第2話 11

 ……とは言うものの、世の中というのは本当に望み通りには動いてくれないもので。


 クラリッサと仲良くなった事で気さくな人柄と思われたのか、姫様は休憩時間のたびにクラスメイトに囲まれてしまい、俺が連れ出す暇なんてまるでなかった。


 そうしてずるずると時間だけが進み、午前最後の授業である魔道実技の時間となってしまう。


 ホーラン先生はいつものように、生徒達に管楽器デバイスを持たせ、的に向かって魔術の練習をするように指示を出し、それから姫様とレイナのふたりに声をかけた。


「――喚楽器デバイスは選べたかな?」


「アタシ、お義父とう様が用意してくれたのがあるんですが、それを使ってもいいですか?」


 と、ホーラン先生の言葉に、レイナが手を挙げて確認する。


 彼女のもう一方の手には、仰々しい意匠が施された長杖型管楽器デバイスが握られていた。


 それを見たホーラン先生は驚き、食い入るように彼女が持つ杖に顔を寄せた。


「――こ、これはっ!? ノーデンスくん、君はコレを喚起できるというのか?」


「はい。入学前にお屋敷で試した時は、普通に使えましたよ?」


「それは素晴らしい!

 ――みんな、集合!」


 興奮気味のホーラン先生は、みんなを呼び寄せた。


「みんな! 今からノーデンスくんが聖杖を喚起して見せてくれるそうだ」


「――ホーラン先生、聖杖ってなんですか?」


 女生徒のひとりが挙手してそう訊ねると、ホーラン先生は呆れ混じりに溜息を吐く。


「勉強不足だぞ。

 聖杖――正式には聖女の杖というのだが、彼の聖女ミレディも使っていたという、複合喚楽器デバイスのひとつで、六精すべてに通じていなければ扱えない、難しい喚楽器デバイスなんだ」


 というホーラン先生の説明に、みんなは驚きか感心の声をあげる。


「……ねえ、シャルロットさん」


 いつものように壁際に三角座りで見学していた俺に、同じく見学していたライが、不思議そうな表情で訊ねてきた。


「……六精すべてに通じていなければって先生は言うけど、六精って精霊が引き起こす魔道事象の結果の事だよね?」


 この一月のリハビリの間、ライはリィナ姉に魔道理論ついても事あるたびに質問していたから、ホーラン先生の言葉に疑問を抱いたんだろう。


「ええ、そうね。火水土風光闇――起こされる現象は違って見えても、結局は精霊に魔道を通す事で世界を書き換える魔道事象である事には違いないわね」


「だよね? でも、そうするとホーラン先生が言う事の意味がわからなくなるんだけど……」


「ああ、おまえ、思い違いをしてるのよ」


 俺の言葉に、ライはさらに首を傾げる。


 ライはリィナ姉によって、魔術はあくまで魔道器を喚起した事による魔道事象と教わっているから、ホーラン先生の授業しか受けていない他の生徒と、六精の捉え方が違うんだ。


「ホーラン先生が言っている六精っていうのはね、喚楽器デバイスについてなのよ」


 飲み込みの早いライは、それで理解できたようだ。


「あ、そっか。魔術だと使う喚楽器デバイスによって、喚起できる魔道事象が決められるから……」


「そ。最近では扱う喚楽器デバイスに合わせて、火精魔術士とか風精魔術士とか名乗る者までいるそうよ。

 そうやって自らの魔道の可能性を狭めておきながら、すべての属精に対応した喚楽器デバイスをありがたがるのだから、笑えるわね」


 舞台の上に視線を向けると、レイナとホーラン先生の隣に立つ姫様もまた、この魔道実技という授業の有様に驚いているようだった。


 一見すると、他の生徒達と同じように、聖杖に驚いているように見えるだろうが、あいつがあんな玩具で驚くはずもない。


「でも、すべての喚楽器デバイスを使えるなら、それはそれであの編入生――レイナさん、だっけ? すごいんじゃないかな?」


 一般的に魔術士を名乗る者達の、魔術の属精がひとつやふたつに絞られるのは、喚楽器デバイスが楽器の形状をしている為だ。


 要するに得意な楽器によって、得意な魔術が定められてしまっている状態なんだな。


 だから、ライはレイナが喚楽器デバイスに用いられているすべての楽器に精通していると思ったんだろう。


「いいえ。あの杖は喚楽器デバイスの原型ではあるけど、厳密には楽器ではないの」


 昔、あんまり魔法が得意じゃない騎士団の兄貴達の為に、姫様が似たものを拵えていたから俺は知っているんだ。


「どちらかと言えば、汎用性を重視した刻印の集積――魔芒陣を大量に小型化して杖の形に押し込んだ、攻性魔道器の一種なのよ」


 細かすぎて把握できないが、恐らくは六精に応じた様々な刻印が刻み込まれているはずだ。


 そうライに説明すると。


「ああ、要するにあの杖は、全属精があらかじめ用意された昌器エコーみたいなものって事だね?」


「そうそう。でも、それだけに喚起に必要とする魔動も膨大で、だから使える人も少ないんじゃないかしら」


 他にもなにか条件があるのかもしれないが、少なくとも喚起するには、重奏騎を喚起できるくらいの魔動が必要になると思う。


 それを扱えるという事は、レイナはそれだけの魔動を持つという事で。


「あの子、あんな杖に頼らず、魔法を覚えた方がよっぽど便利でしょうに……」


 聖杖はノーデンス侯爵に貰ったとレイナは言っていたな。


「僕がグレイから鳴剣ホイッスル・ソードを貰ったみたいに、魔道を通すのに慣れる為に使ってるんじゃない?」


「まあ、そうかもしれないわね」


 そうしている間に、ホーラン先生の聖杖講義は終わったようで、レイナが設置された的の前に立つ。


「――では、はじめ!」


 ホーラン先生の合図にうなずき、レイナは両手で杖を構えた。


 石突で地面を叩くと、杖の飾輪が鈴のように鳴り、クルリと回すと杖に空けられた穴が笛の音を響かせる。


 それらを定型詞として、杖の刻印が励起され、レイナの周囲に球形魔芒陣が描き出される。


 レイナが左右に手を広げて身を回せば、魔芒陣に触れた右手からは鍵盤楽器の音色が、左手からは弦楽器の旋律が奏でられる。


「――目覚めてもたらせ!」


 その喚起詞に応えるように、彼女の周りに闇を除いた五種の攻精法弾があらわれた。


 どれも二メートル近くある巨大な法弾だ。


「――おお! おおっ!!」


 ホーラン先生が歓喜の声をあげる。


「いっけえ!」


 レイナが杖を振るうと、攻精法弾が的目掛けて殺到した。


 ――閃光、そして爆発。


 わずかに遅れて轟音が突風となって吹き荒れ、生徒達は悲鳴をあげる。


 そして閃光が晴れると、そこにあったはずの的は無く――大きく抉れた地面がまっすぐ観客席の方へと伸びて、その先にある結界に亀裂を走らせていた。


 生徒達はみな、その威力に唖然としていて。


「――素晴らしい! みんな、見たか? これが魔術の力だ!

 あの結界は、大魔道のエルディオンくんの魔法を受けてさえビクともしなかっただろう?

 だが、ノーデンスくんの魔術はどうだ?」


 ……そこで俺を引き合いに出すか!?


 視線を感じてそちらを見ると、姫様が俺を笑顔で見つめていた。


 そう、笑顔だ。


 問い詰めるような指信号ハンドサインもなく、ただニコニコとした表情を貼り付けて、俺を見つめているんだ。


 ――結界を壊したら問題になると思って、手加減しただけですよ!?


 俺は即座に指信号ハンドサインを姫様に送る。


 本気で<星落としサテライト・ストライカー>をブチかましたなら、小さな砦くらいなら一瞬で瓦礫の山に変える事ができるんだ。


 そんなものを学園の授業で全力喚起なんてできるはずがないだろう?


 ――賢い姫様なら、わかってくれますよね?


 だが、姫様は変わらず笑顔のまま無反応。


 と、そこへ――


「ええ~? アタシ、なんかやっちゃいました~?」


 レイナは甲高い声で後ろ頭を掻きながら、そんなセリフを吐きやがった。


「……シャルロッテさんの推測だと、あれって彼女の力というより、あの杖の力だよね?」


 ポツリとライが囁く。


「まあ、喚起できるだけの魔動があるのは認めるとしてもね……」


「……恥ずかしくないのかな?」


「ライ、無知というのは時に無敵なのよ」


 俺だったら、とてもじゃないがあんな恥ずかしいセリフ、口にしたくない。


 親友のライが、アレを恥ずかしいと思える感性の持ち主で少しだけ安堵する。


 ……だが。


 つい数時間前に似たようなセリフを口にしたあいつは、レイナの言動が癇に障ったようだった。


「――素晴らしい! まさに聖女の再臨!」


 などとレイナを絶賛するホーラン先生と――


「アタシはただ、できる事をしただけですよ~」


 まんざらでもない様子でその賞賛に喜ぶレイナ。


 と、そこに……


「本当にすごかったですね」


 姫様は拍手を送りながら声をかける。


「おかげでこの授業の趣旨がよくわかりました」


 胸の前で両手を合わせ、笑顔で小首を傾げる姫様。


「先生、わたしのもご覧になってくださいな」


 そう告げた姫様の目は――笑みに細められたその奥の金色は、静かな怒りを湛えていた。

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