第2話 9
「――おはよう、シャル」
いつものように教室の最上段、窓際の席を陣取ると、クラリッサが声をかけてきた。
「おやよう。リッサ」
入学から二ヶ月。
グレイとしてライと友人になれたように、シャルロットとしての俺はクラリッサと愛称で呼び会える程度には、親しく接するようになっていた。
常に高位貴族の令嬢たろうと振る舞う彼女は、俺の中で姫様の
彼女もまた、いつものように俺の隣の席に着く。
と、それまで朝の談笑に賑わっていた教室が、不意に静まり返る。
――ああ、今朝もか……
俺は教室の入り口を肩を縮こませてくぐる男子生徒を見て、思わずため息を吐く。
ダッグスが登校して来たんだ。
先程までの喧騒に替わって、ヒソヒソと囁かれる陰口。
いやな空気だ。
ダッグスは顔を青くしながら、おどおどと視線を巡らせる。
そこには数週間前のような、横柄で傲慢な態度はどこにもなく――むしろ今は、彼らの派閥が陰でいじめていた平民特待生のようだ。
空き席を探しているんだろう。
彼が登校してくるようになって一週間、毎日繰り返されている光景だ。
俺との決闘の後、ウチのクラスに居たダッグス以外の
派閥自体が落ちぶれてしまった今、彼らはサイベルトと共に侵災調伏を成功させる以外、失地回復の目がないんだ。
では、ダッグスだけがなぜ学園に残っているのかというと、彼は派閥から除名されたからだ。
サイベルト派が処分されたあの決闘――そのきっかけを作ったのがダッグスだから、責任を取らせたという理屈らしい。
リィナ姉が調べてきた話だが――一週間の停学が明けると、ダッグスは実家に呼び出され、勘当と家からの除籍を言い渡されたそうだ。
いわゆる平民落ち。
同行したフラウベル先生が擁護しても、彼の両親は聞き入れなかったらしい。
どうもサイベルトはダッグスだけではなく、彼の実家であるビトゥン子爵家ごと除名処分したらしく、今のビトゥン家はあらゆる後ろ盾を失ってしまったようなんだ。
サイベルトに切り捨てられ、両親にまでも切り捨てられたダッグスは――フラウベル先生に勧められるがままに、平民特待生として卒業まで学園に残る道を選んだ。
子爵家の令息として行きてきたダッグスが、いきなり市井に放り出されて生きていけるわけがない。
だが学園でしっかりと学び、卒業の実績があれば、少なくとも食うに困らないだけの職には就ける――優しいフラウベル先生は、そう彼を説得したらしい。
そうして先週から彼はクラスに戻ってきたのだが――当然、生徒達が彼を歓迎するわけがない。
無理矢理お茶会に参加させられていた中立派の女生徒達は距離を起き、
……はじめの三日くらいは、俺もざまぁとか思ってたんだけどさ。
「――野良犬の席なんて、どこ探してもねえぞ~?」
「ああ、臭い臭い! どこから臭ってくるのかしら……」
「くっ……」
ダッグスは両拳を握り、唇を噛んで俯いた。
「あ、ちょうどいいところにゴミ箱が!」
そんな彼に丸められたノートの切れ端がぶつけられる。
「やだ、アレはゴミ箱じゃなく、ゴミでしょう?」
ケタケタと交わされる嘲笑。
――さすがにコレはないだろう?
派閥を追われ、家からも捨てられて、ヤツは十分、行いの報いを受けた。
というより、受け過ぎと言って良いほどだ。
俺がサイベルトを釣り出す為に利用しなければ、ヤツはここまでの扱いをされる事はなかっただろう。
そう思うと、罪悪感で胸が締め付けられそうだ。
……あいつ、俺を罵っても良いはずなんだ。
サイベルト派から離れて平民となった今、あいつにはあの決闘で定められた
だが、ダッグスは今の状況を受け入れ、じっと耐え続けているんだ。
――ああ、もうっ!
と、俺はこらえ切れなくなって立ち上がろうとした。
それより一瞬早く。
バン、と。
机を叩いて、クラリッサが立ち上がった。
「――ダッグスさん、ここが空いてますわ」
と、彼女は目を細めて、俺達の前の席を指差して告げる。
クラリッサのこういう情に篤く面倒見の良いところは、彼女の美徳だと思う。
一部の熱烈な
「……オールソン嬢……だが……」
ダッグスの目がチラリと俺を捉える。
きっと
だから俺は腕組みして、ダッグスに告げた。
「――脳筋皇子に捨てられた者まで縛り付けるほど、あたくしも決闘
アゴでクラリッサが指す席を示し、それから俺はダッグスから視線を巡らせて、教室中を見回す。
「――でないと、教室の空気が悪くて仕方ないじゃない」
あえて強い口調で、俺はダッグスを虐げていた連中に向けてそう告げる。
「そういえば臭うって言ってたものね。自分の臭いって、案外気づけないものよね?」
ニヤリと笑みを濃くすれば、先程ダッグスが臭うとか抜かしていた女生徒が顔を羞恥に紅潮させる。
「……シャル……」
と、クラリッサは嘆息して、俺のおでこをはたく。
「シャルのそういう……すぐ悪ぶろうとするの、良くないトコですわよ?」
……俺もそう思う。
だが、それこそが
クラリッサにそう言われるという事は、再現度が高い証だ。
「まー! あたくしに手をあげるなんて、リッサ、おまえ不敬だわ!」
「はいはい。お昼にデザートを奢ってあげるから、それで我慢なさい」
すっかり扱いに慣れたというように、クラリッサは軽く俺をあしらって――
「さ、ダッグスさん」
ダッグスに手招きする。
「……すまない。恩に着る……」
ダッグスはか細い声でそう告げると、俺達の前の席までやって来て黙礼し、着席する。
いつもなら雑談で賑わっている教室だが、今日は恐ろしく静かだ。
……さすがシャル様。敵対した者まで赦すなんて、まさに聖女だわ!
――とか……
……どうするの? シャル様はアレをお赦しになったみたいよ?
――という囁き声。
……いっそヤツを抱き込んで、エルディオン嬢との接触の足がかりに……
――なんて、策謀まで聞こえてくる。
時折、こちらに遠巻きに視線が投げかけられては、ひそひそと囁かれる声に、俺はため息をついてクラリッサを見る。
彼女もまた、この教室の雰囲気にうんざりのようだ。
渦中のダッグスはというと、授業の用意を終えると、ただ時が過ぎるのを待つかのように、俯いて膝の上で拳を握り締めていた。
あ~、やだやだ。どうしたもんかねぇ……
突き詰めたなら自分に原因があるだけに、この状況が続くのは心苦しい。
……ダッグスも十分、反省しているように見えるしなぁ……
「――はい、みなさん、おはようございます!」
と、そんな事を考えている内に、フラウベル先生が来てしまった。
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