ、瞼を緩めて、つまらぬ私を叱るように、蔑むように見つめた。この女の、あの笑顔をもう一度見たい。私はその一心でやったというのに、女にとってそんな私の情は、何ら価値を持たぬがらくたに過ぎないのであった。

 私は工夫した。乳母の滝の首を壺に入れ、そこに血を注いだ。これは多少女の気に召したらしく、あの笑顔の片鱗を見せてくれた。だが、私はこれでは駄目だと自分を叱った。満面の、心からの笑顔。それが見たい。どう趣向を凝らせば良いのかと悩み続ける日々だった。

 そんな私の悩みは、無慈悲な請願によってさらに増幅した。セツ、六男、滝の死を受け、屋敷の者どもが次々と暇を申し出たのだ。素材たる奴らに居なくなられては、もう彼女の笑顔の一片すら引き出すことは叶わない。

 私は男として、一世一代の決意を固めた。滾る若さに身を任せ、全力を挙げて無奉公者十七人全員を殺して回り、庭の池にその血を貯め、血の池を造り上げた。

 今、女は至上の美貌で、赤い衣を肌に張り付かせている。月白と赤血とに包まれた女は、不思議な光を放ち、私を誘惑してやまなかった。美しく、幸福な夜だった。神の罰が一体何であろう? ここには百鬼の姫がいるというのに。私に怖いものなどありはしない。

 女は私を池へ手招いた。私は従い、温く臭い水に着物を漬ける。思わず鼻を摘みそうになったが、女の口から発する花の香が私の手を止めた。血と花。この女に花は似合わない。私は血水を掴むと、それを女の口に注いだ。女は嫌がらず、むしろうっとりとして私の背後の満月を仰いでいる。見て、御月様が見ていらっしゃる。あんなにも静かに、私たちを見守っているわ。そうだ。天は私たちを咎めはしない。私たちは最高の夫婦なのだから。


 奉行所に死罪を命じられても、私には何の恐れもなかった。あの魅惑的な晩を思い出すだけで、幸福になれた。隣に座る女も、奉行を虫けらのように見つめ、薄笑いを浮かべている。私は、この女と死ねることを褒美のように思った。

 かくして、私たちは夫婦睦まじく斬首された。並べられた晒し首は、稀代の鬼夫婦を見に来た野次馬たちを大いに喜ばせた。首だけになってなお、私と女は心で繋がっている。今も、女の声が聞こえる。

 ほら、罰など何もないでしょう? 私は、自分の首が飛ぶ瞬間を見逃さなかったわ。実に楽しい瞬間だった。それに誰も彼も、私たちを見て、こんなにも美しく笑っているわ。御天道様も、あんなに輝いていらっしゃる。

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